見出し画像

趣味すら楽しめなくなったとき

ここ最近で、私はようやく自分がうつ病なのだと認識することができた。どんなにつらいこと、どんなにしんどいことがあっても自分の心を無視した結果、つらいことも、楽しいこともわからなくなっていたのだとようやく気付いた。

中学の時から、いじめの標的になり、すでにうつ病気味だった。「笑った顔が気持ち悪い」と言われ、笑えなくなった。必死で勉強していたのに、勉強やテストができるからといじめられ、勉強すること自体がつらくなってしまっていた。もう既にこの頃から、うつ病チェックをすれば全て当てはまるくらいにはなっていた。

そして、もう3年くらい前にうつ病と診断されてから、もともとうつ病気味だったのが、さらに輪をかけて悪化していった。

まず、起き上がることができない。これはうつ病の話でよく言われることだけれど、私の場合は明らかな身体症状があった。腹痛だ。謎の腹痛に襲われて、3日に1日しか外に出ることができない。その1日も、外から帰って来た後に、動くことも食べることもできないくらいの腹痛に襲われるくらいの覚悟をして出なければならない。そのくらいのキツさだった。

そうして、時が経つにつれ少し回復したが、薬が合わなかったこともあり、ショックが大きかった。どんな睡眠薬を飲んでも眠れないし、どんな抗うつ剤を飲んでも気分が落ち着くことはなかった。もう私の病気は――そのときは病気とすら思っていなかった――治らないんだという結論を自分で作ってしまった。

そうして、思うように治らないまま無理をし続けていくうちに、「楽しい」という感情はいつの間にかなくなってしまった。

「楽しい」という感情を感じた時、そこには達成感のような明るい光が感じられる。うまく例えられないが、視界がはっきりし、進むべき道が見えているような感じだ。そこに後悔や悲しいといった感情はない。

しかし、今まで私が「楽しい」だと思っていたものには、後悔や悲しみが必ずついてきた。友達に水族館に連れていってもらったとしても、周り終わった後は、こんなことに時間をつかってしまって他のことが出来ていないという「絶望感」と、なんで役にも立たない(と勝手に自分で決めていた)ことに時間を使ってしまったのだろうという「後悔」だった。おまけに、水族館にいる間は、早く見て他のことをやらなければという「焦燥感」であまり楽しむことができなかった。でも、それが「楽しい」なのだと自分に言い聞かせてきた。そして、休みが来る度に後悔で涙が止まらなくなった。なかなかヤバい状態だったんじゃないかと思う。

最近、薬を増やして、ようやく「楽しい」がわかるようになった。「読まなきゃいけない本があるのに読めない。読んでも頭に入ってこない」と思っていた本も、ようやく読めるようになった。何が書いてあるのかもわかるようになって、感動すら覚えた。

「楽しい」がわかった。そして、心が「つらい」と非常事態を教えてくれているのもようやくわかった。

ここに戻るまで生きていてよかったと本当に思う。

いただいたサポートは、ペンギンの本や水族館に行く旅費の足しにします。