古い写真1

古い写真とカメラ

実家を整理していたら古い写真がいっぱい出て来た。きっと父の学生時代のものだと。父はどこに写っているのかもわからないのだが。

この時代(昭和30年代?)はカメラ自体が珍しい。カメラを向けられた時の被写体の意識が現在とは違うように思う。そもそもフィルムカメラ時代と今のデジタルデータでは趣味としてのカメラが全然違う。かつて撮った写真は現像しないとならないし、フィルムも買わないとならない。昔のカメラの方が高級な趣味だった。今はカメラが多少高額でも、現像をしないケースも多いからその後のコストがあんまり掛からない。

昭和30年代ってきっと現像も大変だったと思う。ITOが小学生の時でもオートフォーカスのカメラが無かったからピントがズレることも多かった。そのピントがあっているかどうかっていうのも現像しなとわからないんだから。

カメラって基本はやっぱりライフログの機械だ。昔も今もそれは変わらない。今はそれがすごくカジュアルになっただけで。昔は写真になる一瞬の価値が違うから、カメラに映る被写体の覚悟が違うようだ。一生残るライフログだからカメラ意識しなきゃって思っていた様に見える。

今のデジタルデータだって一生残るのだけど、その数が多すぎて一枚の価値が下がっているような気もする。一番大きな違いは写真を見る人の数かも知れない。昔は写真に触れることが出来る人しか見れなかったけど、今の写真は公開さえすれば世界中の誰でもが観れるものだ。友人との間の顔、親に対する顔、世界中に見られる顔。写真の役割はライフログだけど、誰に見てもらうか想定するとライフログの形も変わる。インスタ映えって世界を対象にする写真なんだから、それは盛ったりするよね。

古い写真というライフログには対象が身近な人しかいない。カメラという稀有なものの前で気取る気持ちも見えるけど、写真に映る空気は近しい人へ向けられたもののようで。カメラマンが近しいこともあるだろし。自然にはにかんでるものが多い。なんか素朴さが、新鮮だ。

捨てる予定だったけど、つい持って帰って来てしまったよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?