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シャープペンの歴史が気になって調べてみたら… 〜“世界初”で業界がザワついた編〜


みなさん、こんにちは。
シャー研部員の藤村です。

前回は、 #シャープペン の起源や日本に渡ってきた経緯、そして日本での開発ストーリーなどをお伝えしてきました。

後半となる今回のお話は、日本での開発のその後と現代のシャープペンの基盤にたどり着くまでのお話です。

戦争に足止めされたシャープペン開発


1877年、日本に輸入シャープペンが上陸して以来、数々の職人、開発者たちの手によって日本のシャープペンづくりは進化を遂げてきました。

それでもまだ、当時の技術では、芯の細さや丈夫さ、スラスラ書ける書き味など、品質面で課題が山積みで、シャープペンは一人前の製品として評価されていませんでした。そんな折、シャープペン開発の前に大きな壁が立ちはだかります。

それが、第二次世界大戦です。

戦争とシャープペン。

一見関係なさそうに見えるのですが、当時のシャープペンの主要原料は、真鍮。
戦争中の統制により、真鍮を含む金属などの使用禁止を定めた、
「奢侈品(しゃしひん)等製造販売制限規則」という法律が1940年に発布されました。

この法律の制定により、当時のシャープペンづくりの現場はこんな状況だったよう…

『(戦時中は)文具屋が真鍮を使っているというので尾行されて、父の覚太郎が呼出しを受けたので、私が代わりに留置所に入れられたりした経験もあるよ。向島あたりの業界の人たちも随分逮捕されたね。』
引用:『シャープペンシルのあゆみ』日本シャープペンシル工業会 P89


当時のシャープペンづくりって、まさに命がけ…!

しかし、作り手たちも、ただ黙っていた訳ではありません。
東京機構鉛筆工業組合(現日本筆記具工業会)の当時のメンバーは、なんとかシャープペン製造ができるように軍に掛け合いました。

熱意ある訴えの末、軍から製造の許可がおりましたが、
資材の確保は十分ではなく、共同で資材を使うため葛飾に共同作業場を設けました。

戦争によって、シャープペン開発は一時停滞気味に。
何事もそうですが、シャープペン開発もなかなか一筋縄ではいきません。

業界の停滞期に創業したぺんてる


1945年に終戦を迎えると、世の中は一気に変わりました。

規制が徐々に解かれ、東京大空襲によって設備を焼失した多くの職人や開発者など業界人たちが葛飾に徐々に移っていきます。

しかし鉛筆や万年筆と比べると、まだまだシャープペンの需要は少なく、付加価値を高めることが難しい状態。さらに新しい筆記具も次々と登場し、シャープペン業界全体が停滞ムードに入っていったそうです。

それでも、部品メーカーはシャープペンをスタンダードな文具にすべく、
大手企業に製造を呼びかけ始めます。それに応えるように、多くの企業も主力製品である万年筆や鉛筆、ボールペン製造を続ける傍、シャープペンの製造を続けていました。

そんな中、終戦まもない1946年に、大日本文具株式会社が設立されます。
この会社が後のぺんてる株式会社です。

ぺんてるは創業当時、「にぎり墨」に始まり、
今やお馴染みのクレヨンや絵の具など、画材用具で事業を拡大していました。
シャープペンとは異なる製品で勝負をかけていたぺんてるですが、やがて転機が訪れます。

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▲ぺんてる創業当初の製品たち 左「にぎり墨」中央「メイロークレヨン」奥「ドラゴン水彩絵具」


シャープペン開発の命を受けた、ひとりの男


1956年、ぺんてるにひとりの男性社員が入社します。

男の名は、関谷 孝。

関谷は当初、運転手としてぺんてるに入社しましたが、
出社をしてみると突然「研究室に行ってくれ」と言われます。
何かの手違いかと思った関谷はこう口にします。

「運転手として入社したのだから、研究室にはいけません」

しかしながら、副社長からは関谷にこんな言葉を投げかけます。

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アントニオ猪木のような闘魂注入の一言。
関谷はこの出来事をきっかけにシャープペン開発に携わることになります。

とはいえ、シャープペン開発などしたことがない関谷にとって、その後は苦労の連続。シャープペンの芯の成り立ちを調べるところから始め、そこから猛烈にシャープペンの芯づくりに没頭していきます。


屈辱的な失敗と、偶然の出来事がシャープペン業界を変えた


お弁当箱に潰した粘土を溶かし入れ、黒鉛を混ぜて…。
来る日も来る日も、研究を続けた関谷。

そしてついに、ある日、シャープペンの芯を完成させます。
完成した芯を新聞紙に乗せ、すぐさま副社長の元へ持っていきました。

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関谷「副社長、ついに…、芯が完成しました!」

副社長「おおっ!ついにか…!
    どれ、早速試してみよう!!」

カキカキカキ… 、ビリビリビリッ!!!

副社長「何だこれは!?新聞紙がビリビリになるじゃないか!!!
     こんなのが芯と言えるのか!?」

※当時の事実に基づき、セリフは妄想です※

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初めてのシャープペン替芯は大失敗に終わり、関谷は肩を落とします。

しかし、そこから奇跡の発見をするのです。
きっかけとなったのは、「一粒のご飯」。
ある日関谷がストーブの前にしゃがみこんでいると、ご飯粒がストーブにくっついて焦げてしまったものを発見しました。

…これだ!!


何かをひらめいた関谷は、持っていた粘土をすべて捨て、上野のアメ横に走ります。
あらゆる原料を買い集め、それを研究所のストーブで燃やし始めたのです。
山羊の骨、牛の骨、電信柱まで…

そしてある日、噛んでいたチューイングガムを燃やしてみようと思いつきます。るつぼに入れたチューイングガムを40分ほど焼いてみると…。そこにはなんと、るつぼ型をした黒い物体が出てきたのです。

そう、これが後に登場するシャープペン替芯「ハイポリマー芯」の原型でした。

合成樹脂は熱を加えることで、黒色の炭素になり、黒鉛となじんで固くなります。その性質を活かして、粘土芯(黒鉛と粘土をなじませて作った芯)に比べ強度・黒さは増加、摩擦係数は減少という芯が偶然誕生したのです。


まさに奇跡のような、逆転ホームラン。
ここからさらに改良を加え、1960年、ついにぺんてるは世界初の合成樹脂を使用したシャープペン替芯「ハイポリマー芯」を発売します。


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▲発売当初のぺんてる「ハイポリマー芯(替芯)」0.9 mm


芯に続け!ノック式シャープペンの開発


ハイポリマー芯の登場は、業界に旋風を巻き起こしました。

1960年発売当初のハイポリマー芯の太さは0.9mm。その後、1962年に0.5mm、0.7mmの芯が発売されました。当時驚かれたのは、丈夫で折れにくい素材ということはもちろん、その細さも注目の的でした。それまでのシャープペン替芯の太さは0.9〜1.15mm 。とても太い芯で、折れやすいというのが最大の難点でした。

しかし合成樹脂を使用したことで、強度が上がり、細い芯でも強い筆圧に耐えられるものが作れるように。細くて丈夫な芯の登場は、当時業界ではありえない発明だったことでしょう。

さらに、このハイポリマー芯の登場に続け!とばかりに、
ぺんてるでは同時にシャープペンの開発にも着手します。

それまでの一般的なシャープペンといえば、繰出式。ペンの後端をくるくると回して芯を出すタイプのものでした。しかし、時代は高度経済成長期。企業では、仕事の効率化が求められました。さらには、学校でも学習指導要領の改定に伴い、勉強量が増加し、ものを書く時間が増えていました。

時代に則して、削る必要のない細いポリマー芯を更に便利にするシャープペンはないのかと考えたぺんてる開発チームは、ある製品に辿り着きました。

ノック式シャープペンです。

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▲ぺんてる1960年発売「ぺんてる鉛筆」0.9mm

ノック式とは、ペンの後端をカチカチとノックするだけで、シャープペンの芯が出てくるという構造。すぐさま、製品化し、ハイポリマー芯の発売と同年の1960年にノック式シャープペン、「ぺんてる 鉛筆」を発売しました。

このノック式シャープペンとハイポリマー芯の登場により、
現代にも通じるシャープペンの基盤ができあがったのです。


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▲1960年 ぺんてる鉛筆広告『日本文具新聞』

なんとも時代を感じる広告ですよね(笑)

“スタンダードな筆記具”を確立したシャープペン


実は、このハイポリマー芯とノック式シャープペンの発売とほぼ同時期に、
シャープペン業界の運命を変えた、ある事件がおきます。

それが「刃物追放運動」です。

刃物追放運動…
1960年10月、社会党委員長浅沼稲次郎氏が、演説中に右翼少年に刺殺されるという事件が起こった。犯人は自宅で偶然見つけた脇差を使用した。これを契機に「刃物追放運動」が民間団体やPTA、青年団、婦人会等によって活発に行われた。  出典:wikipedia 『浅沼稲次郎暗殺事件

今では考えられないかもしれませんが、当時はみんな刃物を持ち歩いていたんです。当然、刃物を持ち歩かないという時代の風潮は、シャープペン業界にとって追い風になりました。芯を削らなければいけない鉛筆に変わるもの、つまりシャープペンに一気に注目が集まったのです。

そんな時代の後押しもあり、ぺんてるが発売したノック式シャープペンは人気を博します。ハイポリマー芯(替芯)はそれまで業界の当たり前だった鉛と粘土の芯にとって代わり、世の中に受け入れられていきます。

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▲1960年 ぺんてる鉛筆記事 『日本文具新聞』

その後も、勢いは止まらず0.3mmや0.2mmのシャープペン替芯を発売。
シャープペン自体もさまざまな進化を続け、誰もが必ず一本は持っている、スタンダード筆記具として認められたのです。

海外からはるばる海をこえてやってきたシャープペンが、
130年という時を経て、日本に根付き、最先端を海外に発信できるまでの製品に成長。長い歴史の中には、時代に挑み、そして時代のニーズをキャッチした多くの人たちの成功と失敗、ドラマ、そして人々の熱い想いが詰まっているんですね。

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みなさん、いかがでしたか?
シャープペンの誕生から、今日の形を確立するまでの歴史。

歴史を知った上で、シャープペンをじっくりと眺めてみると、
いつもと違った見え方ができるかも知れませんね。

改めて、今回記事を書くにあたり、シャープペンの歴史を調べてみました。とても刺激的で、何度もものづくりってこうでなくちゃ、と思わせてくれました。わたしたちシャー研もここからまた新しい歴史を作っていかなければと、身が引き締まります!

まだまだシャープペンの歴史や構造について知りたい、という方。
今後、シャー研部ではもっと実験的なコンテンツやシャープペン替芯にまつわる企画を考えていきます。

どうぞ楽しみにしていてくださいね。

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出典:『シャープペンシルのあゆみ』日本シャープペンシル工業会

ぺんてる▶︎「ハイポリマー芯

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