ポーラ美術館「モダン・タイムス・イン・パリ1925」で繰り返す歴史について考えた
2024年5月中旬、箱根にあるポーラ美術館に行って来ました。
昨年秋ごろから美術館巡りを始めて2回目の訪問です。
*以前訪問した際のnoteはいちばん下にリンクを貼っておきます
開催していた展覧会は「モダン・タイムス・イン・パリ1925」展です。
なお、2024年6月8日から入館料が改定されるそうです↓
行ってみた感想は、大きく3つあります。
・1925年を中心にその周辺の工業化の流れ、そして美術や芸術が受けた影響を見ることができました。
→これまで詰め込みの知識だったものが実際に見ることによって「分かった!」に変わりました。
・関東大震災後、美術や芸術が復興のために大きな役割を果たしていたことに当時の人々の情熱を感じました。
・同時に、展覧会では登り詰めたところからの降下も強調されていて、現在の日本のことや世界情勢のことに思いを巡らせるきっかけになりました。
1920年代〜1930年代の歴史の流れが頭の中で整理された=理解できた感を味わう
どんなことが整理できたのかというと
19世紀末からの重工業の発達があったからこそ、1914年から勃発した第1次世界大戦が勃発したということです。
美術史を学びはじめて間もない40代の私です。脳みその機能も低下しつつあります。若かりし頃のように「分かった!」と簡単に思えなくなってきました。
それが、この展覧会で単なる知識でしかなかったものが、やっと「分かった!」になりました。
この感覚、分かっていただけるとありがたいです。
大きな戦争から美術、芸術が受けた影響があるという、そういう目を持って作品を見ると、これまでとは全く違う感覚で観ることができました。
キュビズムが出て来た背景のことを別の視点で見ることができた
キュビズムが生まれた背景も、もちろんセザンヌが大きな影響を与えていたり、写真の登場で絵画にできることは何かという模索もあったということなのですが、
それに加えて、戦争の影響があったというのは、私には大発見でした。(ちょっと考えたら、そりゃそうだ)
特に、大発見だったのがフェルナン・レジェです。
単純すぎる私は単に円筒形が好きな人なのかと思っていました。
そんな単純なわけないですよね^^;
従軍中に見た太陽の下の大砲や金属板の輝きに魅せられたそうです。
殺人のために使われていたものに魅せられるというところがちょっと理解し難いのですが^^;
きっとそのものに意味を持たせずに、そのものの形や輝き自体に魅せられたのかなと思うことにしました。
関東大震災からの復興にアール・デコが大活躍した
最近、「関東大震災からの復興」という文字をよく目にします。
というのも、先日訪れた世界のタイルミュージアムでのテラコッタとの出会いがあったからです。
震災後、活躍したのが杉浦非水という人。(私はお初にお目にかかりました)
テラコッタもそうですが、復興のためにこうしてたくさんの人が目にするポスターで街中を明るい雰囲気にしていたんですね。
こうやって当時の人たちの気持ちを盛り上げていったんだと思うと、美術、芸術のチカラ、その役割は本当に大きいと思いました。
ポスターを観ていると、情熱、勢い、充実感、上昇感、登っていくしかない。そんな雰囲気が伝わって来て、圧倒されました。
そして、思うのが、今、何かあったら、いつもひとりでそれを心地良いと感じている私は、何か一つのことを信じて誰かと団結するなんてことができるのだろうかということでした。
人間の行き着くところ、あっけない人間
この展覧会では「上昇」だけでなく、第1章から「降下」についても展示がされていました。
「歴史は繰り返す」という言葉が頭を過ぎります。そして、その先には人類ないんじゃないか!とまで考えてしまいました。
以下、私の頭の中です。
・チャップリンの映像「モダン・タイムス」にはじまり、(機械に使われる人間がおかしくなってしまい、その後貧しい女性に出会ったり、別の仕事をすることにより回復していく)
↓
・萩野監督の映画、(1933年の映画。作中で10年後の世界大戦のことを予言していたり、100年後の人間があっけなく兵器や科学の力で死んでしまう)
↓
・空山基のアンドロイド(人類なくなるのでは⁈)
↓
そして考えてしまうのが今の世界情勢や日本の止まらない円安です
もしかしたら、人類がなくなる方向への兆候がまず日本に現れているのでは⁈
私はこうしてパートタイマーで美術館で働き、休みの日には美術館を巡って、noteを書いてという日々がとても好きで気に入っています。
美術に関心を持つことは、以前の好きでもない仕事をして、家に帰れば家事や家族の世話をこなすだけの日々をとても充実したものにしてくれました。
皮肉なことに、その美術を知っていくに連れ、「永遠」はないのだということに気づかされます。
こんな日々がなくなる日が近いのかもしれないと思うと、残念でならないです。ただただ、大きな動きを前に何もできない無力な自分に、どうしようもなさを感じるだけです。
「あっけない」という言葉、そのものだと思いました。
が、「考えてもしょうがない!それでもまた日は登る!」ということで、今ある幸せに感謝することがいちばんだと思い直し、レストランへ腹ごしらえに行きました。
ちなみに、この展覧会でまたブランクーシの「空間の鳥」に出会えました♪
先日訪れたブランクーシ展です↓
ポーラ美術館での私の過ごし方 and リヒター展
企画展、コレクション展など毎回盛り沢山なポーラ美術館です。
参考までに今回の訪問のルートを紹介します。
HIKARU project→企画展→ランチ→コレクション展→リヒター展→杉山寧展
という順番で見て回りました。
HIKARU projectとランチ、リヒター展について以下書いておきます。
ポーラ美術館では、HIKARU projectという展示がある
HIKARU project とは、ポーラ美術振興財団の助成を受けているアーティストの作品を紹介している展示なんだそうです。
今回は、大西康明という方の「境の石」展でした。
美術館に入って、エレベーターを降りていくと大西さんの作品が出迎えてくれます。
素敵な景色です。
触らせてもらいました。
私はここでもやはり「キレイだな〜」という感想しか持てなかったのですが、いただいた冊子にはこんなことが書いてありました↓
こちらを読んで、こんなふうに美術を捉えることができる人って「すごいな〜」とまた単純な感想終わるのでした。
企画展だけでも廻るのに2時間弱かかりました
私の場合はかなりゆっくり観て回ります。なので早い方だともっと時間はかからないかもしれません。
朝10時頃に着くように行って、HIKARU project と企画展を観たらランチ休憩をオススメします。
お腹空きながら展示を観ていると、クラクラしちゃいますから。
レストランはお高めです。
私はヴィーガンプレートを頼みたかったのですが、2,600円します。
オーダーする直前まで悩んでいたのですが、前回と同じシーフードカレーをオーダーしている自分がいました。
その後、コレクション展、リヒター展、杉山寧展を見て来ました。
今回はリヒター展について書いておきます。
リヒターの作品には昨年の国立新美術館での「テート美術館」展で出会っていて、かっこいいと思っていたのですが、今回の新収蔵作品はちょっと違いました。
もともとある作品を使って、その色を引き延ばしたということなんだと思うのですが…
現代アートっていうのは、何でもありだなと思わずにはいられませんでした。
作成するのに膨大な作業工程があるのは納得できるのですが、うーん、私にはこれだと新しいアーティストは何をしたらいいのかわからなくなるのは当然だと思いました。
誰もしたことがないことをするって本当に難しそうです。
それこそ、100年後、今の現代アートがどんな評価をされているのか気になるところです。
展示の仕方はとてもカッコ良かったです。
最後に大好きなショップの書籍コーナーへ
やはり美術館のショップに置いてある本は興味深いものが多いです。
そして楽しい。
香水瓶図鑑という分厚い本が置いてあって、とてもおもしろそうでした。
図録を辞めてこっちを買おうかと悩んだのですが、めちゃくちゃ高い。5000円以上しました涙
結局、いつものように図録を購入することにしました。
前回ポーラ美術館を訪れた際のnoteです。よほど気に入ったのか、興奮していたのか、5つもnote書いていました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次はどこの美術館に行こうか、とても楽しみです。
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