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なんなんだよ #3

深海

地上から200メートル以下の海中はそう呼ばれるらしい。
『深海』そこは一面漆黒の闇。
表層の生物からは想像できないほど特異な形態・生態を持つものも存在する。
水温は氷点下を行ったり来たりするような、冷たい海底。
なにせ太陽の光が届かない。
まさに出口の見えない暗闇の迷路、光が指すことは無いそんな深い海底にピロは沈んでいた。

この日、ピロは掛け値なしの大勝負に、そして引き返すことは出来ない大航海に出航していた。
いや、正確に言えば、それは前日からになる。
ピロは週末の金曜、職場仲間と仕事終わりに卓を囲んだことからこの物語は始まったと言っていい。
その麻雀で、財布の中身をカラにし、激昂したピロは徹マン明けというカラダを無視した挙げ句、そのまま競馬へハシゴするという暴挙に打って出た。

土曜、つまり『この日』になる福島競馬場の第1レース。
ピロは睡魔に悩まされながら、初手であるこの1レース目から大勝負を決め込んだ。
パドック解説さながら全馬の馬体・歩様などの状態を文字通り血まなこになりながら確認した。そこでピックアップされた馬がヘブンズドア(天国への扉)だった。
ピロは軍資金50,000円を握りしめヘブンズドアの単勝を購入した…
はずだった。
言い方の問題かもしれない、こう言おう、
ピロはヘブンズドアの単勝を購入出来なかった。
すまない、もう少し言い方を変えよう。
馬券を間違えたのである。
徹夜という過酷な状況の中、ピロの脳は混乱していた。
眼精疲労も相まって、馬券購入の際、マークシートを誤り隣の番号を塗りつぶしていた。当然、ピロは気づいていない。
買った『はずだった』ヘブンズドアでは無く、隣のヘリコプターという馬の馬券を買っていた。
それに気づいたのは馬がゲートに入ったころ。

「なんなんだよ!!おまえよう!!」
ピロはこの物語のテーマでもある言葉を発し、茫然自失に陥ってしまう。
ヘリコプターに言ったのではない。つまり自分自身を悔やんだのである。

レースはというと、3年目のジョッキー木崎が何かに取り憑かれたような手綱さばきを披露し、ヘブンズドアがぶっちぎりで勝ってしまうのもそれはこの物語の補助的な演出として片付けてしまおう。
一方のヘリコプターは出遅れから、巻き返しを図っていたが、猛追むなしく5着入選に終わった。8番人気、馬の能力からすれば、上出来である。

WINS天神の大型ビジョンの前、ピロは泣き崩れていた。
それは先日に見た『競馬に外れてションベンもらしていたヤツ』とほぼ同じような境遇に自分自身が遭遇してしまったのである。
涙に汗、鼻水に少しの放尿などありとあらゆる体液の決壊、なけなしの軍資金50,000円が第1レースで消失したことも考えれば、頷けるといえば過言では無いだろう。

そんな暗闇の底に張り付いていたピロに一人の少女が声を掛ける。
今日が大学の入学式を迎えるチヒロだ。
「私、競馬少しは得意なんですよ」
こんな薄暗く、汚れた場所に居てはいけないような純粋無垢という言葉がぴったりの少女チヒロから謎めいた言葉が発せられピロは返す言葉が思いつかなかった。

と、ここまでが前回までのあらすじといったところだろうか。
2話目からかなり時間が空いていたから、前置きとして書いておくことにした。だいたいの『流れ』が掴めたと思うが、1話目さらには2話目、まだ読んで無い貴君がいれば合わせて読んでおいて欲しい。

昔、流行ったアニメに似た、この奇妙な組み合わせ。一体どういう展開が待ち受けているのか。
ピロとチヒロの金隠し、第3話に突入していこう。

「いくら負けたって?100万だよ、ヒャ・ク・マ・ン」
ピロは唐突もなく嘘をついていた。
こんな少女に『50,000円でこんな状態になった』なんて言えない。
ピロは精一杯の強がりを見せていた。
一方のチヒロは絶句していた。競馬にそんな大金を突っ込むおっさんがこの世にいるんだと、もはや都市伝説では無いかと疑っていた自分がおろかだったことに気づいた点も絶句する理由の1つだった。

「あんた、競馬が得意なんだろ?勝たせてくれよ200万くらい」
ピロは、少女に縋っていた。半分冗談、半分本気だったのだ。
これには自分自身も呆れてしまっていた。
実際ピロが負けたのは50,000円だ。100万円なんて使ったことも無ければ、負けたことも勝ったこともない。肉眼で見たことも1度か2度くらい、それも自分の金では無かった。

「ちょっと待ってください、競馬は得意ってホントに私のこと信じるんですか?」
チヒロは目の前のおっさんが可哀想に思えていた。
おそらく自分の倍以上は生きてきたはずだ。
若者の言葉に耳を傾けないとならないくらいひどい状態のおっさんに心を痛めた。
この地球のどこかで戦争や紛争を起こすのが人間の常だが、たまにドキュメントで流しているテレビの戦争被害者達のそれに似ているなとチヒロは感じた。ここは日本版難民キャンプかと。

「ああ、もう俺に信じられるものと言えばあんたくらいじゃないかな」
ピロは本気だった、いや本気で信じようとしていた。
もはや自分すら信じられなくなっていたからだ。
「あんたの言う通りに買うから、俺を助けてくれ」
ちょっとまて、あんたお金持ってないだろ?と誰か突っ込んでもらいたいが、現時点で財布にお札は入っていない、馬券を買うにも小銭入れにある300円くらい。

「私、今から大学の入学式なんですよ」
鬼のような目でこちらに顔を向けてくるこのおっさんが怖くなった。
あのドキュメント番組で戦争から逃げてきたと言っていた戦争被害者の人たちと一緒だ、チヒロはその場から逃げたくなった。ここは戦場なんだ、と改めて実感する。
誰かを救いたい、とは常々思って生きてきたが、ここは私の来るところではなかったと反省もした。大学の入学式の時間が迫っている。

「逃げんのかよ?俺を見殺しにするのかって聞いてんだよ!」
相手は少女である。もはや手のつけようがないクズ人間に変貌していく。
ピロは自分自身に失望した。
また俺は負けるのか。こんな少女にも見放され、俺は終わっちまうのか。

「入学式なんて今どき誰も行かねえよ、頼むから俺を助けろよ、なんなんだよ!」
ピロはがむしゃらだった。というか自暴自棄に突入していったと言っていいだろう。誰かれ構わず当たり散らかすあれに似ている。

「時間、もう少し時間ください。えーっと2時間くらい」
チヒロは早口でそう言った。もはや目の前に入学式が迫っている。こんなところで油を売って言いわけがない。
しかも馬券で200万稼げなんて、タガが外れているのも大概だ。
チヒロは少し苛立ちを覚えてきた。こいつは一体なんなんだよ、と。
手助けのつもりで、いや軽率だったかもしれない「私は競馬が得意」という言葉がここまでこのおっさんに刺さってるなんて。
ふと我に返る。
天神のど真ん中で一体私は何をしているんだっけ?
【DiVa Silent Call】のクルミに会いに行くんじゃなかったっけ?
チヒロは脳みそをフル回転していた。

「わかったよ、じゃあ2時間後、またここで待ってるからよ」
またピロは嘘をつきかけた。
だいたいあんた、口座に20,000円しか入ってないだろう?
また競馬に負けて、また家族に罵られるのかよ?

だが、少しづつピロも冷静になっていく。
だいたい、誰なんだこの女の子は?
誰かと人間違いしてんじゃないのか。
会ったこともないただの他人のしかも少女に馬券を託すなんてよ。
俺もどうやらギャンブラーとして次のステージに入ったのかもしれないな。
と自虐的に自分を罵っていた。
待つとは言ったものの、2時間どうすりゃいいのか、ピロは既に高速で点滅を繰り返す自分のカラータイマーに気づいていた。限界がきつつある。
睡魔により鈍くなった思考、そしてゆっくりと瞼を開けたり閉めたりしながら、頭を悩ませるチヒロをWINSから追い出した。

回帰

気づくと、車内の中にピロはいた。
眠っていたのだ。
そらそうだ、金曜の朝7時からおおよそ30時間くらいは起きていたことになる。正気の沙汰ではない。
眠くならないはずはないが、しかしギャンブラーズハイがそうさせていたのも確かではある。
眠りの中でピロは自責の念を夢見ていた。
なぜ俺は麻雀で負けたのかから始まった夢は結局、万馬券を当てる夢で起きた。
チヒロと分かれて4時間後のことである。
チヒロとの1件を忘れていたといえばそうだが、博打場あるあるの1つと言って良いだろうその日会った知らない他客との談笑のそれに近い、とピロはチヒロとの出会いをそう感じていた。よくあること。多分相手も忘れているだろうということだ。
ただ、財布の中の福澤諭吉が元に戻ることはない。
だから…。

ピロはもうひと勝負と意気込んでいた。
なぜなら今日のメインレースは2週間前から狙っていた馬が出てくるからだった。そこでまた自責の念が宿る。なぜ俺は福島の1レースを、と。
失ってからでは遅すぎるが、ピロの座る運転席の隣のシートの上に封筒が転がっていた。
中身は消費者金融から借りた10万円である。
こういったことは初めてでは無く、手慣れたもので、車に乗り込む前にイコムのATMで10万円を借り、気持ちを落ち着かせたところで仮眠を取っていた。
半ば強制的に原点回帰したピロは意気揚々とこの日2回目のWINSへカラダを動かしていた。

「待ってましたよ」
WINSに入って10数歩、背中から聞こえる柔らかい声にピロはゾクッとしたものを感じた。
なんと、そこにはチヒロが立っていた。
2時間後と約束してさらに2時間が経過、現在の時刻はメインレースを控えた15時である。約束の時間はとうに過ぎている。

「びっくりさせるなよ。おじさんをびっくりさせても何も出てこないゾ」
これまた強がりが出た。JRAの亡霊かと本気で思ったからだ。
ピロは恨まれることはあっても敬われることはない。前者の誰か、そう思ったが現れたのはチヒロだった。

「約束どおり、200万当てに来ましたよ、ってか、入学式終わって、すぐに来てたんですよ」
チヒロは朝の泣き崩れたおっさんからはやけにかけ離れたなとホッとした。あの錯乱状態のおっさんのままなら警察署に同行しようと考えていたからだ。
しかし、私もなぜここまで待たされてこんな酸っぱいニオイのする汚いところに2時間も待ちぼうけを食らわされたんだろう、と憤慨していた。

「そりゃ冗談だと思うだろうよ。ここは賭場だぜ?嘘や冗談なんかそこら中に溢れてる場所なんだからよ」
ピロは内心焦りを感じた。この女、虎の子の借金10万円を嗅ぎつけて、この金ふんだくろうって罠を仕掛けに来たんじゃないか、と。
金を無くせば人間不信、金を持てば人間不信、ギャンブラーあるあると言えばそうかもしれない。

「さあ、始めましょうか。あっ自己紹介して無かったですね、私チヒロって言います」
唐突に自己紹介が始まる。
「俺は、倉ヒロノブ、周りからはピロさんって呼ばれてる。チヒロちゃん、よろしく頼む」
しまった。ピロはバツの悪い顔をしてしまう。
普通に本名を言ってしまったからだ。寝起き全開、これは悪手だろう。
先日、上司の浜口がマッチングアプリで本名を公開してしまったが挙げ句、家まで調べられて不良に巻き上げられたって噂が広がっていたからだ。
何が聖人君子だよ。妻子もいるっていうのに、マッチングアプリでハメたはいいがハメられたってんだから、あいつはやっぱろくでもねえ奴だ。
このご時世、調べようと思えば家まで調べられるんだから本名はまずい。
うっかりマークシートも間違えたが、ここにきてうっかり本名もバラしてしまう。もはやここまでくると、あまりに負けが混む理由も頷ける。

「ピロさん、本名言ってしまったって顔しましたね、私も本名ですから大丈夫ですよ、大山チヒロです、お願いします」

「で、どうするかね、どのレースで200万円当てようか」
ピロは早速本題、と言わんばかりだ。
「ちょっと私、この空き時間に調べてきましたよ、中山競馬場ってとこである11レースですね。ここで当てたいんですよ、ていうか、もうすぐ始まります」
「えっちょっと待って、俺もこのレース狙ってる馬がいてさあ」
どうやらチヒロが当てると豪語するレース、それとピロが狙っているレースが合致しているらしい。これは面白い展開が待っていそう。

「もうあんまり時間がないから、早速チヒロちゃんの言う馬を教えてもらおうか」
待て待て待て、そもそもさあ、チヒロがなんでこうも競馬が得意とか言ってんのかとか、当たると信じれる根拠をまず聞けないのかね。
どこの馬の骨かもわからない少女に踊らされてる感じがするんだけど。
しかもだ。この馬を教える代わりに10万よこせなんて言われたらピロはどうするのか。

「もうひとつ確認させて、チヒロちゃんが言う馬を教えて貰うかわりに代金が発生するのかな」
チヒロはこの日一番の気持ち悪さを感じた。
おっさんにカラダを売ってる同級生らは、夜な夜な警固公園で客引きをしているらしい。警固公園って言ったらこのWINS天神の裏手にある場所だ。
いつだったか、そんな噂話を聞いたチヒロはカラダを売るという行為自体に胸糞が悪くなったのを思い出した。
つまり、ピロの『代金が発生するのかな』という言葉と『カラダを売る』同級生をシンクロさせてしまい、吐き気を催すほどの気持ち悪さが込み上げてしまう。
私を売る?冗談じゃない。チヒロはその瞬間、憤怒という気持ちに切り替わった。

「そんなわけ…。なんか言い方が気持ち悪いですよ」

「そういうことはハッキリしとかないとな。最近多いんだよ、商材って言って、勝つ馬教えますから金よこせってヤツがさ」
これでもかというほど、ピロは商材屋の予想で負けている。

「それ、何が楽しいんですか?多分、ですけど競馬って『この馬が誰よりも強い』って予想して楽しむものじゃないんですか?」
チヒロは語気を強めた。
ピロは返す言葉がない、チヒロは競馬の本質をついているからだ。
いったいいつから俺は競馬を楽しめなくなったんだ、自戒の念でピロは頭痛がしてきた。
その刹那、けたたましく携帯音が鳴り響く。チヒロの携帯電話だ。
チヒロはそそくさとスマホを手に取り左耳にあてている。

「もしもし。わかってるって。13番でしょ。ありがとう。いやまだ買ってないよ。うん、あと10分くらいでしょ。急いで買います。じゃあまたね」

「誰?ひょっとして買いたい馬って言ってたの13番?」

「はいそうです。13番。えーっと『パラサイトクルー』です」

「げっ。俺の狙い馬もそれなんだけどさ」

ピロとチヒロの買いたい馬が合致していた。
まあ、小説なんかにゃある展開だなと思う。
さっきの電話は誰からだったのか、それは次回チヒロの隠された秘密でわかることになる。
ショートストーリーなんて言ってたけど、まあまあ長いな。

続く

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この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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