記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『泥の河』 (ネタバレ感想文 )田村高廣はマストロヤンニ

監督:小栗康平/1981年 日

阪妻&田村高廣特集上映の一つとして上映していたので映画館に足を運びました。大学生の頃にテレビで鑑賞して以来30数年ぶり、初の劇場鑑賞。
正直、やたら評論家ウケが良くて様々な映画賞を受賞したことと、加賀まりこが美しかったことと、退屈だったことしか覚えていませんでした。

いやー、若い頃は何も判ってなかったな、俺。
再鑑賞して評価爆上がり。退屈どころか、めちゃくちゃいい映画。

制作は1981年(昭和56年)ですが、映画の舞台は昭和31年の大阪。
敗戦から11年後の設定。
映画は一貫して9歳の少年の視点で描かれます。
そこで描かれるのは、戦後生まれの少年自身の思春期の物語と、少年の目を通して見た父親の物語です。

思春期の少年の物語は、友情や別れはもちろんのこと、私は「初恋」だと思うんです。友達のお姉ちゃんやお母さんに対して、9歳の男の子が無自覚に抱く「異性への意識」。加えて、父親の昔の女性に対する違和感。
これが「エヴァ」14歳の碇シンジだと、もっと性的な欲求も伴って「女性に囲まれる物語」になるんだけど、9歳男子は無自覚なんですよ。

そして父親の物語。
おそらく舞鶴のひとは、戦時中よくあった「出征前の結婚」の相手なのでしょう。
いわば、『ひまわり』(1970年)のソフィア・ローレンに相当する人。
つまり田村高廣はマルチェロ・マストロヤンニなのです。

言い換えれば、この映画に登場する大人たちは全員(PTSDという言葉の無い時代の)戦争による後遺症を抱えた者たちであり、戦争によって運命が狂ってしまった人々なのです。
彼らは、まだ戦争体験を「精算」できていない。
しかし、劇中にも出てきますが、「もはや戦後ではない」と経済白書で宣言して、日本国は戦争を無理矢理「精算」しようとしている。

これは、戦後10年を経て、なお戦争の呪縛から逃れられず、変わりゆく時代に取り残された者の悲しい物語なのです。

(2022.08.11 ラピュタ阿佐ヶ谷にて再鑑賞 ★★★★★)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?