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後悔

彼は死んだ。もうこの世にいない。

 会社のデスクに置かれたスマートフォンの着信音が鳴っている。デスクに座っている若い男は知らない番号だったので少し躊躇ったが、電話に出た。
「もしもし、イイダです。」
「あ、イイダ、久しぶり、俺だよ俺、オノだよ。」
「おお、オノか、久しぶりだな、オノが掛けて来るなんて珍しいな。最初知らない番号だから誰かと思ったよ。」
 オノとは大学時代の友人の一人で、サークルと学科が一緒だったのがきっかけで仲良くなった。
「こないだ電話番号変えたばかりなんだよ。驚かせちまったみたいでごめんな。」
トーンの低い声でオノは言った。
 普段なら明るいはずのオノだが、今日はなんだか声のトーンが低い。オノが言葉に詰まっている感じもあり、沈黙が続きそうだったのでつかさず俺は尋ねた。
「いや、全然いいんだよ。むしろ久々に話せて嬉しいよ。それで、どうしたんだよ。」
「ん、いあや、あのさ、驚かないで聞いてくれよ。」
 また少し間があったがオノは口を開いた。
「アイダが死んだ。」
 俺は一瞬頭が真っ白になった。
「え、死んだ?」
「ああ。」
 オノは重たい声で答えた
「なんで、」
 俺は思わず理由を聞いた。
「心筋梗塞だってさ、もともとアイダのやつ心臓が悪かったらしい。全然そんな素振りを見せてこなかったからめちゃくちゃ驚いてる。」
「心臓が悪かったのか。なんでだよ、あいつ、教えてくれなかったんだよ。なんで俺らも気づけなかったんだよ。」
 アイダもサークルで知り合った友人の一人で、底抜けて明るい奴だった。アイダがいたら周りも明るくなったし、アイダのことを嫌うやつは絶対にいないと断言できるほどいい奴だった。
 俺がサークルの練習中に怪我したときもすぐに駆けつけてくれたし、俺やオノの恋話やバイト先での愚痴なんかも真剣に聞いてくれた。本当にいい奴だった。なのに、大学卒業からわずか2年でアイダは死んだ。
「葬式は親族の意向で、親族のみらしい。」
「そうか。オノ、連絡くれてありがとう。」
「おうよ、俺はまだあいつが居なくなった実感わかないよ。今もどこかで周りを明るくしてる気がしてならないよ。」
「俺もそう思う。なんであんなにいい奴が死んじまったんだろうな。世の中理不尽だよな。」
「たしかに、理不尽だよな。でもよ、アイダのやつが実は裏で犯罪とかしてたらって考えたらそう思えないよな。だって俺らアイダのこと大学でしか知らないわけじゃん。まあ、あいつは絶対いい奴だけどな。」
「あいつは本当にいい奴だよ。そろそろ仕事戻る、電話ありがとう。」
「おう。アイダの分まで強く生きような。」
「ああ、それじゃ。」
 通話が終了した。俺は改めてアイダのことを思い返してみたが、大学やサークルでの思い出しか思い出せない。アイダの家も大学から二駅離れてることしか知らないし、アイダが就職した先も知らない。よくよく考えてみると俺はアイダのことを大学4年間の大学にいるときという限定した時間でしか知らないのだ。アイダはオノが言ったみたいに、裏では犯罪をしていたかもしれないし、していなかったかもしれない。あいつが明るいのは小さいころ何か不幸なことがあったのかもしれないし、そうではなくただ明るかっただけなのかもしれない。アイダは孤独に死んでいったかもしれないし、家族に見守られて死んだかもしれない。   結局のところ俺らはアイダという存在に対して興味をもっていなかったのだろうか。いや、興味はあった、だが知ろうとしなかった。あいつが明る  かったからあいつは明るい奴だと決めつけてそれ以上は知ろうともしていなかった。
「アイダともっと話しておけばよかった。」
俺は無意識に口にしていた。だがもう遅い。物凄い後悔の波が心に押し寄せてきた。
 そして俺は仕事が手につかなくなったので早退し家に帰りその日はアイダや今まで出会った友人や上司、家族、恋人について考えた。考えたが結局、その人たちのことも全然知っていないのだと気づいた。その人たちが何をして何を考えてどのように生きているのか、そんなことは知る必要もないし、知らない方がいいこともあるし、出逢った人間全員について知るのは不可能だ。ただ、俺はアイダが死んで後悔をした。この後悔をまたしたくはない。
 アイダの分まで生きることはできないし、アイダについて知ろうとしなかった俺はそんな資格がない。だが、この先に出会うかもしれない友人や今まで出会ってきたオノのような友人、そして家族、恋人、その人達がこの世からいなくなったとき、後悔することもあるかもしれないができるだけ後悔がないよう生きていくと決めた。
 アイダは死んだ。この世にもういない。だがアイダは俺に後悔を教えてくれた。

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