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エンセラドスの海で地球外生命を追う

数ヶ月前、大役を任された。EELSという、土星の衛星・エンセラドスの氷の裂け目を降りていくためのヘビ型ロボットを開発するプロジェクトのPI(主任研究員)である。約15億円の予算を預かり約50人のチームを率いる。初代のPIが転職してしまったため僕に声がかかったのである。

エンセラドスは直径500 kmほどの小さな衛星で、表面はすべて氷で覆われている。そして分厚い氷の殻の下に、液体の水で満たされた海がある。海底は岩石コアに接していると考えられており、海水にはおそらく岩石から溶け出した様々な化学物質が混ざっている。潮汐力によるエネルギーが熱として内部から供給されており、もしかしたら熱水噴出孔があるかもしれない。水、化学物質、そしてエネルギー。つまり、命が生まれるために必要な三条件がそろった環境なのだ。そこに何かいるのだろうか?何がいるのだろうか?

もっとも、水は宇宙にありふれた物質で、木星や土星のまわりには地下に海があると考えられている氷衛星がいくつもある。(太陽系の内側で水が珍しいのは、熱ですぐに蒸発してしまうからである。)エンセラドスで特別なのは、地底の海への「アクセス・ルート」があるからだ。

エンセラドスの南極に4本の氷の裂け目が走っている。虎の縞のような形から「タイガー・ストライプ」と呼ばれているこのクレバスは、どうやら地底の海まで続いているらしく、そこから水のジェットが吹き出しているのだ!ジェットはエンセラドスの脱出速度を超えており、宇宙を漂う水分子が土星の輪の一部となっている。

この氷の裂け目をロボットで降りていけば生命がいるかもしれない地底の海に到達できるのではないか、というのが僕たちのアイデアだ。ヘビ型ロボットなら狭いところも通り抜けられるし、壁を両側へ押せばジェットに吹き飛ばされることも防げる。

しかし未だかつてヘビ型の宇宙探査機など誰も作ったことがない。そこでまずはそれを試作し、地球上の氷河にある孔やクレバスで実験しよう、というのがこのEELSプロジェクトの目的だ。向こう2〜3年かけて開発を行い、カナダのアサバスカ氷河で実証実験を行う。

このロボットがエンセラドスへ行くのはいつだろうか?先月、全米科学アカデミーがNASAに科学探査ミッションの優先順位を指南するDecadal Surveyという文章が出た。その名の通り出されるのは10年に一度で、今後10年のNASAの計画を左右する重要な文章である。

大型ミッション(flagship missionと呼ばれる)ではまず、火星サンプルリターンを完了することが最優先だと書かれていた。これは予想通り。新しく始めるミッションで優先順位がもっとも高いのは天王星オービターとされた。天王星が海王星のどちらかが来るのはわかっていたので、これも予想通り。優先順位2番目の大型ミッションがサプライズだった。エンセラドスの「オービランダー」(オービターとランダーが一緒になったもの)が推薦されたのである。まだ計画は全くの未定だが、もしかしたら、これにEELSが乗る可能性があるかもしれない。

もし計画が構想通りにいけば、ミッションの開始が2020年代後半で打ち上げが2030年代後半。エンセラドス軌道への到着は2040年代後半だ。土星は遠いのである。そしてエンセラドス着陸は2050年とされている。僕は68歳。引退の間際だろう。この仕事をしていると、人生の短さを嘆きたくなることが度々ある。仕方なかろう。宇宙の広大さに比べ、ひとりの人間の命の尺は取るに足らないほど短いのだ。

「幼稚園 最後の日は 爪に赤いインクをこっそり塗った」

そんなドリカムの歌をミーちゃんの幼稚園最後の日に思い出した僕は紛れもないアラフォーである。

アメリカでは学年は6月に終わる。幼稚園年長(Kindergarten)はこちらでは小学校の一部なので、幼稚園卒業というよりは学校の最初の年が終わった、という感覚だ。

きょうはオシャレをしていきたい!とミーちゃんが言い張るのでオモチャのマニキュアを塗っていくことを特別に許可してあげた。彼女曰く、普段から「みんなしてきている」そうだ。もちろんミーちゃんの「みんな」は全くあてにならないが、学校は特に何も言わないし、パパやママとは育った時代も場所も違うのである。

それにしても、時が経つのはなんて早いのだろう。たった1年でミーちゃんは見違えるほど成長した。たくさん友達ができ、友達に優しくなり、英語もますます上手になり、簡単な絵本ならば自分で読めるようになった。最近では僕の日本語訛りの発音を偉そうに直してくれる。子どもの誕生と成長は、この宇宙でもっとも深い神秘のひとつだろう。人体は水と化学物質の塊でしかないのに、ひとたび命が宿るとなぜこのような奇跡が起きるのか。そう、僕たちが宇宙で探し求めているのは、奇跡なのである。

庭ではミーちゃんを祝うようにひまわりが咲いていた。一緒に種を植えたのはたった2ヶ月半前。太陽の光とたくさん浴びて、あっという間にミーちゃんの背を追い越し、その数週間後には僕の背も抜いた。黄色い大輪の花はカリフォルニアの青い空によく合う。

ミーちゃんのようだ、とふと思った。彼女もきっとすぐに僕を追い抜き、艶やかな花を咲かせるのだろう。その頃にはもう、僕はおじいちゃんだ。宇宙のスケールを持ち出すまでもなく、人生は短い。

こんな記憶がある。小学校3年生が終わった春休みだったか、父と一緒に風呂に入っている時、「もう小学校の半分が終わっちゃったよ」とため息をついた。すると父はニコニコと笑いながら「お父さんなんて人生の半分が終わっちゃったよ」と返した。父が遠くに行ってしまうような感覚がふとして僕は怖かった。でも父には悲壮感のかけらも見えなかった。それが僕には不思議だった。

あれから30年。僕はあっという間に大人になり、気づけばもうすぐ40歳だ。あの時、父が自らの命の短さをはっきりと自覚しながらも笑顔でいられた理由が、今の僕にはわかる気がする。

後に残していけるものが、見えてきたからだと思う。自分の仕事の成果を何かしらこの世に残せるだろうという実感。そして美しく頼もしく成長する我が子が未来へと羽ばたいていく予感。死への恐怖が薄れることはない。でもそれを嫌だと思う気持ちは、昔よりは幾分減った気がする。

最近、ミーちゃんがこんなことを言った。

「パパとママ、ながいきしてね。100さいまでいきて、そのあと まほうで あかちゃんにもどしてあげるからね」

たぶんその時、僕は30年前の風呂場での父と同じ笑顔をしていたと思う。

小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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