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はじめて文章でお金をもらったときのこと

フリーライターというものになって10年とか、そのくらい。

「文章でお金をもらえるなんていいのかしら・・・」と駆け出しライター的な方が言っていた。自分も最初はそんな感じだったっけ?とちょっと思い出してみたくなった。

文章でお金を初めてもらったのは、たぶん脚本だった。
「わー、物語でお金がもらえたよ」と思った。シンプルに、それしか思わなかった。

それまでも小説を書いたりしていたし、物語というものを作るのが好きだしなんなら仕事にしたいわと思っていたわけなんだけど、それで「ついに私の時代がきたぜ」とも「夢がかなった!」とも思わなかった。

文章を書いて、お金がもらえた。
一番うれしかったのは、応募じゃなくてオファーをもらえたこと。それはすごくうれしかったなぁ。


それからしばらくしてフリーランスになって、いろんな文章で仕事をした。
「文章でお金をもらうなんていいのかしら」とは、一度も思わなかった。

「こんな私がお金をもらっていいのかしら」というのであれば、新入社員で月収をもらってたときのほうがよっぽどの役立たず。
文章を書いてお金をもらう、というのはふつうにやるべきことをしてお金をもらっている。という認識だった。

・・・まぁ、そこには「相手の意図がわかる=応える=仕事になっている」という認識があってこそだったかもしれない。(フリーになる前はディレクターというか編集みたいな仕事でした)

仕事と報酬にたいする考え方はたぶん、ずっと大きく変わっていない。

「いいのかしら、ではなくキッチリ仕事する」。これだけ。

今もたのしく仕事してるけど、キッチリ仕事しているのでそこに対するうしろめたさみたいなものを感じたことはない。
むしろ、よく仕事してるなー(機能的な意味で)と思うくらい(笑)。


思うのはですね。

プロとしての責任をたのしもうぜってことですね。

「初心者だから」とか
「駆け出しだから」とか
「副業だから」とか
「安い仕事だから」とか、そういうのではなく。

報酬を得られる「仕事」としての価値に魅力を感じているひとも多いと思うんだ。
だったら、プロとしての責任は当たり前のことで、それを軽くしようとか思わないで真正面からたのしもうよ。たのしいから。

仕事って、自分自身が生む「言い訳」との戦いだったりするのかも。


そんなことを思う。


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