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映画『Summer of 85』 (ネタバレ感想文 )オゾンの「太陽がいっぱい」

宣伝的には、「夏の恋は肌見せ勝負」でお馴染み『君の名前で僕を呼んで』(17年)的な印象ですが、私は『太陽がいっぱい』(1960年)だと思うんです。
そう思ったきっかけはヨットですが、スーパー16mmフィルムで撮影したという映像もアンリ・ドカエが撮ったザラついた画面を想起させます。

『太陽がいっぱい』って、同性愛的な描写や要素は一切ないんですが、淀川長治先生はその匂いを嗅ぎ取り「これは同性愛的願望を描いた映画だ」と喝破していました。まあ、ヨドチョーさん自身がそうだったから敏感だったのかもしれませんが、これ凄いことだと思うんです。
ウィキペディアによれば「あまり賛同者はいなかった」そうですが、他で聞くところによれば「誰も賛同者はいなかった」そうです。それもそのはず、前述した通りそんな描写はないし、そんなことが(暗喩にせよ)映画に描かれるなんて誰も思わない時代。
パトリシア・ハイスミスが『キャロル』(15年)を別名義で書いていたことと自身の半自伝であったことを明かしたのが、たしか1980年代に入ってから。
だから彼女が、自身の秘めた同性愛指向の香りを『太陽がいっぱい』の原作に散りばめていたとしても不思議はないのです。
しかしヨドチョーさんが喝破した時点でそんなことは誰も知らない。いやおそらくルネ・クレマンもそんなことは知らずに演出している。でも、ヨドチョー先生だけは嗅ぎとったのです。

本作の時代設定は1985年。『太陽がいっぱい』から四半世紀経っても同性愛に対する世間の目は基本的に変わっていません。
親友ダヴィドの母親が最期の挨拶すら許さないほど執拗に主人公アレックスを責めるのも、おそらく二人が愛し合っていたことを息子から聞かされたからでしょう。
しかし、海辺で出会った21歳の女の子は男同士の関係を聞かされてもあっさり納得します。
たしか『君の名前で僕を呼んで』の設定もほぼ同時期の83年。ちなみに『トッツィー』が82年。80年代はLGBTにとって少し風向きが変わり始めた節目の時代だったのかもしれません。そういやボーイ・ジョージ「カルチャー・クラブ」も80年代だ。

私はこの映画を観ていて、「蛇に睨まれた蛙」という言葉が浮かびました。
「呪いをかけられた」と言ってもいい。

ダヴィドは出会って早々、自分の服を着せ、髪に触れ、(実現はしないけど)髪をカットしたいと言い、あっという間にアレックスを絡め取っていきます。
アレックス側からすれば、受動的/能動的の違いはあれど、『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが友人に成り代わっていく様に重なります。
そしてとうとう「おれの墓で踊れ」という呪いをかけられるのです。ビビデバビデブー。

そう考えるとこの映画は、アレックスが「書く」ことを通して呪いを解いていく物語とも読み取れます。
そこが、知らぬ間にかけられた呪いで破滅する『太陽がいっぱい』と大きな違いかもしれません。

それにしても、何でロッド・スチュワートなんだろう?
俺、若い頃嫌いだったなぁ。だって「アイム・セクシー」なんて言ってる奴、信用できねーじゃん。

(2021.09.05 ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞 ★★★★☆)

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監督:フランソワ・オゾン/2020年 仏(日本公開2021年8月20日)

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