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「美術」を学ぶことは、”本質“を知ること〜「アート思考」が今こんなにも重要視されるワケ〜

「アートだというようなものは、
 ほんとうは存在しない。

 ただアーティストたちがいるだけだ。」
(p298)
−エルンスト・ゴンブリッチ(歴史家・美術史家)


(本記事は約4500字になります。お時間のあるときにゆっくり読んでくださると嬉しいです。)


以前、「ゴッホ展」に行きました。

高校生の頃から少しだけ美術に興味があった私は、引きこもりから脱却するという目的もあって、休日に美術館へと出掛けたのでした。


ゴッホの絵は、正直言ってそこまで好きではありませんでした。

タッチがあまりにも力強く、気圧されてしまうから。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「星月夜」
(1889年)

当時、好きだと感じていた作品は、モネのような淡いタッチで描かれた絵だったのです。

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クロード・モネ 「散歩、日傘を差す女」
(1875年)

そんな私が、思わず立ち尽くしたゴッホの作品を紹介します。

「糸杉」(1889年)です。

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初めてこの絵を直接見たときの衝撃は、一生忘れないでしょう。

息を呑む」という言葉を直に感じたような気がしました。


93.4×74cmサイズという圧倒的な迫力。

近くで見るとわかる、絵具の凹凸。

流れるような樹の描き方。

そして一見不調和に思える色使い。

それらが1度に、目に飛び込んできました。

かっこつけなしに、この絵の前に立ち尽くしてしまったのです。

✴︎

前置きが長くなり申し訳ありません。

おはようございます。ヒロです。

数ある記事の中から私の文章を読んでいただきありがとうございます。

さて、今日は美術についてです。

今、「最も学び直す必要のある学問は美術である。」と言われます。


その理由を探ります。

では始めましょう。


結論

美術の本来の目的とは、自分なりの答えを探究することである。


1 とても”ツマラナイ”学問

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あなたは「美術」という学問に興味はありますか。

この記事を見て下さっている時点で”興味0”というわけではないとは思います。


ヒロはというと、中学校終わり辺りまで全く興味ありませんでした。

意味分かんなかったから、、。


さて、世間一般では美術はひじょ〜に評判の悪い科目となっています。

学研教育総合研究所のデータによると、美術を好きと思う中学生は非常に少ないです。

以下、グラフを引用します。(p9)

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正直、私は意味のわからない絵をとりあえず暗記させられた記憶が一番強いですね。

友人で美術が好きなんて言ってる人もいませんでした。


しかし、今となって考えればこれは本当にもったいないことです。

美術とは、少し分かりさえすれば本当に面白い、知的好奇心をくすぐる学問です。


ヒロは一体、どのようにして美術に興味を持っていったのでしょう。

そして、どこが”面白い”のでしょう


2 美術が好き

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高校生になると、芸術科目が選択になりました。

ヒロの高校では「美術、音楽、書道」のうち1つだけ選択すればいいとのことでした。

(全部苦手だったので消去法ですが)書道を選択したため、「強制的に学ばされる学問としての美術」から解放されたわけです。

で、不思議なことが起こります。


ヒロはよく図書館で勉強していました。


そこそこ広い図書館でしたから、スペースはたくさんあります。
でも、なんとなくお気に入りの場所って皆さんにもありますよね。

そんなわけで大体同じスペースに座っていたわけです。


で、そこが偶然「美術・音楽」の棚の近くだったんですよね。


長時間勉強していると休憩が必要、かと言って小説は読み始めると止められない病気でした。

だもんで、小説コーナーに行ったらその日詰むことはもうわかっているわけです。


ではどうしたらいいか?


そこで、そんなに興味がなかった美術とかの本を見てみたのです。
すぐ飽きるだろうな〜と思って。


そしたら、なんと意外と面白かった


単純に目の保養になりました。
勉強してるときって、室内で引きこもりがちですよね。

だから風景画には特に惹きつけられたのだと思います。

モネの日傘の画と出会ったのはこのときです。

3 実際に名画を解説してみる〜ピカソのあの作品〜


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この記事では1作品だけ、解説を通して美術の面白さを書いていきますね。

(この章に興味を持った方は、「13歳からのアート思考」は必ず買って良かったと思える1冊になります。約束いたします。)

こちらの作品は、パブロ・ピカソの「アビニヨンの娘たち」(1916年)です。

「一度は見たことある」という方が多いと思います。

それほど有名で、かつインパクトの強い作品ですよね。


ピカソはなぜこんな”奇妙な”絵を書いたのでしょう。

なぜ、この作品がこんなにも名作とされるのでしょう。

少し長くなりそうですが聞いてください。


まず、美術を理解するには1つの歴史的なとある大事件を知る必要があります。

ある発明によって、画家たちの存在意義は無くなったかのように思われたのです。


もうわかりますよね。

カメラ」です。


世界で初めて写真が撮影されたのは1826年。

これを機に、画家のあり方は大きく変更を余儀なくされました。

それまでの画家の大きな目標とは、「いかにこの世界をリアルに写しとるか」にあったからです。

この大目標はカメラによっていとも簡単に、そしてこれまでで最高のレベルで達成されてしまうようになりました。


「今日を限りに画家は死んだ」
−ポール・ドラローシュ(画家)

ニーチェの「神は死んだ」を思い出しますね。笑


しかし、画家たちにとっては全く笑えません。

存在意義が一瞬にして無くなってしまったのです。


そこで彼らは考えました。

「どうすればキカイにできない表現ができるのだろう」

「あれ、そもそも”リアルさ”って、なんだ?」

目に映るものをそのままに写しとることがリアルなのか?


このような葛藤の末に生まれたのが、「ワカラナイ」美術の始まりです。


私たちは遠近法を用いた「あくまで現実ベースの」リアルさを当たり前だと思っているのです。

だから「アビニヨンの娘たち」のような近代美術を見ると”分からない”と思ってしまうのです。


しかし、あのような作品はあくまでも「作者なりのリアルさ」を探求した結果です。

この恐ろしくさえ見える顔は、多方面から見たものを一つのキャンバスに集約した「キュビズム」という新しい描き方になります。

遠近法に縛られない、未開拓のリアルさを求めて生まれたのが、現実とはかけ離れたように見える表現方法なのです。


リアルさって、一体なんなのでしょう。

「『現実そのまま』こそがリアルだ!」って、誰が決めたのでしょう。

近代美術とは、そうした常識へのアンチテーゼなのです。

※アンチテーゼ
ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張。


この「常識からの脱却化」はさらに進みます。

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マルセル・デュシャン 「泉」
(1917年)

R・Muttという偽名で出品されたこの作品は、「『アート』ってそもそもなんだ」という問いにまでたどり着きます。


このただの便器は、果たしてアートなのか。

そうではないというなら、これがなぜアートではないのか。


そう、この問いに答えなどないのです。

アートとは、(以下でより詳しく説明しますが)「誰かが表現した花」だと考えています。

簡単に言えば、「その人がアートだと言ったらアート」なのです。


本当に広い意味でのアートなどないのでは、、、?


だから「ただアーティストたちがいるだけ」なのです。

❇︎


いわゆる「名作」と呼ばれるものは、あたかも自らの存在意義、生き残りをかけた、本能的な魂の叫びかのように思えるのは私だけでしょうか。

ピカソの「アビニヨンの娘たち」は発表まで9年間も彼のアトリエに置かれていたそう。

才覚を認められていた彼ですら、挑戦に恐怖します。


今に名を遺す数々の作品たちは、新たな価値観を切り開いていった、孤独で、困難な戦いの軌跡だと思うのです。



機械の台頭が進む現代社会。

”脳死”の常識人間は必ずや淘汰されます。


私はこれから社会に社会に出ていく身です。

その中で、誰かに媚び諂(こびへつら)ったり、八方美人で生きていくような人生を生きたくないのです。

私は私のままこの人生を歩みたいと思っています。


誰かが決めたレールの上を歩く−遠近法に始まる、現実をいかに写しとれるかこそがリアルだというような常識に固執する−のはもう止めました。

一人一人が自分と向き合い、必死に生き残る術を考えていくしかないと思うのです。


4 アート思考で「線」を成す

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以前、こう言った記事を書きました。

「Connecting the dots.」
点と点が繋がっていく。


少し話をします。

冒頭であげた本では2種類の人間が登場します。

それは「花職人」と「アーティスト」です。


私たちの多く(9割)は「結果」を求めて日々を”効率的に”生きています。

ムダな生き方をしないように、目指すべき結果と現状とを俯瞰して”最短距離で”結んだ気になります。

(フォロワーさんの記事です。
ちょうどテーマが重なったので引用させていただきました。)

本書の著者・末永幸歩(すえなが ゆきほ)さんは、そう言った人々を「花職人」と名付けました。

「花」を咲かすことに精一杯になって、本当に重要なことを忘れているというのです。


一方、「アーティスト」の生き方は全く異なります。

彼らは目標と現状とを決して最短距離で結びません。


最短距離のもたらす「花」は貧弱で輝きの薄いものにしかならないことをよくわかっているからです。


「一見ムダなことをする」のは「根をあちこちに伸ばしていくこと」だと言います。

自らの興味をもとに、夢中になるままに根を広く伸ばしていく。

これはホリエモンの著書「多動力」で語られる、「今、この瞬間を全力で生きる」という生き方そのものです。


私は以前、医学部受験に失敗しました。
原因として、いかに最短でゴールするかにこだわり過ぎたことがあります。

「今」に集中しきれていなかったのです。


イチローさんも言っていました。

「過去を振り返ってみれば、無駄だったかもしれないと思うことはたくさんある。
けれど、よく考えるとその無駄がなければ絶対に今の自分はない。
だから、そういった無駄を含んだ遠回りが実は一番の近道であったと、今では断言できる。


現在、私は時間とお金という財産を用いて探求の根を伸ばしています。

これは大学生でなければできません。

この財産を目一杯活用して、根を広く深く伸ばして行きます。


根がいつか全体として意味を成し、誰もが目を留めるような花を咲かすまで。


ジョブズが言うように、”根”という「点」を増やし、それが線を成す日が来るまで諦めず努力したいと思います。


❇︎


最後までご覧いただきありがとうございました。
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では、また明日。

(午後も頑張るぞ〜😌)

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