田中芳樹監修公式トリビュート『銀河英雄伝説列伝1晴れあがる銀河』感想 銀河の歴史が、また1ページ……
『銀河英雄伝説』シリーズ(以下『銀英伝』)原作者である田中芳樹監修の公式トリビュート『銀河英雄伝説列伝1 晴れあがる銀河』の感想です。(基本的に敬称略)
(自分は石黒昇版アニメを完走したものの原作はまだ途中なんですが、)このトリビュートの出版発表時、その執筆陣のあまりの豪華さに度肝を抜かれたのを覚えています。
銀英伝本伝の些細な一文から着想を得て想像を広げて書かれた作品、英雄たちの語られなかった淡い恋の作品、英雄達が歴史に現れる以前の銀河の歴史を描いた作品と内容も幅広いです。
どれも期待以上の高水準のクオリティーで一気に読んでしまいました。
収録作品概要紹介
『竜神滝の皇帝陛下』 小川一水
主要登場人物:ラインハルト・フォン・ローエングラム、ヒルデガルド・フォン・ローエングラム、エミール・フォン・ゼッレ
銀英伝10巻にある「川に釣糸を垂れていらっしゃるときでも〜」というエミールの述懐の一文に着想を得た作家による、皇帝ラインハルトと皇妃ヒルダの新婚旅行中に起きた珍事件を描いた作品。新婚旅行がなぜ渓流釣りに?
シリーズの大ファンだという小川一水さんのハイテンションがそのまま文章にもノッているような、騒がしくも楽しい短編でした。些細な描写に懐かしの登場人物達の影が散らついたりとマニア心をくすぐります。
人物描写も巧みで、ラインハルトがヒルダやエミールへ寄せる不器用にもほどがある優しさにはニヤニヤ必須です(笑)
『士官学校生の恋』 石持浅海
主要登場人物:アレックス・キャゼルヌ、ヤン・ウェンリー、オルタンス・ミルベール
ヤン・ウェンリーの先輩であり友人でもあるアレックス・キャゼルヌ。
ヤンが「魔法合戦で負けて、それ以後、家来になったにちがいない」と彼を評するほどの相手方、キャゼルヌ夫人はいったいどういう人物なのか?そこに着目した作者が二人の馴れ初めを描いたミステリ短編です。朗らかな雰囲気を携えながらも王道の安楽椅子探偵のような明晰な推理を披露する未来のキャゼルヌ夫人ことオルタンス・ミルベール。
読了後、検索をかけて彼女が、【ヤンの死をユリアン自身がフレデリカに告げなくてはいけないと諭した人物】だったのを知りました。(そのシーンを視聴しているはずなんですが、ヤンの死とフレデリカ役の榊原良子さんの鬼気迫る演技に完全に圧倒されていたため、印象に残っていなかったようです)アニメで見返してみると、ヤンの死に動揺したイゼルローンの男たちが俯く中、真っ先に賢明な判断を下していたのは彼女でした。全然脇役じゃなかった!
余談ですが、作者の石持浅海先生は男性だそうです(内容的にずっと女性だと思っていました!)
『ティエリー・ボナール最後の戦い』 小前 亮
主要登場人物:ウランフ、アドリアン・ルビンスキー
ゲストキャラクター:ティエリー・ボナール
ヤンもラインハルトも歴史の表舞台に出て来ない、帝国と同盟の戦線が膠着状態の時代。同盟国の辺境基地が突如攻撃を受け壊滅。警戒網になんの痕跡がないことから、同盟の最高機密の航路情報が漏洩している可能性が浮上。曖昧な情報のまま出撃を命じられたペテルセン中将は2人の小将ウランフ、ボナールとともに艦隊を率いて調査に赴きます。本トリビュート唯一の本格的な艦隊戦エピソード。
ウランフは騎馬民族の末裔という説明から、本伝で貴重な同盟側の有能提督だったのを思い出しました。(個人的にはアンドリュー・フォークに揶揄されて、苦々しくしていた印象が強いです。)
ティエリー・ボナールは記憶にも検索にも出てこないので多分オリジナルキャラだと思います。同盟の自由人枠の典型、といったキャラでした。
当たり前のようにフェザーンで地球教と暗躍しまくっているルビンスキーは流石の黒狐ぶりでした(笑)
『レナーテは語る』 太田忠司
主要登場人物:パウル・フォン・オーベルシュタイン
ゲストキャラクター:レナーテ・ヴァンダーリッヒ
本伝でのオーベルシュタインの死後、彼の執事だったラーベナルトに呼び出されたレナーテは、相続品として小さな小箱を渡されます。その小箱を見て過去を懐かしむように、レナーテはかつてオーベルシュタインの部下だった頃のエピソードを語ります。
まだオーベルシュタインがラインハルトと出会う前。
同僚の自殺事件に違和感を感じたレナーテは、当時上司だったオーベルシュタインと秘密裏に事件の捜査を開始します。好奇心が強く、感情的で、ほどほどに愚かなレナーテの集めた情報からオーベルシュタインは着々と真相に近づいていきます。
オーベルシュタインの大ファンだという作者による、
『名探偵オーベルシュタインの事件簿』とでもいうべきミステリ短編。
オーベルシュタインと探偵物の相性の良さはもはや卑怯なレベル!
このままスピンオフとしてシリーズ化して欲しいです!
『星たちの舞台』 高島雄哉
主要登場人物:ヤン・ウェンリー、ダスティ・アッテンボロー
ゲストキャラクター:ヒュパティア・ミルズ
軍士官学校の卒業を間近に控えたヤンは、ジェシカの紹介でヒュパティア・ミルズからの相談を受けます。母校の女子寮が廃寮の危機にあり、学校との交渉をするためのアピールとしてヤンと演劇を発表したいといいます。あまりの論理の飛躍に戸惑うヤンでしたが、自身も戦史研究科を守ろうと運動を起こした経験のあることから彼女を協力することに。他人の考えを変えることは容易ではない、ということを苦い経験を通じて知ったヤンは、アッテンボローの協力のもと代替案を模索します。
女装するヤン、という衝撃的な場面もありますが(笑)、ヒュパティアとの甘酸っぱくも切ない青春群像も印象的な作品です。
『晴れあがる銀河』 藤井太洋
主要登場人物:ルドルフ・ゴールデンバウム、???
ゲストキャラクター:シュテファン・アトウッド、ローレンス・ラープ3世
本トリビュートの表題作にしてもっともマニアック、そしてもっとも怖い作品です。
なんと銀河帝国初代皇帝ルドルフ・ゴールデンバウムが皇帝に君臨し始めた時代の話です。ルドルフによる新時代が幕をあけ、名称や所属、社会制度が急速にかわりつつありました。
そんな世間の様子に微かに違和感を抱いているアトウッド少尉の元に、皇帝直々の文にて「正当な銀河の航路図作製」の勅命が届けられます。
皇帝の意に沿った航路図を作製するためには、既存の航路図とは別に新たに大量の航路データを集める必要があり、商会を運営するラープ3世と協力してアトウッドは作業を進めます。アトウッドのチームは無事帝国を中心に据えた「正当な銀河の航路図」を納めるのですが……!?
自分は「藤井太洋さんが銀英伝を書く!」と発表を知った瞬間に予約を入れたくらい作者のファンなのですが、今作も力作でした。
宇宙図の作製の困難さとその対処の技術的な描写は新鮮でしたし、さらりと描写された一文に地球教の影響を感じたり、最後に明かされるある登場人物の名前にはハッとさせられました。まさかあの人物の先祖が関わっていたのか?と想像力を刺激します。
表題「晴れあがる銀河」は陰鬱な本エピソードの雰囲気には不似合いな気がしますが、銀英伝のエピソード0としては確かにぴったりな気がします。銀河の歴史はここから始まっていったのかと、最後の文章を読んで思いを馳せました。
ファンとして細かな描写を楽しむと同時に、本作は一番怖い話だとも思いました。作中ゆっくりとしかし致命的な方向に変質していく社会の不気味さは、現在進行形で崩壊している現実社会を写しているように思えてならず、自分はこれをただのフィクションとしては読めませんでした。
ルドルフ、トリューニヒト、憂国騎士団。民主社会によって生み出された民主社会を破壊する怪物たち。いま現実のメディアのいたるところで、これらの怪物たちを見ているからです。しかし腐敗を一掃してくれるラインハルトも、希望を示してくれるヤンも、民衆に都合のいい英雄は現実にはいないのです。
僕には晴れ間は見えません。今は、まだ。
銀河の歴史が、また1ページ…
本トリビュートは列伝1というナンバリングからシリーズ化されるものと思われます。何冊続くのか、次の執筆陣は誰なのか、続報を待ちたいと思います。
また本作を読んだらうろ覚えだった脇役たちまで見返したくなりました。
この機会に未視聴だった『銀河英雄伝説 Die Neue These』シリーズを観ようと思います。
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