いきなり小1ママンはじめました
ぺき親(完璧主義により自分も子どももそれなりに苦しめる不器用な親)として
反省の日々を送っているものの、
人生経験というか、「小学生の親」という新しい世界を知ることができたのは本当に良かった。
いろいろあるけど、
まずは結婚当初の話から。
結婚して小1ボーイのお母さんとなった私は
妊娠、出産、育児のすべての苦しみ、痛み、疲労、幸せ?を経験せずにここまで来てしまっていた。
5月に入籍したため、
小1ボーイの夏休みに、引っ越しと転校という一大イベントがあった。
転校したいと小学校に電話したら、一度子どもと学校に来てほしいと言われた。
旦那は仕事で行けず、私が連れていくことになったが、
普段はどんなお子さんですかなんて聞かれたら何も答えられない・・・
一日中二人で過ごしたことないし。
強いて言えば、私の荷物を勝手に覗いてきて失礼な人だなとか
思い通りにならないとすぐ拗ねて面倒臭い人だなとか
一緒に暮らす前から始めた交換日記は字が汚くて読めないなとか、
そんな印象のお子さん。
いやお子さんではなく、完全に大人さんとして見ていた。
だって6歳の定型発達知らないもの、、!
子どもってこういうものっていう知識ないもの!!
学校の先生の参考になりそうなエピソードはなかったので、当時ボーイと同居していたお義母さんお義父さんにも来ていただき、4人で学校に向かった。
学校は新しい校舎でとてもきれいだった。
教室にドアがない!!!
ドア、、、ないの・・・・・??!!
ボーイとおんなじ目線でほぇ~と辺りを見回していた。
無事先生にも会え、ステップファミリーであることも共有し、
準備するものや登校初日の持ち物、夏休みの宿題(!)など貰うことができた。
ボーイが行く学童にも行ってみた。
そこにはものすごい数の子どもたち・・・
50〜60人くらいはいただろうか。
ボーイは私のお尻にしがみついて隠れた。
ボーイの顔が私のお尻と同化したのかなと思うくらい私が動いてもくるくる回っても剝がれなかった。
それもそう、当時ボーイが祖父母宅から通っていた小学校は1年生が10人しかいなかった。
全校生徒合わせても二桁。
そこからの学童だけでトータル100人越え。
圧倒的なエネルギーにタジタジの私とボーイ。
そりゃお尻にもなる。
そんな感じでどっきどきな小学校生活がスタートする。
当時は、本当に大変だった。
本当に大変だっただけじゃ伝わらないから具体的なエピソードを書きたいけど
さすがにボーイの人権に関わることがあるので(今更!!!)
簡潔に書くと、
幾度もの担任の先生との話し合い
幾度もの学童の先生との話し合い
お怒りになっている生徒の親への謝罪電話(1回)
やっぱり字にすると大したことない感じ・・・・
ドラマのようにいますぐ学校に来てください!!的なものはない。
でも日中に担任の先生から電話で状況共有され、
悶々と過ごしながら仕事し、
学童にお迎えに行くタイミングで担任と話し、
学童では別件の状況報告があり・・・・
なんか、、なんで私ばっかり、、、、
知らん子の知らん環境でのヘビーな出来事聞いて、
とりあえず先生や生徒やその親にペコペコ謝罪して、
帰り道に知らん子に知らんけど説教して知らんぷりされて・・・・!!!!
もう、、知らねー!!!!!!
とはならず、
当時はとにかく毎日を手探りでこなすのが精一杯だった。
いや、いきなり小学生ママンは辛いよ。
ママン辛かったよ。。
私、よく頑張ってたな。
ボーイもね。
俺たち、戦友だな、、。
まぁ大変ではあったけど、学童から家までの帰り道はコミュニケーションをとっていた。
今日体育あったよとか
寒くなってきたねとか
野良猫見つけて追いかけたり
落ちてた亀のぬいぐるみを交番に届けたり。
お互いに相手の様子を見ながら、
どんな人か、何が好きか、何に怒るのか。
そうして少しずつ交流していくうちに、何となく戦友兼親子って感じの雰囲気を醸し出していくようになった。
『お母さん』もだいぶ板についてきたころ突然ボーイが言ってきた。
「なんか、学童の子から、一緒に帰ってるのお姉ちゃん?って聞かれた」
ほぅ、そうか、お姉ちゃんか。
お姉ちゃんのように若くてかわいい(言われてない)ママンとしての自覚を持った私はそれからコロナ前まで、毎日リップを塗って満面の笑顔でお迎えに行くのであった。
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