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2/22火:卒論発表には情熱を。

今日は研究室の学部4年生の卒論発表の日だった。

我々の研究室では、例年は卒論発表当日の夜には先生方も含めて必ず飲み会を開いて4年生の頑張りを労うのであるが、この数年は昨今の状況もあり、先生方も含めて公式に飲み会を開催することが憚られるため、学生のみで開催している。

その飲み会では、4年生がそれぞれ自身の発表に対する自己採点と、この1年間の自分の取り組みを振り返って思うことを話すのが毎年恒例である。

その4年生3人組が、この1年間を振り返って話し出すうちに、自然に涙を流し始めた。それぞれが、先生方・先輩が求める理想や自分の理想と、それになかなか到達できない自分自身の現状との間で葛藤を抱えていたのだ。

今年の4年生3人組は、もともと体育会系部活をよくやってきた子たちで、私とは頑張るためのエネルギー源が異なる人たちだ、と感じていたのだが、今日の3人の話を聞いて、彼らなりに悩み苦しみながら1年間取り組んできたことがわかった。

さらに言えばこの1年間、私の存在が4年生に大変苦しい生活を強いてしまったのかもしれないとも思った。

私は人を褒めるのが苦手だ。苦手だというか、つい忘れてしまうのだ。
自分自身が先生方や先輩から褒められてもあまりピンとこない人間(かわいがりづらい後輩だ)であるということも関係しているのかもしれないが、彼らを褒める前に、いつも要求から入ってしまう。これではいけないと思いつつも、なかなか癖がつかないのだ。

彼らにとっては、どんな文章を書いても、どんな発表資料を作っても、どれだけ研究内容に関する議論をしても、褒められるどころか、さらに高い要求を出して突き返すようなことを無慈悲にできてしまう私を上司に持って、さぞ苦しかったと思う。

だから、今日はもうそういうことを考えるのはやめて、彼らがこの1年間でどれだけ伸びることができたか、どのような自分自身の変化を生むことができたかを、私なりに伝えた。

涙を流す彼らの姿を見て、それだけ悩んで本気でこの1年間取り組んだのだな、ということが伝わってきた。私のように、何かに対して情熱を持って取り組むことが苦手な人間にとって、その姿はとても美しく見えた。

この1年間の自分の取り組みにそれだけ本気になれるということが、この3人の強みだったと思う。彼らがこの研究室に入ってきてくれて本当によかった。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。