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ゆきずりの街に暮らす


今日は今私達夫婦が住んでいる場所について書いてみようと思う。

関西、大阪に詳しい人はなんとなく場所が特定されるかもしれないが、それもまた良しとする。

7年ほど前に今のアパートに引っ越して来た。それまでは大阪市内といえども限りなく郊外に近い雰囲気のところで暮らしていたので街暮らしは、とても新鮮に感じた。

当時まだ大学生だった息子は大学までの交通の便がよくなったにも関わらず、友達とシェアハウスするだの、一人暮らしするだの言って出て行ってしまったので、基本的には夫婦二人暮らしとなった。

最寄りの地下鉄の駅からは徒歩3分。その地下鉄駅と私鉄の大きなターミナル駅が地下道で繋がっている。ターミナル駅上には小さめの百貨店。百貨店そのものは今時、あまり用事がないが、デパ地下はそれなりに充実しているし、大きな書店と小さなニトリが店舗として入っている。隣の商業施設には無印良品とユニクロ、グローバルワーク、最近できたカルディ、マクドナルドなど。セリアもあるな。ちなみに大阪最大の街、梅田までは地下鉄で12分。新幹線に乗りたいと思ったら新大阪まで20分強。飛行機は私鉄ターミナル駅から伊丹、関空行きのリムジンがある。便利すぎる。

KFC、モスバーガー、ミスド、サーティワン、大きめのダイソー、吉野家、なか卯、丸亀製麺、各種ドラッグストア、郵便局、銀行、各種コンビニ、24時間営業のスーパーマーケット、ドンキ、図書館、他の公共施設、スポーツジム、マッサージ、ネイル、金券ショップ、医療機関各種。全部徒歩圏内にある。

もちろん飲食店も数限りなくある。飲み屋、定食屋、フレンチ、イタリアン、焼肉、寿司、蕎麦、うどん、ラーメン、インド料理、ベトナム料理。きりがない。いつまで経っても制覇出来ない。

坂が多いので、自転車に乗る人は大体電動アシスト自転車に乗っているが、私は健康のことも兼ねてできるだけ歩くようにしている。
これだけ商業施設や医療機関が徒歩圏内にあるのだから、歩いたほうが手っ取り早い。

夫が休みの日は、少し足を伸ばして東西南北範囲を広げて歩いてみる。なかなかこれが興味深い。

西へ歩けば日本橋、難波という繁華街へ15分程度。今の時期は海外からの観光客でごった返しているのであまり、道頓堀などには近づかない。

南はあべのハルカスでお馴染みの天王寺中心エリア。ここも昔はホームレスがウヨウヨ居たのにこざっぱりと変貌した。少し横丁をはいると未だ少しディープな天王寺がそこかしこに雰囲気が保たれている。

散歩をしていると、街の雰囲気というか、そこに暮らす人々の息づかいのようなものを良く感じる。古い街、新しく開発された街、そのどちらもが混ざり合う街。

そういう意味では私達が暮らしている街は古さも少し残りながら、空いた土地にはどんどん新しいビルやマンションが建ち、新陳代謝を繰り返しながら、少しずつ変貌しているという表現がピッタリ来るような気がする。

ただ、私達が暮らしている場所はなんと言うか、とても「ゆきずり」感が漂う。
ゆきずりと聞くと、なんだかエロティックな響きも伴うが、もちろんそれも含めてなのだろうけど、なんと言うか、人と人との関係が薄いと言うか、皆あまり酸素吸ってないんちゃうかとか、一期一会といえば響きは良いけど、超一期一会。昨日喋った人も今朝になればもう赤の他人。そこらへんですれ違っても顔も思い出すことが出来ないくらい、皆の存在感が儚い。

歩いていると、私達が住む地域から少し北側や南側に行けば、そこには確かに人が真っ当に暮らしている雰囲気がある。幼稚園や学校があり、品揃えの良いスーパーがあり、病院があり、個人経営の少しこだわった本屋やカフェやレストランがポツポツとあり、そこには人の営みがきちんと感じられる。

その「人の営み」感がどうも我が家の近辺はあまりないのだ。

一つは先に書いたように地下鉄と私鉄の大きなターミナル駅があり、商業施設やビジネス関係のビルが多く、ここはどちらかと言うと皆が用事でやってくる場所で、暮らす場所ではないと言うこと。だから平日は混んでるいる店も土日はガラガラと空いている。

もう一つはラブホが点在し、その間を縫うように(実際には順番は逆なのだが)お寺がびっしりと軒を連ねた場所だからだ。
ラブホは、「ゆきずり」と言う言葉がぴったりの場所だ。普通のカップルももちろん利用しているし、女子会プランもあるようだが、圧倒的にプロのお姉さん達の職場である。
刹那の関係にはあまりにも当てはまり過ぎる。

お寺は、古くは大阪城を豊臣秀吉が建てた際に南側が守りが少々甘かったらしく、大阪の南側にあった寺をかき集めて来たという言い伝えがある。京都などの観光客向けの拝観料をとって見せるお寺ではなく、どこも基本は昔ながらの檀家さんを抱えているっぽい。
檀家ビジネス、厳しそうだけどね。
最近は流石に宗派、流派問わずと言う流れになっているし、墓石の販売やペット供養などにも力を入れていれているので、それなりにお寺さんも努力はしているのだろう。

各お寺さんは四季折々の花や樹々を丁寧に庭に植えているので、歩いてそっと外から覗くそういう光景もなかなか趣がある。
しかし、あまりにもたくさんの寺、神社を見てしまうと、なんだかこの世は儚いなぁ、そもそも人の一生ってなんだ?人生ってそもそもなんだ?とかいう謎の哲学的な問いが沸々と頭の中に湧き上がり、所詮この世は「ゆきずり」なのかもしれないなどという気持ちになってくる。宇宙の塵より小さい私達の人生なんて、たかが知れているやないかって。

だからいろんな意味でここは「ゆきずり」の土地なのではないかと思える。

近所の立ち飲みバーに行って知らない人と世間話をしても、決して深くは立ち入らない。皆の素性も本当のところはわからない。常連さんも一見さんも外国人も皆ウェルカム。そこでどうでもいい話を少しだけして、皆足早に地下鉄の駅に消えてゆく。

そういう土地柄のせいなのか、夜はびっくりするくらい早めに飲食店が閉まる。立ち飲みバーや後、何軒か飲み屋が深夜まで開いているが、他はあっさり22時くらいに閉店してしまう。こういう所も人と人が、じっくり交わるのを街自体が拒否しているように感じる所以だ。

夫にゆきずりな街やと思わへん?と、聞いたらそこがええんやと返された。
夫はこの「ゆきずり」感がたまらなくいい距離感なのだそうだ。私もたまにそう思うし、実際暮らしていくには便利でええわと思う反面、少し物足りなさも感じる。

良く田舎に移住したら人間関係濃すぎて苦労したとか言うが、たぶんそれの正反対だな。

もうしばらくはこの「ゆきずり」と共に生活してみようと思う。また何某かの発見があるかも知れない。

ここまでお読みいただきありがとうございました。




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