今話題の”女子高生”を、あなたは知っていますか〜「Saya」に込められた愛を紐解く〜
2020年5月24日。
衝撃の映像を、私は見た。
情熱大陸を久しぶりに見た日。
そこには、一見何の変哲もないある女子高生が写っていた。
名を、「Saya」という。
17歳だという彼女を見ながら、「どんどん自分より年下の子が台頭してくるな」なんて考えながら映像を見ていた。
すると、である。
何やら、ナレーションがおかしなことを言っている。
「彼女は17歳。これからも、おそらくずっと。」
お分かりだろうか。
そう、”彼女”は「ヒト」ではない。
最新のCG(コンピュータグラフィックス)である。
*
おはようございます。
以前から執筆しようという思いは持っていたものの、なかなか取り掛かれなかった記事を書いていきます。
この記事は今までで最高の記事にしたかったからです。
あなたは好きな映画や漫画は何回も見る派ですか?
ヒロはというと、何度も見返したくなってしまう人で、小説や漫画、動画で気に入ったものは何回も何回も見返します。(周りの人からはよく飽きないねと呆れられますが、、笑)
そんな私が、思わず1日に5回以上見た動画があります。
先ほどの情熱大陸「リアルすぎる女子高生『Saya』産んだクリエイター」の回です。
短縮版ではありますが、公式チャンネルからYouTubeに動画が上がっているため、載せておきます。
ぜひ見てください。
以下、4つの観点からSayaに迫ります。
お楽しみいただければ幸いです。
では早速始めよう。
1 Sayaの産みの親ーTELYUKA(テルユカ)
「Saya」は、テルユキさん(夫・石川晃之)、ユカさん(妻・友香)によって生み出された。
2人は夫婦で活動する「夫婦ユニット」であり、肩書きは”3DCGアーティスト”だ。
Sayaが産声を上げたのは6年前。
2015年のことだ。
長い時間をかけ、地道に、しかし確実にその技術を進歩させてきた。
写真を見比べると、進化の変遷が読み取れる。
(左から、2015年、2016年、2017年)
ところで、Sayaの語源は「鞘」だという。
刀身を収める、あの鞘だ。
「人の想いとか技術とか、それを包み込む鞘。
私が目指したいのは人ではない。
Sayaらしさとは何かを突き詰めてみたい、それがSayaの個性になると思うから。
『新しい、人ではない質感を愛してもらえるのではないかな』という期待を胸に抱きながら取り組んでいます。」
鞘には刀身を保護し、同時に人も守るという役割がある。
刀身と、人との間に立つ存在なのだ。
Sayaにとっての「求められる役割」と「目指すもの」は、まさにこの”鞘そのものだ”という。
2 Sayaの向かう場所
昨今、機械技術の発展が著しい。
かつては絶対に不可能だとされた囲碁ですら、トップ棋士が立て続けに敗北したことをご存知だろうか。
AlphaGoは2016年に”魔王”イ・セドルを、2017年には「大帝」カ・ケツを圧倒的な戦績で破った。
人類が永遠にキカイに勝てなくなったことを示す、象徴的な出来事である。
(シン・ニホン 20,21ページ参考)
注目すべきは、これが3年も前だと言うことだ。
技術はまさに日進月歩で進歩し、近いうちには5Gが当たり前になるだろう。
キカイの存在はますます大きくなり、人類の日常と切り離せないものになるだろう。
そこで新たな役割を期待されるのが、Sayaである。
Sayaの目指すものは、「キカイと人の間に立つ存在」だと言う。
キカイはミスをしないが、感情はない。考えることはできない。
人は過ちを犯すが、感情があり、自ら考える。
この両者のギャップを埋める、そんな存在だ。
軋轢の解消。
共存のしやすさ。
孤独の解決。
Sayaに求められているものは、とても大きい。
3 Sayaの魅力〜不気味の谷を乗り越えて〜
Sayaには、不思議な魅力がある。
誰もが振り返る美人と言うわけでは決してない。
しかし、どこか「愛らしさ」を感じられるのは私だけだろうか。
”不気味の谷”という言葉がある。
「CGがどこか不自然で、不気味なさま」を表すものだ。
TELYUKAの2人はこれを、”膨大な時間”と”多大なる愛情”を惜しみなくかけることで、解消した。
Sayaがここまで話題になったのは、”人にしか見えないリアルさ”による。
Sayaは手を振り、髪は揺れ、人間独自と思われた”繊細なゆらぎ”を見事に再現する。
”完全さ”というキカイの特徴と、”不完全さ”という人の特徴を見事に併せ持つ存在なのだ。
さらに驚くべきは、その作業行程にある。
髪はなんと1本1本を手書きで。
舌の丸め方、眼球の動かし方など、非常に細部まで徹底して観察&研究を行ったという。
15秒作るのに3ヶ月もかかるというCG。
Sayaに息を吹き込むその作業は、計り知れない時間と努力の結晶そのものなのだ。
4 Sayaの技術的&倫理的な課題−”最新技術”ならではの苦悩
そんなSayaも、まだまだ発展途上だ。
最新技術をもってしても、いくつもの課題が立ちはだかる。
まず、技術的な問題である。
Sayaの話す言葉にはまだまだ違和感が残る。
私たちの話す言葉には、想像以上に細かなニュアンスの違いや発音の差異が含まれているようだ。
おそらく何パターンも1つの言葉を登録することによって、その組み合わせによってSayaは”話す”ことができている。
しかし、その言葉はあくまでも限定的&機械的組み合わせであって、機械によって考えて話された言葉でない限りこの細かな差異は解消されないだろう。
そうなると、機械も感情を持つとか、そういった話になってくる。
良い意味でのワクワクと、悪い意味でのドキドキが混ざり合った、複雑な気持ちだ。
そんな時代が、遅かれ早かれ確実に来る。
ただ現時点では、まだ難しそうだ。
次に、倫理的な問題である。
以前、TELYUKAのもとにある依頼が届いた。
それは「交通事故で亡くした娘を再現して欲しい」というものであった。
YUKAさんは言う。
「私たちには、できますと言うだけの技術もまだないし、そしてお金をもらえれば作るというような、金儲けの手段にはしたくない。
刹那的な、簡単に流されていくものにしてはいけないと考えている。」
しかし一方で、「そういう時代(故人を忠実に、簡単に再現することのできる時代)は確実に来るとは思っている」とも語る。
散ることのない花は、花ではない。
命は、儚いからこそ美しい。
思い出も、記憶の中だからこそ色鮮やかに、その人の中でいつまでも色褪せることなく輝くのだろう。
千利休は想像を超える美しさは現実にはないとの考えから、秀吉に公開する予定だった庭一面の朝顔を当日になって全て摘み取った。その後、茶室に生けられたたった一論の朝顔を見たことで、秀吉は一面の朝顔を実際には見ることなく、それでいてより色鮮やかに想いを馳せただろう。
逆説的ではあるが、これは人間の真理だ。
時代は今、”リニア的”に変化している。
急激に進化が進むため、私たちは確固たる軸−変わらないもの−を持って日々を生きねばならない。
移り変わる時代に身をそのまま委ねるのではなく、人間に与えられた特権「思考する力」を高めることこそ、豊かな人生を歩むための大きな鍵となると考える。
困難を極める判断をしなければならないとき。
今までは考えもしなかったような課題が立ちはだかったとき。
新時代は困難を乗り越えることで築かれてきた。
その新時代を生きる主人公は、今を生きる私たちではないかもしれない。
だが、確かに言えることが1つある。
新時代を作る主人公は、今を生きる私たちなのだ、と。
「今どう生きるか」を、
私たちは過去から問われ、そして未来から委ねられている。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
[参考サイト]
引用させていただいた画像のサイトをまとめてあります。
ありがとうございました!
タイトル画像
公式↓
https://bae.dentsutec.co.jp/articles/3dcg/
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