棋譜と日常


先輩の棋譜が久しぶりに更新されていて、なおかつ先輩の将棋だな〜って将棋で、しかも当時よりちょっと上手くなってたのがもう何とも言えないくらい嬉しいというか、良かったっす

序盤中盤の危なっかしい指し回しはらしさが出ているし、それでいて終盤の的確な攻めと切れ味は増していた

たぶん行き当たりばったりでやってるんだけど、というか行き当たりばったりじゃなかったら天才なんだけど、当時から変わらない直接手が多い将棋で考えてることが分かりやすくて微笑ましい

狙いがストレートで攻めっ気の強い将棋って潔くて清々しいからやっぱり好きだな




中田宏樹八段がつい最近亡くなって、多くの将棋関係者やファンが書いた追悼の文章を読んでいて、どれもめちゃくちゃ良い文章なんですよ

中田八段の将棋や人となりを私はまだそこまでよく知らなかったんですけど、そうした文章とかエピソードからとても良い人で愛されてたんだなというのが伝わってくる

特に印象に残ったのは中田八段に指導対局で何局か教わっていたというある方のブログ

その方は指導対局の度に毎回棋譜ノートに記録をつけていたらしいんです

そのノートの画像とともに思い出が述べられていて、もう棋譜が更新されることはなくなってしまったことを悲しむという内容だった


生き様とかその人らしさが棋譜として記録に残る将棋であるからこそ、新しい将棋が指されないとか棋譜が更新されないとかってことの悲しさが重くのしかかる

先輩とは年1で通話しながら将棋を指せるかどうかってくらいの疎遠になったんですが、更新される棋譜が生存確認になっている

いつまでも更新し続けてほしいし、らしい将棋を見る度に先輩の家で指した将棋とか、大学のキャンパスの隅でサイファーしたこととか、そういう記憶も付随して蘇るんで、そういうのってなんかいいですね

将棋を勧めてくれて本当にありがたかった

中田八段の棋譜も並べます




これからの人生に対して何の楽しみも正直あまりなくて、いつ死んでもいいくらいに思っているし、私の棋譜が更新されずとも悲しむ人はいないからどうでもいいんですけども、死ぬまでは生きるんでしょう


私はノストラダムスの大予言の時期の少し後に生まれたんだけど、もし仮にノストラダムスの大予言を青年期に経験していたら、予言が当たる前提で生活するような人間だと思う

いつ死ぬかわからないのに自暴自棄にならずに堅実に日々を積み重ねていける人たちってどう生きてるんですかね

気を抜いたらいつでも自暴自棄ルートに陥る危険性は常にあるような気がするんですが、確率的に長生きするだろうから真面目に生きているのか?

これまでの20数年、多少のミスやプランBではありつつもわりと堅実に生きてきたから私もそうした真面目側の一人なんだけど、自暴自棄ルートに昨年から入ってなかなか戻れずにいる


これからどう生きていけばいいのかわからない

単発の楽しみとか嬉しさを燃料にして短期的な心待ちにする予定を暫定的な目標地点として進むってのを繰り返していくのが生きるってことなんですかね

守るべきものがあればそれのために頑張れる気はするものの、現状何もないからな

まあ、そうやって言い訳する人間はいつまで経っても何かにつけて頑張らない口実を作るだろうから、クソなんでしょうけど



漫然と生きていくくらいなら何かのために生きてみたいなとか思いました

以上

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