インドのひとたちとわたくし。(101)-Day 8 : できてしまったホット・スポット
黒毛の牛はおとついの晩のうちに、ひとりでどこかに行ってしまったようだった。昨日の朝、見ると野菜を食べていた板だけが残っていた。水の入っていた鉢は誰かが律儀に片付けている。
3月中旬、全土ロックダウンの直前に、イスラム教徒の大きな集会がデリーのモスクで開かれ、外国人250人を含む約3,500人ものひとたちがこの伝統的な儀式に参加した。その後、このひとたちがインド各地や、国に帰って次々と発症し、デリーは今やもっとも危険なホット・スポットを抱える都市になってしまった。解散後もモスクにとどまった1,500人の信者から300人の感染者が出ているというからたいへんなことだ。
実はこのエリアは我が家から割と近い。周囲のコミュニティではちょっとしたパニックになってゲートを閉めてしまったところもある。
直前の警察の警告にもかかわらず、主催者は法律に背くことはなにもしていないとして集会を行った。開催日の前日、デリー州政府は全土に先立って50人以上の集会を禁じていたのだが、その時点ですでに全国および海外からほとんどの参加者がモスクに集ってしまっていた。今の事態になってあらためて主催者にはFIR(犯罪の訴状)が出されてはいるものの、今は追及より拡散してしまったひとたちの追跡のほうが急務だ。
この件が、のちのち深刻な対立と差別を招くような気がしている。
政治的にはデリー州政府与党は中央与党から、初動を誤ったとして思い切り非難される理由を与えてしまった。さらに中央与党を支える「ヒンドゥー至上主義者」にすれば、ムスリムの集会がホット・スポットだなんて、それ見たことかであろう。
もともと多くのムスリムは、中央政府が決めたCAA(修正市民権法案)に反対するために集まってきたという側面がある。
国際的にも「宗教による差別法案」と批判されているCAA および関連法案が、ムスリムの女性たちを中心とする大規模な抗議活動に至り、これをリベラルな知識人が支持して、海外からも注目されるようになっていた矢先、こんなことになってしまったので、問題がいっしょくたにされ、またもとのムスリム社会への強い差別として表出するのではないかと危惧している。
インドの場合、ここにさらにカースト的な考えも絡んでくることをこちらのジャーナリストが指摘している。アッパーカーストのひとびとは、もともと、異なる階級が入り混じる社会を好んでいないから、隔離政策みたいになることを待ち望んでいるというのである。お金のある彼らが海外からウイルスを持ち帰ったのも発端のひとつなので、勝手な発想だなあとは思うが、そういうひとびとがいることも事実だ。
ロックダウン中、引きこもるための自宅があり、食料の備蓄がそれなりにあるというのは、インド全体から見れば一部のひとびとの特権に過ぎない。突然のロックダウン宣言に、多くのひとびとが市中で仕事場と収入を一瞬にして失った。もともと家を持たないひとたちも1,400万人はいると言われる。
毎年、数千万人の単位で田舎から大都市に出稼ぎ労働者が集まってくる。中には家族ごと移住してきてスラムにぎゅうぎゅうになって暮らしているひとびともいる。そういうところで「ソーシャル・ディスタンス」と唱えても現実には実践できないし、だからといって田舎に帰ろうとする行為もまた、都市から地方への感染を促す危険性が高い。しかしこうしたひとびとにとっては、ウイルスに感染する以前に、飢えて死ぬということのほうが「超」のつく現実である。
彼らは「見えない労働者」と言われている。組合のような組織にも所属しておらず、保険や社会保障も受けていないから実態の捕捉が難しい。それでも、都市の建設工事や安い賃金のサービス業はこうしたひとたちが担っている。
このひとたちが都市部からいなくなることで、中央政府がロックダウン下で「やってよろしい」と認めた日用品や食品の配送サービスも、実際には運び手が不足してしまって機能不全に陥っている。政府公認であるAmazon もデリー市内の配送がまだ復旧していない。
昨日、買い物に出た近所のマーケットでは、道端に大鍋とコンロを出して、炊き出しの準備をしているひとたちが何人もいた。ロックダウンのせいで田舎に帰れない、あるいは収入が途絶えてしまった日雇い労働のひとたち向けだろう。ムスリムやシークのように、他のひとに施しすることが高い徳になると考えるひとが多いので、こういう炊き出しは普段から割と街中でも見かける。
貧しいひとはほんとうに貧しい。突然にロックダウンして自分たちが生活する術を絶ってしまう政府より、なにかと面倒を見てくれる宗教のほうを拠りどころに、だからせざるを得ない。
もちろん政府とて、彼らを救うのが今は最優先なので、シェルターや食料配給、補償などあらゆる手を講じようとはしている。が、数千万から1億人いると言われるこうした出稼ぎや貧困層にすぐには支援の手は届かない。教育や情報も十分でないこのひとたちが、一斉に田舎へ帰省しようという行為に対して警察は強硬な手段を講じる。警棒で殴ったり、道路わきに膝間づかせた帰省の集団に頭からホースで消毒剤を浴びせかけたりする映像が出回っている。これだからインドの警察は評判が悪い。野菜や果物売りの屋台に詰め寄り、商品を積んだ荷台を力任せにひっくり返したりもしている。「取り締まりやすい奴を取り締まれ」みたいな理解をしているのだろう。
おとつい、ぶどうを買った屋台の果物屋店主が、不安げに警察関係の車両を目で追っていたのもそういうわけだったのだ。
【朝ごはん】
ぶどう・梅干し入まつたけのお吸い物・日本茶
【昼ごはん】
大根、ニンジン、ズッキーニ、高野豆腐の炊き合わせ・稲庭ざるうどん
‐ モスク集会開催までのタイムライン( Hindustan Times, 1st Apr, 2020 )
‐ 全土で会議参加者を追跡 ( IndianExpress, 1st Apr, 2020 )
‐ ロックダウンが出稼ぎ労働者に混乱をもたらす( The New York Times, 29th Mar, 2020 )
- インド社会のほんとうの問題 ( Feminism In India, 29th Mar, 2020 )
( Photos : In delhi, 2020 )
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