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インドのひとたちとわたくし。(74)-玉ねぎのねだん

 「玉ねぎの値段がすごく上がってる。1キロ100ルピー(1ルピー=約1.5円)を超えるなんてあり得ない」と、スミットが言う。

 スミットの妻のプリちゃんがフライトから戻ってきて合流するまで、空港近くのホテルのバーで一緒に飲んでいる。妻の前ではスミットは「飲まない」ふりをするので、今だけ、時計とにらめっこしながらオールド・モンクのコーク割を美味しそうに飲んでいる。ははは、絶対それ、ばれてるって。

 30代で子どもがなく、二人ともフルタイムでばりばり働いている彼らのようなカップルの場合、男性でも料理をするひとは割といるらしい。スミット家では、二世帯住宅に同居する彼の両親も台所に立つ。家でいちばん料理が上手いのは彼のお父さんだというからそれは大したものだ。
 中高年男性で、家庭で料理するひとは珍しい。聞けばお父さんのお父さん、つまりスミットのおじいさんがまだ若いころ、奥さんが病気で身体が不自由になってしまい、その奥さんから口伝えで料理の仕方を習ったから、お父さんも子どものときから料理するのが普通になったのだという。お父さんの作る「パラタ」がなにより美味しいから、お父さんが料理をする日は絶対に早く帰るのだそうだ。

 そんな家庭で育っているので食料品の値段にもスミットは敏感である。あっという間に玉ねぎが高くなったのは私も実感しているから話が合う。

 夏頃から、デリーの野菜供給地である周辺州で、洪水や季節外れの降雨によって、トマト、玉ねぎ、じゃがいもなどの、インド人にとって生命線となる基本野菜の価格が急騰している。いつも行く八百屋の店主が夏に、「洪水のせいで野菜の値段が高いけど、もうすぐ元に戻るよ」と言っていたが、どうもそうはなっていない。玉ねぎは夏から50%以上の値上がりらしい。それはもう、トップニュースになるくらい大ごとだ。

 価格の高騰ばかりか供給そのものが不足しているので、政府は急いで玉ねぎの輸入量を増やしている。その玉ねぎの値段に引っ張られて小売インフレ率は、インド準備銀行(RBI)の目標率4%を上回る勢いだ。野菜だけ見たらもっと上がっている。
 昨年夏は袋いっぱいに野菜を買ってようやっと100ルピーだったのが、この頃は同じ量でも200ルピーを下回ることはない。これら基本野菜のキロ当たり価格が100ルピーを超えるのは前代未聞だという。景気浮揚を狙って金利引き下げを考えていたRBI にとってはよくない材料である。

 日本の感覚からするとそれでも十二分に安いのではあるが、収入の少ない家庭にとっては大打撃だ。

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 スミットが腕時計を見て、「もうおしまい」と言って水を頼む。プリちゃんが着くのだ。ロビーに出てみると、いそいそとスミットが彼女のキャリーケースを受け取りに行く。わお、制服姿のプリちゃんだ。初めて見る。国内最大手のエアラインのCAで、ドバイやスリランカ、トルコあたりまで飛び回っている。濃紺のワンピースとコート、サンダーバードみたいな小さい帽子を頭に載せている。今日は二カ所経由でたいへんだったみたいだが、さすがにプロフェッショナル、メイクも髪もまったく乱れていない。プライベートのときと全然、違う。バービー人形みたいだ。

 プリちゃんはこの5年以上、ヴェジタリアンに徹している。最初は卵すら食べなかったのが、長時間の立ち仕事をするのにそれではダメだとスミットが叱って、卵とミルクは強制的に摂らせている。朝は卵を焼いて、夜はミルクを温めて、それはスミットがやっている。海外に行くのが大好きなので今の仕事はとても向いているのだが、困るのは食べるもの。トルコでも食べられるものがなくて果物ばっかりだったらしい。

 プリちゃんは明日、貴重な休みなのに忙しいスミットに代わって、朝早くから私たちのゲストに付き添ってホテルから空港までアテンドしてくれる。インドの空港は警備が厳しくて、航空券を持たない一般人はターミナルにすら入ることができない。エアラインのID を持っているプリちゃんだから、カウンターまで一緒に行くことができるのだ。
 最近のプリちゃんは「日本語を覚えたいけど、夫が絶対に教えてくれない」と言っている。それはそうでしょ。プリちゃんが理解できたら困ることがスミットにはあるんだよ。ぜーったいそうだよねえ、と車の中で寝たふりをするスミットの横でくすくす笑う。
 ねえねえ、どっちが王様/女王様でどっちが家来なのと、からかって聞いてみると、お互いを指さしながら、「私が家来、あっちが王様/女王様」と同時に言う。この二人はほんとうに可愛らしい。

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 それで問題の玉ねぎ価格であるが、昨日も近所の馴染みの屋台で玉ねぎとトマトとにんにくを合わせて一袋ばかり買った。いつもの感覚で100ルピーくらいと思ったら、「120ルピー」だという。やっぱり上がっている。100ルピー札1枚しかないよと手のひらを開いて見せたら、店主が「残りは次でいいよ」と負けてくれた。バナナが6本で30ルピーなのに、玉ねぎは確かに高い。てか、バナナ安い。

野菜の価格が急騰(Business Today, 16th Dec, 2019)

野菜の卸売価格 (Business Insider, 17th Dec. 2019)

11月の小売インフレ率は3年ぶりの高値(The Economic Times, 12th Dec. 2019)

(Photos : INA Market, Delhi, 2019)

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