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11/10水:1ヶ月前の殴り書きには思考のアップデートを。

今日は何も思いつかないので、1ヶ月前くらいにグルグルと考えていた殴り書きを書き直してみることにする。

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自分が今苦しいのはいったいなぜなのか?
期待に応えなければならない、という思いが強いのかもしれない。
それは自分自身の持つ責任感の現れでもあるのだろうが、苦しい生き方でもあると思う。周りの人間から期待されるほどに、その期待を裏切れないと思う人間は生きづらくなってしまうのだ。
期待を裏切っても良いのだ、と認識するか、そもそも、人々が自分に期待しているレベルはそこまで高くない、と認識するか、どちらかなのかもしれない。

自分の書いた論文がアクセプトされても、どこか頑張り切れた気がしない。
よかったなぁとは思うが、本当にそれは自分が頑張ったことである、と主張して良いのかどうかがわからない。
一般的に見れば頑張っていると言っても良いのかもしれない。
なぜなら、恐らく大多数の人間は一生のうちに論文など書かないからだ。
でも、それを自分で認めてしまっても良いものなのだろうか?
他人には「自分を認めよ」と無条件に言える。
それはなぜか?自分のことではないからだ。
あくまで他人のことだからだ。

普段関わっている子どもたちに対しては、純粋に認めてあげたいと思える。
しかしその感覚は一体何に由来するのか?
自分にはできるが、その年齢でできてすごいね、という意味か?
自分の当時の年齢ではできなかったからすごいね、という意味か?
純粋にその子が持っている性質がいいね、という意味か?

なぜ自分自身にはそれを言ってあげられないのか。
たぶん、ビビっているのだ。
これを認めてしまうと、そこに安住してしまうような感覚がするのではないか。
そしてそう思った瞬間に周りの人間に抜かれる、と思っているのではないか。
それは暗に競争の中に自分の身を置いているのではないか。
だから常に不安に感じるのではないか。
何か自分の中で尖れるものを作ることが自信に繋がるのか?

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これは今も認識として大して変わっていない。
1ヶ月でもっと変化するように思考をアップデートしていかなければ、と思う。

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