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心は脳ではないー新実存主義とは

私たちは科学が圧倒的優位の時代を生きています。そんな現代では、脳科学の進歩も著しいです。痛みを感じる時は脳のどの部位に電気が生じているかとかを解明できるようになったことで、

いつかは脳科学によって脳を物理的に作れるのでは?だとすると、心を持つロボットを作れるようになるんじゃないか?

こんな甘い期待を寄せそうになります。しかし本当に心を作れるようになるのでしょうか?心はどうやったって人間の手で作れそうには少なくとも私には思えません。

今日の、心を自然の秩序の中のみで説明しよう、自然科学の対象領域のみで心を説明しようとする、還元論的自然主義に異議を唱える哲学者がいます。

マルクス・ガブリエル。

今回は岩波新書の『新実存主義』の紹介をしようと思います。

なお、本記事は私自身の哲学マップの整理も兼ねているので、まだ哲学的概念に関して不十分な点があるのはお許しください。

存在=物理的な存在?

心/物質という捉え方は、古今東西でなされてきました。近代以前のヨーロッパでは、一般的に心の方が物質よりも、存在のあり方の上で特権的な身分にありました。一方近代以降は、その立場が逆転します。現在では、心的対象の存在の土台は危ういものとされている一方、物理的な対象は無批判にその存在を前提されています。

そこでガブリエルは本書を次の問いから始めます。

何が存在するかについての最善の説明において、物理的なものと心的なもののどちらかに特権を認めるべき、深い理由はあるのだろうか。 (『新実存主義』p.14)

科学的世界観が無批判に受け入れられる現代においてこの問いは、大変有用かと思います(科学的世界観を無批判に受け入れすぎているので、もしなんでそんな科学を信頼するのと宇宙人に聞かれたら、ほとんどの人は困るのではないでしょうか)。

この世界観を揺さぶるためにガブリエルが唱えるのが、「新実存主義」です。

新実存主義とは、「心」という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などはありはしないという見解である。 (『新実存主義』p.16)

実存主義と新実存主義

さてここで、実存主義と新実存主義の共通点・相違点を把握しておくことが、新実存主義のより良い理解に繋がるでしょう。

実存主義・新実存主義

実存主義者のサルトルの有名な言葉に「実存は本質に先立つ」、というのがあります。

この言葉が意味するのは、特定の状況下でどういう決断をしたかによってその人が本質的に何者であるかが決定される、ということです。

一方でマルクス・ガブリエルはこう述べています。

人間のあり方は、自分自身をどうとらえるかに本質的に左右される。  『新実存主義』p.73

この言葉は、実存主義と同じ意味をなしています。つまりこの考えを継承する点が、実存主義と新実存主義との共通点だと私は考えます。

では、両者の違いは何でしょうか?

サルトルの導入した概念にアンガージュマンというものがあります。

このアンガージュマンは、社会をより良いものとするために、自ら積極的に社会に参加するという意味です。このアンガージュマンという概念の前提にヘーゲルの歴史観があります。

ヘーゲルの歴史観は、約言すれば歴史は理想的な方向に向かう、ということです。このヘーゲルの歴史観を継承したのが、マルクスです。

マルクス・ヘーゲル

マルクスは、ヘーゲルの、弁証法によって現実社会が実現する過程=歴史、という考えを継承しつつ、ヘーゲルの観念論的な弁証法(頭の中でこねくり回す)ではなく、観念よりも物質に優位性を置く、唯物論を主張しました。

このヘーゲル=マルクス主義(人間は生産=労働を通じて作り出したものを媒介にして自分が何者であるかを知る)と同じ構造を持つのが、実存主義の特徴です。

これに対し、新実存主義は、明らかに反唯物論的です。

新実存主義は反唯物論の立場にたって、次のように訴えるのだ。現象が生起するとされるもっとも大きな枠組みは、自然の秩序ではない。 (『新実存主義』p.70)

つまり実存主義は、唯物論的なヘーゲル=マルクス主義に基づくのに対し、新実存主義反唯物論に基づくというのが、現時点での私の両者の違いの理解です。


参考文献:内田樹『寝ながら学べる構造主義』; 哲学用語図鑑

無世界観

以上実存主義との比較から、新実存主義は、反唯物論的だという理解がより深まった気がします。あらゆる事象を自然科学の領域内へと還元しようとする、還元論的自然主義に異を唱える新実存主義。

では、新実存主義のこの世界に対する理解の仕方はどのようになっているのでしょうか?

ガブリエルはまず、「宇宙」と「世界」の区別から始めます。

前者は最良の自然科学が研究する対象領域を指す(中略)それに対して後者は、仮説として考えられた、あらゆるものを包含する一個の対象領域をいう。 『新実存主義』p.18

この言葉を図式化すると次のようになります。

無世界観

自然科学の対象領域の一つに宇宙があるという理解です。ガブリエルのいう対象領域とは、特定の種類の諸対象を包摂する領域のことを指します。

例えば、「居間」という対象領域では、テレビや読書ランプ、レンジ等の特定の対象が現れることを期待されます。「宇宙」という対象領域では、暗黒物質、銀河、太陽等がその特定の対象が想起されます。

このような対象領域をガブリエルは、「意味の場(field of sense)」とも表現しています。対象領域は無数に存在しています。それらを全て包含した対象領域を「世界」と定義すると仮定します。でも、そんなあらゆる意味の場を包含した意味の場なんてものは存在しない。

何故なら、新実存主義では、心は対象領域全体にまたがって存在するのであり、「心」という包括的用語でひとまとめにされる様々な現象は、一個の明確な輪郭を持つ対象領域を拾い上げるものではない、というのがガブリエルの主張だからです。

あらゆる意味の場からなる意味の場=世界というものは存在しない。

これがガブリエルが無世界観と定義するものです。

心は脳に還元できない

以上、新実存主義の中でも大切な要素をいくつか紹介してきました。自然科学の対象領域内にすべてを還元しようとする還元論的自然主義に待ったをかけるのが、新実存主義の目的です。

最後に本書の構成を紹介して終えようと思います。

第1章で、マルクス・ガブリエルによる新実存主義の議論が展開され、第2~4章でガブリエルの新実存主義に対する3人の知識人の批評が加えられています。そして最後の第5章で彼らの批評に対するガブリエルの再主張が掲載されて本書はとじられています。

正直初めて第1章を読んだときは、わからない部分がありました。しかし、2~4章で、分からなかったところが何となく理解できるような仕組みになっていて、読み進めるごとに段々と理解も深まる構成になっています。

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