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映画『小間使の日記』 (ネタバレ感想文 )実は政治映画。実はブニュエルのガチ。

約35年前、当時大学生だった私が観た初めてのブニュエル作品でした。
というわけで思い出話を綴る予定でしたが、久しぶりの再鑑賞で新たな発見があったので取りやめ。
歳をとったら「説教」「自慢話」「思い出話」をしちゃいけないという高田純次の教えもありますしね。

この映画、「小間使がブルジョア家族の奇妙な生活を覗き見る」という『家政婦は見た』的な要素と、靴フェチ脚フェチといった「ブニュエルの変態性」を重ねて語られることが多いように思います。
そんな言説は見飽きたというのもありますし、改めて観たら、私は全然そうは思わなかったんですよね。

ジャンヌ・モローはジャンヌ・モローである

『女は女である』(61年)みたいなこと言ってますが、そっちはアンナ・カリーナ。そういや「ヌーヴェルヴァーグの恋人」ジャンヌ・モローはゴダール作品には出てないな。

そもそも、大女優ジャンヌ・モローが小間使いとはどーゆーこと?
ジャンヌ・モローは市原悦子じゃないんだぞ!
ジャンヌ・モローは小松菜奈なんですよ。いや、小松菜奈が日本のジャンヌ・モローなのです。何を言ってるんだ?
私は「小松菜奈はジャンヌ・モローになれる逸材」だと布教している宣教師なのです。

結果、使用人のジャンヌ・モローが一番偉そう(笑)。
フランスの杉浦直樹=ミシェル・ピコリをはじめ、男どもを手玉にとっちゃうからね。さすがジャンヌ・モロー。ジャンヌ・モローはジャンヌ・モローである。

今回改めて感じたのですが、ブニュエルの映画である以前に「ジャンヌ・モローの映画」のような気がします。
この映画の不可思議さは、ブニュエルの変態趣味もさることながら、ジャンヌ・モローの存在が大きいのではないでしょうか。
彼女は悪魔なの?天使なの?彼女の存在が不思議なんですよ。
(ほら、小松菜奈でしょ?)
邪悪でキュートなジャンヌ・モローの魅力と、セレスティーヌというキャラクターがうまく重なってると思うのです。

でも、あらすじでよく書かれるような「覗き見る」立ち位置かな?
一見、かき回す立場にも見えます。『家政婦は見た』よりも『家族ゲーム』(83年)の松田優作。「男どもを手玉にとっちゃう」辺りがそう見えるのでしょう。沼田君ちはあれですか?
しかし冷静に見ると、セレスティーヌもまた、この奇怪な世界に次第に同化していくようにも思えます。

ブニュエルの「ガチ」

私はずっと「幻想的」な印象でいたのですが、改めて観たら「ガチ」な作品だと思うんです。

ブニュエル作品中最もリアリスティックな作品の一つ。そのせいか、ブルジョワ風刺と社会批評もいつも以上にその辛辣度を増している。

特集公式サイトより

それはね、ブニュエルの「ガチ」だから。

「映画は時代も国境も超えない」というのが私の持論で、たしか押井守の言葉だと思うんだけど、もし違っていたら私が言ったことにしといてください(笑)。
とにかく、この時代のこの国のことは、皮膚感覚では理解できない。

この映画の製作は1964年ですが、劇中の設定は1930年半ばのフランス。
右派と左派に分裂して大騒ぎだった時代らしいです。
第一次大戦から第二次大戦の間、ヨーロッパ各国は大揺れに揺れていたんですよね。例えばドイツなんかは、混乱に乗じてナチスが台頭してしまう。海を越えた日本だって、軍部の力が強くなり国全体が右傾化していきましたもんね。
たぶんこの当時(映画の設定)のフランスは、右派・左派の政権が短期間で入れ替わるなど政局が不安定で、国民も思想的に分断されていたかもしれません。コロナ対策だってフランス国民は一家言持ってるもんな。

その時期、ルイス・ブニュエルはスペインにいました。スペイン内戦の頃です(1936-39年)。
若きブニュエルは左派側で参戦するも敗北し、国外へ逃亡したそうです。
要するに、この時代背景には、ブニュエルの「恨みつらみ」が込められているのです。

「ファシズムの勃興/邪悪なものの勝利」に暗に警鐘を鳴らす。

特集公式サイトより

幼女の暴行惨殺シーンを、走るイノシシと振り返るウサギで描写するんですよね。これはもう「右派と左派」「邪悪なものの勝利」の明らかな暗喩に思えます。明らかな暗喩って何だよ。
自分で書いててナンですが、「セレスティーヌも奇怪な世界に同化していく」というのもあながち間違いではないと思うんです。たぶん、冷静な立ち位置でいた人も飲み込まれてしまう、そんな時代の空気をブニュエルは描いていたのかもしれません。

そしてそれが(特集公式サイトに書かれているように)「ファシズムの勃興に警鐘を鳴らす」意図であったとしたら、何故いま?ということになります。
この映画が作られた1964年はドゴール大統領の時代。
強いフランスを目指した強い大統領は、実際フランスの国力を復活させましたが、一方で「独裁的」という批判もあったようです。
これは、そういう時代に作られた映画なのです。
そう考えると、いろいろ納得がいく。
ちなみに、そんなドゴールを暗殺しようとするのが『ジャッカルの日』(73年)ね。

(2022.01.29 角川シネマ有楽町にて鑑賞 ★★★☆☆)

監督:ルイス・ブニュエル/1964年 仏=伊

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