色々思う1日でした
何だか今日はあっという間に過ぎた。
やっぱり家族には感謝せんとな、と思った1日だった。
何となく物憂げな今日も、いつか晴れ渡る未来が来ることを願う。
僕は幼少期から引っ込み思案で、人の気持ちとか、空気とか読めない、いわゆるKYだった。
何となくだが胸の痛みがある。
やっぱり仕事を辞めてしまったことだろう。
でも、悔やんでばかりは居られない。
新しい働き口を探さねば……。
僕はとにかく前向きだ。
それは1時期、楽観主義を薦められ、それに慣れ親しんだ事があるからだと思う。
仕事もいつか美味くいく。
最後はよくなる。
恋愛も最後はうまくいく。
そう信じている。
誰もがそうなのかどうか、全然見当もつかないが……。
僕はそれでいて人が好きだ。
愛くるしく感じる。
でも人って我儘だ。
僕は自分を騙して生きているが、長続きはしない。
心では全然別のことを考えている。
ちなみに、話は変わるが、お金って、月にどのくらい必要なんだろう?
今なら自分は部屋をシェアしているので、13ぐらいあれば、少し買いたいものも買える。
だから、今度のバイトは無理せずにやろうと思う。
自分を苦しめてはいけない。
もちろん忍耐は必要だが、心まで擦り切れてしまっては、何のための人生だか分からなくなってしまいそうだ。
とにかく今はガソスタには応募はしたし、履歴書も書いたので、しっかり読書をして、お祈りもして、心の準備をしようと思っている。
人生はあっという間に終わってしまうと思う。
これからは1日1日を精一杯生きよう。
僕がこの世に残したいのは、誰も差別されない世の中だ。
働く事においても何にしても……。
僕がしばらく入院していた病院の、長年勤務している看護師も、精神の障害は、「ただの性格」だと豪語していた。
だから何も恥ずしく思ったり、後ろめたく思ったり、どうせ自分には、何て思う必要は微塵もないと思う。
本当に精神的な事については、学者の机上の論理ばかりが目立つ世相だ。
僕らみたいな人間は、特別な使命を帯びてこの世に生まれてきた。
そのくらい自由に考えて良いと思う。
この病気で愛まで失ってしまった人の、何と多いことか!
僕はどうしても、「人の心」に向かって、病と言い切る医者の、冷酷さが許せない。
例えて言えばAさんが、Bさんを「あなたは根っからの生まれた時からのキチガイだ」という事について、何故もっと躊躇しないのだろう?
ただある人達が、理解ができないだけで、話も碌に聞かず、「キチガイ」と言っている様は、そう言っている本人が「キチガイ」なんじゃないかと本気で思う。
だってそうじゃない?
よく考えてみ?
おかしいでしょ?
Bさんが生まれつき精神に障害を持っていると断定する論理なんて、どう考えても、それを考えだしたAさんがおかしいでしょ?
それを正当化するために、医学の皮で理論武装してるだけっしょ?
許せますこれ?
他人ならゆるせるけど、いざ自分が精神障害者って医者に言われてみ?
そりゃ人間不信になるでしょ?
普通の人なんだって。
精神やんでるって誰がいう権利があんの?
人権侵害だわ。
こうやって故意に再起不能にさせられていく人間の中に、いかに多くの有能な人間の埋もれていることか!!
僕は知っているんだ。
この目で見てきたんだ。
ぺん太郎
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