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映画『サン・セバスチャンへ、ようこそ』 ひとり映画祭。高度な自虐ネタ(ネタバレ感想文 )

ウディ・アレンが好きだと言うと、高尚な趣味を鼻にかけた嫌な奴と思われがちですが、ええ、ええ、そうですとも、私はウディ・アレンが大好きです。
自分でもビックリしますが、『カイロの紫のバラ』(1985年)以降の長編監督作品(たぶん36本)は全部劇場公開時に映画館に足を運んでいます。
いろいろ観返したいんですよね。特に初期作品。

毎度毎度同じような話を手を変え品を変え作るウディ・アレンですが、40年近く付き合っていると、プライベートの好調/不調と、作品の出来/不出来がリンクしてるのが分かるんですよ。

今、不調(笑)。

有体に言えば今回の作品、ウディ・アレンが主人公の小説家に自己投影し、その言動を通して自身の心情を自虐ネタ的に吐露している映画です。

いろいろあってアメリカから干されているウディ・アレンが、アメリカ(大衆娯楽文化)に毒づきながら、ニューヨークへの未練はタラタラで、自分は「高尚な趣味を気取った俗人だった」と反省するのです。

もっと要約すれば、いろいろあったウディ・アレンが、自分の存在意義を振り返る映画なのです。

そこで彼はふと気付くのです。
「(自分は)小説家ではなく読者だった」という台詞があります。
映画に置き換えれば、ウディ・アレンは「自分は映画監督ではなく、一人の映画ファンだった」と回顧しているのです。
「書いては破る」小説家は、「映画を作り続けてきたが、まだ満足いく作品を生み出せていない」という心情吐露なのです。
そうだ!僕は映画で育ったんだ!僕は映画で癒されるんだ!
同じようなことは『ハンナとその姉妹』(86年)でも唱えていたな。

そして、「高尚な趣味を気取った嫌な奴」ウディ・アレンは、アメリカを干されたのをいいことに、ここぞとばかりにアメリカ人には分からないネタをぶっ込んだのです。
アメリカ人は外国映画を観ませんからね。『8 1/2』(63年)言うたら『ナインハーフ』(86年)が出てくる国だから。

オーソン・ウェルズ『市民ケーン』(41年)
フェリーニ『8 1/2』(63年)
トリュフォー『突然炎のごとく 』(62年)
クロード・ルルーシュ『男と女』(66年)
ゴダール『勝手にしやがれ』(60年)
ブニュエル『皆殺しの天使』(62年)
ベルイマン『仮面/ペルソナ』(66年)、『野いちご』(57年)、『第七の封印』(57年)

知らないと「その夢、何なん?」になっちゃう名作映画パロディーのオンパレード。
フェリーニはちゃんとデブ女が出てくるし、ブニュエルはちゃんと脚フェチだし、『第七の封印』の死神なんか健康アドバイスしてくれんだぜ(笑)

これはサン・セバスチャン映画祭を舞台にしたウディ・アレンの「映画祭」だったのです。

元々、彼の作品は様々な映画の影響を受けていることは分かっていました。
本作のような正面切ったパロディーではなく、換骨奪胎した本歌取りが多かった。

例えば、『アニー・ホール』(77年)は、すごーくよくしゃべる『男と女』だと思うんです。あくまで私個人の感想ですけどね。
『インテリア』(78年)はベルイマン、『スターダスト・メモリー』(80年)は『8 1/2』じゃないかな。
他にもいっぱい思い当たるフシはあるんです。
『ウディ・アレンの影と霧』(92年)はフリッツ・ラングかな、とか。

だから観直したいんですよ。私もいろんな映画を観て経験を積んできましたからね。当時気付かなかった「本歌取り」が分かるともっと楽しいに違いない。そう思わせてくれる映画でした。

ま、どうやら「不調」の時期のようだけどな。

ああ、でも、夕陽を切り取るビットリオ・ストラーロのカメラは相変わらず美しい。

左ビットリオ・ストラーロ(撮影当時80歳)/右ウディ・アレン(撮影当時85歳)

(2024.01.21 恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞 ★★★☆☆)

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