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インドのひとたちとわたくし。(93)-電力事情と疾病対策

 平日の夜7時頃、久しぶりに停電があった。

 アパートにはジェネレーターが備わっているので、キッチンやバスルームなど必要最小限の照明はついているものの、冷蔵庫・換気扇など家電はすべて停電してしまった。真夏であれば復旧するまで冷蔵庫は絶対に開けられない。インド駐在の長い日本のひとが、10年くらい前はデリーでもほんとうに頻繁に停電して生活がたいへんだったと述べていた。
 今でも昼間、会社に行っている間に停電していることはときどきある。帰ってきて、電子レンジの時刻表示が消えていたり、洗濯機の電源ランプが自動でついていたりするからそれとわかるのだ。

 電力関連のコンサルタントであるラチットが以前、都市部の一般家庭だと日中は仕事に出ているひとが多いから、配電会社が家庭用から農業用に電力を振り向けてやり繰りするのだと言っていた。家庭に戻ったひとたちが一斉に電気を使い始める夜間は、全体の需要がぐっと高まる。デリーのような大都市では、それでもある程度の供給を確保できているので、今日のような夜間の停電は、最近は珍しい。

 ベランダに出てみると、向かいの公園も電気が落ちていた。いつも防犯用のLED照明が一晩中、灯っているのが真っ暗である。一瞬、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』を思い出すが、振り返った室内にはまだ灯りがあるので秘密を打ち明け合うには至らない。ははは。

 夜7時と言えばインドでは夕食前、子どもたちや散歩の大人で公園はそれなりに賑わっている時間帯だ。夕方も遊んでいる子どもたちを何人も見かけたから、さぞびっくりしたことだろうな。すると、近所の家から懐中電灯を手にした大人が次々と出てきて、子どもを探し始めた。路上にいたドライバーや、各家の門番も出てきて懐中電灯をかざして協力している。
 2軒先に住むパンジャブから来た大家族が、いちばん大きな捜索隊を出しているようだった。

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 経済成長が目覚ましいとはいえ、インドの電力事情はまだまだ厳しいものがある。石炭による発電の割合がもっとも多いが、近年は太陽光発電が急速に普及してきている。中国産の安い太陽光発電パネルが幅を利かせているとラチットが言っていた。土地と夏場の太陽光に恵まれたインドには適しているんだろうなと素人ながらに考える。ただし、昼夜の電力需給ギャップに対応するには蓄電や電力自由売買など別の仕組みが必要だ。
 農村部やへき地では、未だに電気のない生活をしているひとたちが2億人にのぼるとされている。発電はできても、送電と配電の整備が追い付いていないのだ。こうした地域では果てしなく時間がかかる、と思われるインフラ完成を待ってはいられないと、小規模なグリッド・システム、つまり太陽光パネルと蓄電のセットなどを、多くの民間事業者が検討・提案しているが、低コストでなければならないことと、盗難や破損のリスク回避、またメンテナンスの手間をどうするかなどの問題もあり、決定的に有効なシステムがあるというわけではなさそうだ。
 これはインドのひと自身が言うことだが、長期にわたる社会デザインを考えるのがこちらのひとは苦手らしい。ラチットは、政治家は選挙を気にして、再生可能エネルギーや環境のことを争点にしたがらないと言う。因果関係や効果が見えにくいため、どうしたって数字を出しやすい経済や雇用の話になってしまうのだそうだ。それは日本だって同じだろうな。
 専門家であるラチットにいろいろ教えてもらったのだが、インド特有の電力エネルギー効率の問題も大きいらしい、河の流れに例えると、上流である発電設備では設備や運用技術に由来するロス、中流である送配電事業のマネジメントにおけるロス、さらに下流にあたる消費部門に近いところで起こる「盗電」によるロスがある。「東電」ではない。
 確かに住宅密集地では電線が何本も複雑に絡み合い、どうやら勝手に電気をそこから取っていたと思われる電線の端切れが頭上からぶら下がっていたりするのを見る。送電線を高架高圧に切り替えたり、地中を通したりすれば、こういうことはなくなるのだが、それはまだまだ先のことのようである。
 だから、ラチットの会社のように、精緻な需給予測をもとに円滑な電力供給計画を提供できる専門家集団が必要とされるのだ。彼らくらいになると、各州政府や電力公社に直接、コンサルティングを展開して政策アドバイザリーもやっている。ビジネスとしてはたいへん有望だろうなと想像する。

 停電は20分くらいで復旧した。パンジャブ一家も無事に、小さいひとたちを「回収」したようだ。

 新型コロナウィルスで、デリー首相は「エピデミック宣言」を出した。3月いっぱい、すべての学校が休校となり、映画館やスポーツセンターも閉鎖される。小さいひとたちは行くところがなくて可哀そうだが仕方がない。ショッピングモールや市場などは毎日、消毒が行われるそうだ。クリケット試合も中止になった。デリーで建設中の病院や空きアパートは検疫用施設に転換されるらしい。昨日、訪問したグルガオンのオフィス・ビルでは、警備員がマスクと薄手の手袋を着けていて、ゲートに入るひとりひとりが非接触の体温計で、おでこをピコっと検温された。
 インドに到着する国際便乗客は、全員が空港で検査を受けている。日本をはじめとする感染拡大が疑われる国のヴィザもインド政府は速攻で停止した。国境も一部を除いて閉鎖、今は観光ヴィザもすべて停止されている。一方で、感染拡大したイランやイタリアにはすでに、在留インド人を帰すための医療チームが送り込まれている。矢継ぎ早に対策を打っている印象だ。
 電力事情の話とまったく同じで、地域や所得によって受けられる医療や情報の格差が著しいから、ここは徹底して初期対策を講じている。そもそも専門の医療機関だって、電力が行き渡らないことには普及しないものね。

 通っているジムのインストラクターのプージャにも「しばらく様子を見る」と連絡した。出かける先がなくなって不満なのは、小さいひとでも私でも一緒であるが、こればかりは致し方ない。インド政府が手を緩めずにがんばってくれるのを祈っている。


農村部3,100万の家庭が電気なし( The Forbes, 7th May, 2018 )

コロナウイルスがデリー市民生活に与える影響 ( India Today, 13th Mar, 2020 )

( Photos : Delhi, 2019-2020 )

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