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【AI】未来を考える

はじめに

そもそも、未来って考える必要があるのでしょうか? 未来を考えなければどうなるのでしょうか? 

誰でも一度は未来のことを想像したことがあると思います。映画や漫画でも未来の世界は登場します。どういった未来が待っているのかは概ね予想はできますが、改めて考えてみました。

未来に限りはあるのか?

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この世界は永遠に続くイメージを持っていました。とくに何か大きな出来事が無い限り永遠に続くものと思っていました。でも人間に寿命があるように惑星にも寿命があります。

それでは地球にも寿命があるのでしょうか? もし地球に寿命があるなら残された時間はどれくらいなのでしょうか?

まず、太陽の寿命はあと約50億年と言われています。寿命近くになってきると徐々に膨張を始め、最終的には爆破してバラバラになります。これは太陽が恒星の1つである以上、もれなくこの運命をたどります。地球や火星と違って太陽のように自ら光る星を恒星といいます。恒星は「核融合反応」をエネルギーとして光を発しています。青白く光っているものほど誕生したばかりの若い恒星で、光が赤くなるほど寿命が近づいています。

太陽が生まれたのは今から約50億年前といわれていますので、寿命はちょうど残り半分くらいですね。たしかに太陽の色は黄色かオレンジっぽいので光の色から判断しても寿命はあと半分くらいかなと想像がつきます。

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基本的に質量の大きい惑星ほど寿命が短いといわれています。地球に比べて太陽のほうが圧倒的に質量が大きいため、地球より太陽のほうが先に寿命を迎えます。

「50億年って先が長すぎて想像つかない」、「自分は生きてないのでどうでもいい」

と思いますよね。たしかに50億年はたいぶ先の話です。

太陽の寿命が50億年として、地球の寿命はどれくらいなのでしょうか? 太陽の寿命が50億年だから地球の寿命も50億年という話をたまに見かけますが、本当に地球の寿命は太陽と同じ50億年なのでしょうか? 

太陽が50億年後に突然ぱっと消えるのであればそのとおりなのかもしれませんが、太陽は寿命に向けていろいろ変動が起こります。現在の説では徐々に膨張をはじめて寿命前には地球を飲み込むくらいの大きさとなり最後には爆発してチリとなります。飲み込まれたら地球は無くなってしまうのは予想はつきますが、その過程を考えるとどうでしょうか。

今、地球温暖化の影響で地球の環境がガラッと変わってきていることが問題になっています。気温が何度か上昇するくらいの変動で、もう人類の危機が訪れます。そのレベルと比較にならないほどの気候変動が徐々に起きることは容易に想像がつきます。太陽が今の2倍の大きさなっただけでも毎日暑くて地上ではもう生活できないかもしれません。その前に海水とか地上の水がすべて蒸発してしまうかもしれません。生命は海から生まれたといわれていますが、その生命の源がなくなるとどうなるでしょうか?

太陽は徐々に膨張して明るさを増していきます。寿命の50億年後に突然一気に変わるわけではないのです。「徐々に」がポイントです。二酸化炭素が原因と言われている地球温暖化以上の異変が徐々に太陽で起こります。太陽の変動はダイレクトに地球に影響を与えます。最終的には地球を飲み込むくらいの大きさになるといわれていますので、その過程を考えるとどれだけ地球の気候変動がおきるのか想像もできないですが、地球温暖化どころの話でないことだけは想像がつきますね。

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地球温暖化は人間の力で少しは防げるかもしれませんが、太陽の変動は誰にも止められません。太陽系にいる限り受け入れるしかないのです。

このあたりを考えると地球の寿命は太陽と同じ50億年後でも、「生命が住める地球の環境はいつまで?」と考えると、そこまで時間が無いというのはわかります。

ある研究の仮説では10億年後くらいには、地球の気温が灼熱の状態となり地球上の生命は存在できなくなるともいわれています。そのころには海水ももちろんすべて蒸発します。今の金星みたいになるのでしょうか。10億年だと考えるとけっこう時間が短くなってきました。

あと10億年で地球が灼熱の惑星となるのであれば、人類がまともに生活できなくなるのは、もっと近い未来になると思われます。人類が地球で生活できる残された時間を仮に1億年先と考えてみましょう。太陽の温度が徐々に上がっていることを考えると、1億年より前に海水の大部分が蒸発してしまうかもしれません。自分たちにとっては1億年でもまだまだ遠い未来ですが、地球の歴史から考えるとどうでしょうか。

1億年前を振り返ると、ちょうど恐竜が全盛期の時代です。霊長類が現れたのがおよそ6550年前のようですね。恐竜がいたころが1億年前と考えると、けっこう現実的に感じてきました。50億年前といわれると想像つかないですが、今から恐竜がいた時間までの長さと考えると想像するには現実的な範囲になってくるかなと思います。

でも、もしかしたら1億年でも楽観的なほうで、実は1万年くらいで人類がまともに住めない世界になるのかもしれません。

どうでしょうか? 未来の終わりは思ったよりも身近に迫っている感じがしないでしょうか。

どうやっても地球はいずれ無くなる

早いか遅いは別にしてどうやっても地球が無くなることは避けられません。

「どっちにしても自分は生きてないので関係ない」と思うか

「今から未来に向けてなんとかしなければ」と思うか

受け止め方は人それぞれと思います。

「地球で生命が生きられないのであれば、他の惑星に移住すればよいのでは?」、「もう火星に有人飛行する計画もあるので、火星で生活できるようになるよね」

という意見もあるでしょう。ただよく考えると火星も太陽系にあります。太陽の変動はもちろん火星にも影響を与えます。どちらにしても50億年後には太陽は無くなるのです。さすがに太陽がなくなったら太陽系で生命が生き延びるのは現実的ではないでしょう。火星を頼りにするのも時間かせぎにしかならないのです。火星移住の先のことを考えなければいけません。

未来を継続するためには、まず第1ハードルとして、「地球外で生存できるようになるか」、その次のハードルとして「太陽がなくなったあとも生存できるか」の2点が直近の大きなハードルとなるでしょう。

今、SDGsという言葉が溢れていますが、本当に「持続可能」の意味を考えるのであれば、このあたりまで考えなければなりません。「持続可能」が「地球が存在することが前提」だと本当の意味で「持続可能」となりません。地球をあてにしていると持続できないのは100%見えているわけですから。

本当の「持続可能」を実現するにはどうするか?

太陽の寿命の関係から、人類が何も行動しない場合は未来に終わりがあることはわかりました。このまま太陽の変動に伴って発生する大規模災害に日々耐えながら、人類は終焉を迎えるしかないのでしょうか?

未来を持続するための1つの方法は、太陽系以外の惑星で生命が生存できる場所を見つけることです。SFみたいな話ですが、太陽の寿命は決まっているため、それができなければ人類の未来が終わります。未来のためには達成しなければならないマイルストンなのです。そして新しく見つけた惑星が終焉を迎える前にまた別の惑星を探して旅をすることになります。その繰り返しです。地球の大陸を渡り歩いてきた人類と同じように惑星を渡り歩くことになるでしょう。歩かずに立ち止まることが人類にとって一番のリスクなのです。歩き続けなければ終焉を迎えます。

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今、自分たちにできることは何か?

未来を継続するための方法は太陽以外の恒星を探し、生命が生活できる環境の惑星を探し出すこと。また、それを繰り返すことができる能力、文明が必要なことがわかりました。これまでの人類の歴史を振り返ると、指数関数的に文明が発達しているため、いずれ実現できるのは想像ができます。

ただ、問題は「間に合うかどうか」なのです。先に記載したとおり、地球や太陽には寿命があります。残された時間は待ってくれないので、残された時間で目標が達成できるかどうかは、まさに死活問題となります。間に合わなかったら未来はその時点で終わります。

人類全員が、宇宙開発に貢献するのは難しいでしょう。ただ、一人一人の心がけ次第で、人類に降りかかるリスクを減らし、進化のスピードを向上させることは可能です。

環境破壊のスピードを可能な限り緩やかにする。

・人類をはじめ、生命みんなが協力しあう。

・多様性は進化に必要なもの。多様性を尊重する。

・など

要するに「協力」が重要ということですね。なかなか日々心掛けるのは難しいかもしれません。しかし、少なくとも意識するのとしないのでは100年後の結果は変わるはずです。争いごとや足の引っぱり合いをしている場合ではないのです。残された時間はそれほど潤沢にはありません。

「恐竜が絶滅したあとと同じように、他の動物が高度な文明を持つ可能性はある。地球温暖化も人類が絶滅するだけで他の生命は生き伸びて新しい文明が生まれるのでは?」

という意見もあるかもしれませんが、これは残り時間が無限にある場合の理論です。地球の残り時間を考えると人類以外の高度な文明が生まれる時間はもう残ってないかもしれません。地球の生命は人類が救わなければならないのです。

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人類は宇宙に適合するように進化できるのか?

ある国のある部族は、水中でも30分以上呼吸しなくても大丈夫らしいです。水中に長時間ずっと潜り続けたまま魚をとったり漁をするようです。これは人間がその環境で生き延びるように肺が進化した結果です。

この例は一つの例ですが、人間もどんどん進化しています。長い年月、たくさんの世代をかけて進化しています。西暦前の人間と今の人間とでは大きく異なる部分もあるでしょう。それが1万年、10万年、100万年と時間がたつと、より進化するはずです。そのころには宇宙に出かけるのが当たり前になっていると思いますので、人類も宇宙で生活するのに適した体になっていると考えられます。

例えば酸素が無い環境でも生存できるようにになるとか、もしかしたら極度に高温、低温の環境にも馴染むように進化するかもしれません。宇宙に適合した進化の実現性については、過去の生物の歴史を考えると、難しい話ではなく現実的かなと考えています。進化というのは生物の機能として実現できています。

ところで、太陽系以外の惑星に移り住むのはどれくらい難しいのか?

太陽の寿命がくることに備えて、事前に太陽と似たような恒星を探すところから始めることになるでしょう。太陽系から一番近い恒星としては、ケンタウルス座α星に恒星が3つあります。

A(リギル・ケンタウルス) 距離:4.24光年

B(トリマン)       距離:4.24光年

C(プロキシマ)      距離:4.39光年  (赤色矮星)

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光年にすると5年以内です。光の速度で5年なので移動するのは今はまだ現実的ではないですが、絶望的でもない距離でしょうか。

1光年は約9兆5000億キロメートルです。換算すると結構遠いですね。

ちなみに、過去人類が達成した最速の乗り物の速度が39,897km/hだそうです。(ロケットです)

この最速の乗り物で移動するとどれだけかかるでしょうか?

9兆5000億km(距離)/39,987km/h(速度)=238,113,141時間(時間)

238,113,141時間/24時間=9,921,380日

9,921,380/365日=27,181年 → 約3万年!(1光年先の距離にたどり着くのに3万年!)

これはちょっと現実的ではないですね。移動時間は課題となりそうです。

何万年もの食料を乗せた乗り物は無理だと思いますので、宇宙船の中で自足自給できることが必要になるでしょう。ゴミは何とかなると思いますが食料が一番の問題になります。あと、宇宙船の中は1つの街のようなシステムが必要で、何世紀、何世代にもわたって生活できなければなりません。宇宙船が1つの街となるような環境は最低限必要ですね。まずはこれらを実現する技術を優先的に開発する必要はあるでしょう。

現在の技術では難しいことはわかりました。ただ残り時間を考えるとあと1億年後までには達成しなければなりません。地球温暖化のことを考えると、もしかしたらあと1万年でも間に合わないかもしれません。地球の温度が数度変わるだけで人類にとっては大ごとですので。

一番近い恒星に移り住むには、事前に生命が住めるかどうか惑星を探査して確認する必要があります。以前、探査機のボイジャーが太陽系外に達したというニュースがありましたが、ボイジャーのように探査機をたくさんケンタウルス座α星に送り込まなければならないです。

普通のスピードでは数万年かかるので、結果がわかるのは数万年先という途方もない計画になりますが、今から計画を立てておかないと間に合いません。

ここで少し希望のある情報を見つけました。

「ブレークスルー・スターショット」

です。

「ブレークスルー・スターショット」は、物理学者スティーブン・ホーキング、ロシアの大富豪ユーリ・ミルナーにより、2016年に発表されました。

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従来のロケットのようにエンジンを噴射して加速するのではなく、地球上から極めて強力なレーザーを宇宙船に照射して、加速させるというものです。

これが実現すれば光速の20%の速度で移動できます。ケンタウルス座α星の恒星まで約20年ちょっとで到着する計算になります。

何万年とかかるのと比較すると、20年であれば速度としては十分でしょう。

ただ、現在のところこの「ブレークスルー・スターショット」を実現する技術はなく研究段階だそうです。でも研究は進められていて、あと20年くらいで技術的にはできあがるらしいです。

2100年ごろにはケンタウルス座α星の恒星まわりの惑星の情報が得られるかもしれません。あともう少し待てば未来が見えてきそうですね。

光速の20%のスピードで移動した場合、人間はどうなるか?

まだ「ブレークスルー・スターショット」が実現していないので、人間の体がどうなるかわからない。というのが実際のところでしょう。

もし悪影響があるようであれば、悪影響がないようにするしかありません。訓練できるような疑似環境を作ってトレーニングするところから始めることになるでしょう。徐々にスピードを上げて人間の適応能力を徐々に上げていく感じですね。

生命は世代交代とともに進化すると考えられがちですが、1世代でも進化します。筋トレすれば筋肉がつくし、スポーツも練習によってできるようになります。これも進化です。これは訓練や環境によってDNAの一部が書き換わっていることがわかっているそうです。「適応能力」という言葉を使うことも多いですが、実際にDNAが環境に合わせてスイッチが切り替わっています。生存するために環境に合わせて進化していくのです。DNAスイッチは世代交代しなくても1世代で切り替えることができます。

100年程度では光速20%のスピードに耐えられる体は獲得できないかもしれませんが、1万年くらいあれば徐々に耐えられるようになるでしょうか。何年後かは予測が難しいですが、進化の歴史を考えると不可能ではないと考えます。

人間とネオ人間

人類は猿から進化したと考えられています。ダーウィンの進化論は有名ですね。ダーウィンの進化論にもとづくと人間も進化の道をたどります。どう進化するかは想像に任せてイメージするしかないですが、進化するのは間違いないでしょう。

さて人間が進化した種を「ネオ人間」と呼ぶ事にして、ネオ人間が生まれた後はどうなるのでしょうか? 

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今の「人間」はいなくなって全員「ネオ人間」になるのでしょうか? それとも今の「人間」と「ネオ人間」が共存するのでしょうか? どちらになるかはわかりませんが、この2つ以外の選択肢はないと思います。

人間が全部ネオ人間になれば特に難しいことは考えなくてもいいかもしれませんが、仮に人間とネオ人間が共存することになるとどうなるのでしょうか? もちろんネオ人間のほうが進化しているので頭も良く、さらに高度な文明を作ることになります。今人権問題とか差別とか人間だけでもいろんな問題があると思いますが、人間とネオ人間ではそもそも種が異なるのでさらに難しい問題が出てくると想像できます。

ちなみに今の「人間」は「ヒト科」ー「ヒト属」に属しています。「ヒト属」には過去ネアンデルタール人などがいましたが、今のヒト属は「ホモ・サピエンス」と呼ばれる今の人間だけです。ネアンデルタール人のほうが体格が良く脳も発達していましたが、最終的にはホモ・サピエンスのほうが繁栄することになりました。ネアンデルタール人は4万年前すでに絶滅したといわれています。「ホモ・サピエンスにより滅ぼされた」という説もありますが、そもそもネアンデルタール人は小規模な社会構造しか持てなかったため、どちらにしても自然と絶滅する運命だったともいわれています。

あとヒト科には「ヒト属」をはじめ、「チンパンジー属」、「ゴリラ属」があります。チンパンジーやゴリラは人間に近いといわれていますね。尻尾がない猿が人間に近いので、見た目でわかりやすいと思います。

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さて、現在「ヒト属」にはホモ・サピエンスだけが存在していますが、ここに「ネオ人間種」という新しい種ができることになります。うまく共存できればいいですが、知能、文化ともに他の動物よりすぐれた種が2つ存在することになります。種が違うので差別とか言っている場合ではなくなることでしょう。必然的に差が出てきます。チンパンジーと人間がいっしょに生活していないのと同様に、いっしょに生活することは難しいでしょう。能力が違いすぎるからです。ネオ人間はコミュニケーションも音声を使わずに、超音波を使ってコミュニケーションしているかもしれません。会話はコミュニケーションの手段の1つなので、超音波のようにもっと高度なコミュニケーション手段を獲得することも考えられます。人間の言葉がチンパンジーに理解できないのと同じように、ネオ人間の言葉は人間には理解できないでしょう。ネオ人間の文明を使えば人間の言葉を翻訳できる装置を作ることは簡単なことです。ただ、逆にネオ人間の言葉(超音波)は人間には聞き取れないので、理解できないでしょう。もしかしたら人間のほうでもネオ人間の超音波を解明する装置ができるかもしれませんが、進化したネオ人間のほうが何をするにも有利になるでしょう。

必然的に「人間vsネオ人間」の構図ができあがり、ネアンデルタール人が滅びたように人間も滅びるのかもしれません。文明をもった2つの種が同じ地球で共存するのは難しいように思います。ネオ人間にとって人間がメリットが無い限り、資源に限りがある地球に共存するのは難しいのです。

もしかしたら火星に住み始めた人間が先にネオ人間になって、地球でそのまま暮らしている人間はそのまま人間として存在して、別々の惑星で生活するようになれば共存はできるかもしれませんね。ただ、チンパンジーが人間に勝てないように、人間はネオ人間には勝てません。今は「人間」=「自分たち」という意識があると思いますが、そのうち次の世代の人は「ネオ人間」=「自分たち」という意識に変わっていくのでしょうか。自分たち「ネオ人間」が進化の遅れた「人間」という種をどう扱うのかは難しい問題なのです。ダーウィンの進化論が間違いでない限り、この問題はいずれ訪れます。

どういう形であれ人間とネオ人間が共存する世界となった場合、我々の子孫は「人間」のほうと考えればいいのでしょうか。もしくは「ネオ人間」のほうでしょうか。もし我々の子孫が「人間」のほうだと考えた場合、ネオ人間に人間が支配されないよう、我々の子孫たちに知恵を授けておかなければならないのかもしれません。我々人間は「ホモ・サピエンス」種なので、別の種である「ネオ人間」は子孫にはあたらないと考えるのが正しいでしょうか。

さて、少なくとも現時点で突然「ネオ人間」が登場して、「ネオ人間」に支配される状況は「人間」にとっては受け入れなれないと思います。いきなりエイリアンが登場して「人間」を支配するのと同じ状況ですね。ただ、生物は進化しなければならないのです。進化の観点で考えると「ネオ人間」の登場は自然で正しい道を進んでいます。「人間」が他の動物を支配してきたように「動物界」の頂点に「ネオ人間」が立つと思います。幸い現在のところ高度な知能、文明を持つのが「人間」だけなので「人間」の支配構造が成り立っていますが、高度な知能、文明を持つ種が2つ同じ惑星で共存するのは難しいことです。

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やはり、別々の惑星でそれぞれ別の文明を育み、それぞれ進化の道を進むのが争いごとも起こらず良いと考えます。なんとなくそれが良さそうですね。

AIの話は?

もともとAIの話をテーマにしようと思っていましたが、だいぶ話が外れてしまいました。話題がAIどころの話ではなくなってきましたが、少しAIの話を入れておきます。

AIも未来に大きな影響を与えるキーワードです。今は「特化型AI」といって、画像認識とか翻訳、自動運転等、特定の分野に特化したAIしかないですが、将来、何にでも応用できる「汎用型AI」が実現すると考えられています。今はまだ研究段階というより夢の段階ですが、人間がチャレンジする以上はいずれ実現するでしょう。

「汎用型AI」が実現すると人間と同じく意識、意思を持つ機械ができることになります。意識や意思を持つということはいずれ自我が芽生えます。そうなると単純に機械として扱うことは難しくなってくるでしょう。人間とネオ人間の共存のように、人間とAIの共存という難しい問題が待ち受けています。

現在の生物上、生物分類学におけるドメインとして3つ(細菌、真核生物、古細菌)分類されています。われわれ人間は「真核生物」ドメインに属します。真核生物ドメインの配下には「界」と呼ばれる4つのグループ原生動物界、植物界、菌界、動物界があります。我々人間は名前から想像できるとおり「動物界」に属しています。

AIが意識を持ち始めた場合、ドメインの分類がひとつ追加されて「AI(人口知能)」というドメインが増えるのかもしれません。でも「生物」に「AI」が分類されるのも違和感があるので、ドメインの上に1つ階層ができるほうがすっきりしそうです。(ドメインの上の階層は名前は何になるのでしょうか)

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汎用型AIは人間の能力をいずれ超えると考えられますので、今度は「AI」vs「人間」の構図ができあがりそうです。どちらにしても高度な知能と文明をもった者同士が同じ環境で共存して暮らすのは難しいでしょう。どちらかがどちらかに支配される構図になるが自然の流れかと思われます。でもそのころには「ネオ人間」も登場することだと思いますので、対立するとしたら「AI」vs「ネオ人間」という構図になるでしょうか。もしくは「AI+人間」vs「ネオ人間」でしょうか。人間がAIを作れるのであればもちろんネオ人間もAIを作れないとおかしいので、「AI+人間」vs「AI+ネオ人間」も可能性がありそうですね。

ということで、少しわけがわからなくなってきましたが、これまでの生物の歴史上では見られなかった高度な知能、文明同士の共存(もしくは対立)がみられることになります。先の例では、もしもAIが意識を持ったらと仮定して考えてみましたがこれはAIだけの話とは限りません。「ネオ人間」以外にもチンパンジーやゴリラといった動物も進化して、人間に近い高度な知能、文明を持つようになる可能性はあります。「意識」を持つ種が2つ以上存在する世界は地球の歴史上前例がないため、人類にとっては大きな課題となるでしょう。

やはり惑星ごとに住み分けるのが理想かもしれません。お互いの距離が近ければ高度な知能と文明を持つ方に支配されるのは必然と考えられます。これは進化の過程で避けられないものと受け止めるしかないでしょう。生物もこの過程を経て進化してきました。

未来を継続させるためには、こういった高度な知能、文明同士の競争、共存も必要なのです。進化しなければそもそも生命も何も生き延びることはできません。持続可能ではなくなってしまうのです。

「高度な意識をもつ者」との競争、共存は未来の人間にとって避けられない問題なのです。

DNAについて

DNAもどんどん研究が進んでいるようですね。すでに髪の毛1本のDNA情報から人の顔のモンタージュ映像が作れるようになっているようです。しかも本人とそっくりな顔ができあがります。

ちなみに、DNAの中の情報を「ゲノム」といいます。このゲノムの一部に遺伝子の情報がありゲノム全体の2%と言われています。残り98%はジャンクDNAと呼ばれていて、これまでの研究では何もわかっていなかったですが、少しずつ研究が進んでいるようです。仮にゲノム全体100%の理解が進めば、簡単に進化する方法もわかって進化が早まるかもしれません。

光速20%のスピードで移動できる「ブレークスルー・スターショット」に耐えらえる体を得るためにどうゲノムを編集すればいいか解明されそうですね。

第二の地球の候補は?

移動手段に続いて進化も少し希望は見えてきました。あと重要なポイントとしては第二の地球があるかどうかです。

「ハビタブルゾーン」という言葉があります。生命が存在できる可能性がある領域で、日本語では「生命居住可能領域」と呼ばれています。

もう既にいくつか候補があるようです。残念ながら一番近い恒星であるケンタウルス座α星では有力な候補が見つかってないようですが、少し距離を延ばせば候補はあるようです。すでに候補があればそちらのほうが確実かもしれません。

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<生命居住可能領域の候補>

 ・グリーゼ486b(Gliese 486b)  地球から約26光年先

 ・TOI-178の周りの惑星  地球から約205光年

 ・ケンタウルス座アルファ星Ab 地球から約4光年 ただしガス惑星の可能性あり(ガス惑星の場合は住めない)

 ・・・その他

技術の進歩で、観測により第二の地球の候補がある程度わかるようになりました。さらに技術が進歩すれば光速20%で移動しなくても、地球にいながら候補は探せるかもしれません。候補が見つかってからターゲットを絞って探査機を送り込むのが効率よいですね。

これで未来を続けるための材料はそろったか?

・「光速に近い速度の移動手段」

・「人間の進化」

・「第二の地球の候補」

技術の進化と人間の進化は不可欠ですね。光速に近い移動手段が実現できれば、第二の地球の候補は早い段階で発見できるはずです。

結局、未来は続くのか?

太陽系以外の惑星で生活できる目処がたちましたので、これでとりあえず安心ですね。もし地球や太陽かなくなってもどこかの惑星で生命は生き延びていくことでしょう。「やっぱり未来は安心」、「未来は永遠だ」ということですね。

でもちょっと待ってください。太陽や地球に寿命があるということは他の惑星も寿命はあるのでしょうか? 

はい、あります。早い遅いはありますがどの惑星もいずれなくなります。

「またどんどん新しい惑星が生まれるよね」、「宇宙はどんどん広がっているので惑星もどんどん増えるのでは」

と思っている人も多いと思います。でも実際のところ新しい惑星は作られることはありません。寿命も決まっています。どうなるかというと少しずつ惑星がこの宇宙から姿を消していくのです。

「じゃあ、惑星を移動しても最終的には住む場所がなくなってしまうということ?」

はい、その通りです。ビッグバンのときとは逆にどんどんなくなっていきます。ビッグバンで発生したエネルギーは新たに生まれることはなく、いずれ惑星は寿命を迎えてすべてなくなります。突然惑星が生まれることはないのです。

ではどうすればいいのでしょうか。結局人間が進化しても技術が発展しても地球温暖化対策をしても何をやっても無駄なことなのでしょうか?

実は、宇宙の終焉にはいろいろな説があります。惑星がすべて寿命を迎えて無くなる以外にも、ビッグクランチといって、宇宙の膨張が減速してある時点から収縮に転じビッグバンの逆に1点に収束する。という説もあります。いずれにしても、宇宙は永遠に続くという「定常宇宙論」は無理があると考えます。現在は科学者の間でも「何らかの形で宇宙は終焉する」という説が有力です。

【参考】宇宙の終焉パターン
・宇宙の熱的死
・ビッグクランチ
・ビッグリップ
・真空崩壊 など

未来を持続可能とするには?

この宇宙が、いずれ終焉をむかえるのはわかりました。残念ながら未来はやはり持続可能ではなかったのでしょうか。

一度、現実世界から離れて考えてみましょう。

「サイバー空間やバーチャル空間であれば永遠に続くのでは?」、「サイバー空間があれば宇宙がなくなっても大丈夫だよね」

という考えもありそうです。ただサイバー空間がコンピュータ等の現実世界の物質の上で実現されている以上、この世界が終わると同時にサイバー空間も終わります。やはりいずれ終わりは訪れます。時間は残念ながら止めることはできません。いずれこの宇宙が無くなるのであれば、この宇宙以外に生存可能な場所を探さなければなりません。

「マルチバース」という理論があります。この宇宙以外にも無数の別の宇宙が存在するという理論です。物理学的にも有力な理論となっており、科学者の間では「宇宙が1つである」と証明することのほうが難しいといわれています。でも仮に宇宙が無数にあったとして、我々この宇宙にいる人たちが別の宇宙に行くにはどうすればいいのでしょうか?

ブラックホールが出入口になっているという説もありますが、これもまだ根拠ある話ではないので科学的に調査は必要でしょう。いずれにしてもこの我々がいる宇宙から別の世界に行かない限り未来は持続可能ではないのでこのあたりは考えないといけません。別の宇宙に行くことができないかぎり未来は継続できません。「別の宇宙に行けるかどうか」ではなく「別の宇宙に行く手段を考えなければならない」のです。思考を停止した時点で未来は終わります。

マルチバース理論は根拠あるのか?

この宇宙はどんどん膨張していることが発見されました。ビッグバン以降ずっと広がっています。これは観測データから事実でしょう。なぜ膨張しているのかはわかりませんが、他の宇宙が存在しないと、この宇宙が膨張していることが説明できないため、科学者の中でも一定数の人がマルチバースを支持しています。また超弦理論とマルチバース理論は相性がよく理論的に破綻しません。

ただ無数に宇宙があるといっても、いまいちイメージわかないですよね。「無限にある宇宙の外側には何があるのか?」、「無数って何個くらい?」、「そんなに物理資源あるの?」とか不思議なことがたくさんあります。

まだまだ、宇宙のことはわからないことが多いので、とりあえず科学的な根拠を積み重ねていくことが重要ですが、マルチバース説にはそれなりの可能性を感じます。この宇宙の終焉とともに全ての世界が消えてすべて終わってしまうとは考えられないからです。私たちには未来があります。きっと別の宇宙もあるはずです。

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惑星間移動の次はマルチバース間移動

仮にマルチバースのように他の宇宙が存在したとしても、難しい課題が解決できていません。別の宇宙へ行くにはどうすればいいのでしょうか?

SFの世界ではワープとかテレポートとか簡単にできそうですが、現実的なのでしょうか?

量子テレポーテーションという研究が進んでいるようです。小さい原子レベルの物体では実現できたという情報もあります。まだまだ研究段階ですが量子の世界は想像できないことも実現できる可能性があります。もし本当にテレポテーションができるのであれば光速で移動する必要はないですね。他の宇宙に行くためにテレポテーションも実現できるかもしれません。

ただ、問題は大きな物質で実現するのは非常に難しいという点です。「大きな物質」といっても、目で見えない原子より少し大きいくらいの物質を「大きい」といっていますので、目に見えるものを量子テレポーテーションするには相当困難と予想できます。物質が無理であれば「情報」だけでもテレポーテーションで移動できれば何かの解決になるかもしれません。例えば「意識」を情報化して、「意識」だけ量子テレポーテーションで移動するとか。そうすれば別の宇宙にも移動できそうですね。少なくとも人間自身をテレポーテーションするよりは現実的です。

よくよく調べてみると「量子テレポーテーション」とは単純に物質を転送するものではなさそうです。一般的な「テレポーテーション」のイメージとは異なるかもしれませんが、未来の可能性のある研究に間違いはないでしょう。

大昔に地球の外側が全く想像もつかなかった時代と同じで、私たちには宇宙の外側は全く想像できないですよね。どちらにしても別の宇宙に移動できなければ未来は持続できません。

=======【後編】===========

さて、「時間」とは何か?

ここまでに地球の寿命とか、別の惑星に行くのは何光年先とか「時間」を話題にしてきました。

さて、そもそも「時間」とは何でしょうか? 時間がなくなるとどうなるのでしょうか? ふと思うことはあっても答えは出ないので、これまで深く考えることはありませんでした。

「時間がないとストップウォッチみたいに止まる」、「時間が何も進まないので静止したまま」、「この世界自体なくなる」

など今突然時間がとまったときのことはなんとなく想像はできますが、「なぜ時間という存在があるのか?」 まではよくわかりませんね。

宇宙が生まれる前から時間という存在がなければ、そもそもビッグバンはなかったわけでこの世界は生まれないということは想像できます。「時間」は何のために存在しているのでしょうか? 「時間」の目的は何でしょうか?

まず時間の目的の1つが「変化」です。時間が存在しなければ変化は生まれません。朝、太陽が昇ることは無いし地球も回転しないし生命も進化することは無いでしょう。また、惑星も生まれることは無かったでしょう。そもそも「変化」がなければ何も生まれないのです。なので「変化する」ということは「時間が存在する」ということなのです。

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時間が未来方向にしか進まないのも理屈としては正しいですね。なぜなら「変化する」ということは未来しかないからです。仮に元の状態に変化して戻ったとしても「変化」した時点で「未来」になります。時間の目的が「変化」である以上、過去には戻れません。タイムマシンはどうなのかという話もありますが、あれは過去に遡っているのではなく「未来」に行っています。少しややこしいですが、仮にタイムマシンで過去へ行けたとしても過去の世界が広がっているだけで、そこは「未来」です。過去の世界に行くという未来に進んでいます。要するに物事が「変化」したらそれは「未来」です。タイムマシンで過去に行けば時間を遡っていると勘違いしてしまうと思いますが、変化した時点で未来に行っています。

時間は「未来」にしか進みません。「変化」すればそれは「未来」です。

楽しいこと。うれしいこと。悲しいこと。辛いこと。・・・すべて「時間」がなければ感じることもありません。「楽しい」と頭で思い浮かべるときに時間がなければ「た」の文字も言えないのですから当然ですね。きれいな景色をみて感動することも音楽を楽しむこともおいしいご飯を食べることもスポーツをしていい汗を流すことも家族とゆっくりした時間を過ごすことも何もできないでしょう。時間が存在しなければ意識もなければもちろん思考も一切できません。「時間」が存在するからこそできることなのです。

「時間」が存在しない世界はどうだったのでしょうか? 唯一想像できるのは何もない「無」の世界が広がっていることです。ただ「無」の世界を考えてもすぐに思考停止になって深く考えることは難しいです。「何もない」ほど難しいことはないですよね。物質もなければもちろん生命もいない、光もなければ時間もない。時間がないということは変化もしないため永遠に「無」の状態です。さて、よく考えると「無」の状態で、しかも「時間」が存在しない場合、明らかにこの世界は誕生しないことがわかります。「時間の存在がない」=「変化しない」からです。つまり「無」の状態から脱出できないのです。

そう考えると、最初から「時間」は存在したというのが自然な考えかもしれません。「変化」するためには「時間」が必要だからです。「変化」するために、何らかの形で「時間」の存在はあったと考えられます。

ところで「時間」を作るには何が必要だったのでしょうか? 物事を「変化」させなければならないですが、どういった仕組みで「時間」は動き出したのでしょうか? 「時間」を動き出すためのエネルギーは何か必要だったのでしょうか? 「時間」の最初はどんな感じだったのでしょうか? 

時間はどうやって生まれたのか?

少し視点を変えて、エンジニアリング目線で考えてみましょう。プログラミングの世界だとどうなるでしょうか。まずプログラムをコーディングして、そのコードがちゃんと動くかどうか実行してみると思いますが、「実行」=「時間のスタート」と考えると、まず時間がスタートする前にコードが存在するわけですね。プログラムのコードです。プログラムコードを作ったあとに実行するので、まずコードを作るのが先になります。

コードが出来上がったあと、「実行」した時点で初めて「時間」が誕生します。ここでようやく「時間」が生まれました。ちなみに「コード」がなければ「時間」があっても何も動きません。「時間」が生まれる前には「コード」が必要です。

とりあえず「実行」することによって「時間」という概念が生まれました。

整理すると、

1.「コード」 → 2.「実行開始ボタン」を押す(「時間」のスタート) → 3.「世界」の誕生

の順番になります。

意外と「プログラミング」と「この世界」が似てきました。「コード」はこの世界では物理法則などにあたります。まず物理法則とか化学とかいろんなことをコード化してスタートします。そうしてビッグバンが発生しました。「ビッグバン」=「実行ボタンを押す」みたいな感じですね。物質から生命が生まれるというとても先進的で画期的なコードが含まれています。しかもたぶんバグがありません。もしこの世界がバグだらけだと大変なことになります。

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ではコードを作るときの「時間」はどうやってできたのでしょうか? やはりコードを作るにも「時間」は必要なので、プログラムの中の時間が生まれる前にはまたコードを作るための「時間」が必要です。ちなみに、時間だけ存在してもコードがなければ何も動きません。コードを何も書いてない状態で実行ボタンを押しても何も動かないのと同じです。

時間が生まれる状況は何となく想像できましたが、最初に時間が生まれる前のことは、やはり謎のままです。

今から138億年前にこの宇宙は生まれました。宇宙誕生の状況についてはいずれ物理学が解き明かしてくれると思います。ただ、その宇宙誕生の前の状況については物理学で解き明かすのは難しいかもしれません。

この世界は3次元+時空(時間)で成り立っているといわれています。この世界を理解するためには「時間の存在」という難問を解き明かす必要があります。「時間」の理解も未来には必要な要素です。

「時間」という存在がなかったら

ビッグバンが発生したときの理論として「インフレーション理論」というものがあります。インフレーションという急激な膨張が発生して、ビッグバンに至ったという理論です。

「インフレーション理論」を実現するには、宇宙が誕生する前の時点で「時間」の存在が必要です時間が存在しなければ「変化」は発生しないからです。「変化」が発生する時点で「時間」が存在することになります。そうするとビッグバンの前にはすでに時間が存在したと考えられます。ビッグバンにたどり着くまでには何らかの「変化」が必要ですので、「時間はビッグバン前からあった」と考えるのが自然でしょう。

しかし、その「時間」が存在する前はどういう状況だったのでしょうか? やはり物質も時間も無い「無」の状態だったのでしょうか? 無の状態であれば時間も存在しないため、「時間が存在する」状態まで変化することはできないですがどう考えればよいのでしょうか?

1つの答えになるのが、先に述べたようにこの世界は複数の宇宙が存在する。というマルチバース理論です。この宇宙が別の世界から生まれたと考えれば、「時間が無いときはどういう状態だったか?」という難問を説明できそうです。

「時間が存在する別の宇宙でコードが作られて、実行ボタンが押されたときからこの宇宙の時間がスタートした」

と考えることも可能です。つまりこの世界がユニバース(単一宇宙)と考えると答えに行き詰まることも、マルチバースであると考えると矛盾しない答えが導き出せるのです。

ただし、

「この宇宙を作った元の宇宙の時間の始まりは?」

「この宇宙を作った元の宇宙の、さらにその元の宇宙の時間の始まりは?」

という難問が待ち受けています。誰かが一番最初の実行(時間スタート)ボタンを押さない限り、時間は始まりません。誰がこの一番最初の実行ボタンを押したのでしょうか? 

仮に世界が循環していると考えるとどうでしょうか。実行ボタンを押す世界では時間が存在するため、実行ボタンを押すことができます。実行ボタンを押した後、新しい世界(プログラム)は時間がスタートしますので、また次の世界のコードを作ることができます。

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あなたの「意識」は誰のものですか?

「私の意識はもちろん私のもの」、「自分の意識は誰のものでもない」・・・

当たり前のことですよね? 何も疑問に思うことはありません。

でもちょっと不思議ですよね。いつも毎日寝て起きた後、自分のことを自分と認識しています。朝起きて「あれ、ここはどこ?」、「私は誰?」とはなりません。「また朝が来たか」、「眠い」と思うことはあっても、昨日までの記憶は残っています。過去の記憶もだいぶ薄れてきましたが思い出は残っています。これは脳が記憶してくれているからですね。

例えばこういうケースはどうでしょうか。あなたは夜寝ている間に上から物が落ちてきて頭を強く打ち、昨日までの記憶が全て無くなってしまいました。朝起きたらまさに「ここはどこ?」、「私は誰?」の状態になりました。

さて、このときのあなたの「意識」は誰のものでしょうか? もともとは過去の記憶がある状態でれば「あなた」の意識だったと思いますが、過去のことを忘れてしまった状態の「あなた」は「誰」なのでしょうか?

「あなた」の意識は過去、子供のころから今までの記憶や経験が積み重なって脳に蓄積されているので「あなた」の意識だと思います。その過去がすべてなくなった「あなたの意識」は「あなたのもの」なのでしょうか? 

過去の経験や記憶をもとに思考しているから「あなたの意識」であって、「過去の記憶がすべてなくなったあなたの意識」はあなたの意識とはいえないかもしれません。では「過去の一部が無くなった状態」はどうでしょうか? 人間忘れることは多いので、1つでも過去のことを忘れたら、もう「あなたの意識」ではなくなるのでしょうか?

そんなことはないですよね。1日寝ると忘れることも多く、昨日食べたご飯の記憶も少し怪しいくらいです。昨日食べたご飯を忘れても「私」は過去から続いている「私」の意識を継承しています。

ではどこまで忘れると「私」ではなくなって、どこまで覚えていれば「私」なのでしょうか? 過去の経験や記憶をすべて忘れた場合、「自分の意識ではない」というのであれば、「どこまで忘れたら自分の意識ではないのか?」という線引きが難しいですね。

そうすると過去の経験や記憶をすべて忘れても「自分の意識は、自分がどうなったとしても永遠に自分の意識」というほうが正解なのでしょうか。

別の視点で考えると、あなたのDNAをコピーしたクローン人間の場合はどうでしょうか。あなたの過去の経験や記憶はもちろんありません。ただDNAが同じだけです。ふつうに考えるとあなたのクローンはあなたの意識はありません。これは「過去の経験や記憶をすべて忘れた状態」と近いはずですが、クローンの意識は「あなたの意識」とは明確に異なるのでしょうか。

「意識」の正体をつかむためにはもう少し深堀りが必要ですね。ところで、意識は人間以外の動物には無いのでしょうか? 例えば犬には意識は無いのでしょうか? 犬は飼い主を見つけるとすごく喜ぶと思いますがあれは「意識」なのでしょうか。

「意識」を深堀りする前に意識の定義を考える必要があります。そもそも「意識」とは何でしょうか? 

意識とは何か?

では植物は意識があるのでしょうか? ひまわりは太陽の方向に花が向きを変えます。これは「意識」でしょうか? 犬は飼い主を見つけると喜びます。これは「意識」でしょうか? 

「犬が飼い主を見つけると喜ぶのは意識があるからだ」、「植物が太陽の方向に伸びていくのもこれは意識といえる」・・・

どれも正解です。そもそも「意識」の定義をしていないので、広い意味ではどれも間違いではないのです。よく「意識」とは何なのか言葉の定義しないまま議論して意味不明になっている例を見かけますが、何事も深堀りするには言葉の定義が必要です。

では「意識」はどのように定義するとよいでしょうか。まず試しに「未来を予測した思考ができる」=「意識」と定義してみましょう。植物は未来を予測できるでしょうか? 太陽のエネルギーで反射的に動きを変えることはできますが、「近くに高いマンション立ちそうだから日当たり悪くなるし別の場所に移動しようか」と未来のことは予測していないでしょう。

犬の場合はどうでしょうか。「いつもこの時間になると飼い主が返ってくるので、玄関で待ってよう」くらいは考えてそうです。今回の定義では犬も「意識」持っているといえます。なぜなら「未来を予測した思考ができている」からです。これだと人間以外の動物も「意識を持つ」ことになりそうですね。

「意識」については、まだぼんやりしていますので他に何かよい定義はないでしょうか。

「意識」の正体

「意識」とは一般的にはどういう意味で定義されているのでしょうか。

「起きている状態にあること(覚醒)」、「自分の状況や周囲の状況が認識できていること」、「物事や状態に気づくこと」・・・

と定義されているようです。

何となくはわかりますが、「意識」の本質まではよくわからないですよね。これらの説明であれば植物や動物でも「意識はある」といえそうです。でも植物も意識があるというのは少し違和感ありますね。何となくですが「意識」というものは人間だけが持っているという印象がありますので、どうもこの定義では、すっきりしません。1点注目するとしたら「自分の状況が認識できていること」が一番のポイントでしょうか。

植物は「自分」のことを理解しているのでしょうか? 認識はしているかもしれませんが、たぶん「自分」が何なのかは理解していないでしょうね。犬は「自分」のことを理解しているのでしょうか? 「自分は犬だ」とは思っているかもしれませんが、「自分はなぜ犬なのか?」は考えないと思います。

ここで「意識」を定義するうえで1つヒントが出てきました「自分はなぜ犬なのか?」

「自分はなぜ人間なのか?」は人間は考えると思いますが、人間以外の動物は「なぜ自分はチンパンジーなのか?」、「なぜ自分は犬なのか?」という思考はしないでしょう。

そこで、「意識」とは「自分自身へ『なぜ?』を問いかけられる状態」と定義するとどうでしょうか。これだと「意識は人間だけが持っているもの」といえそうですね。おそらく虫は「なぜ自分は虫なのか?」を問うことはできないでしょう。だから「虫は意識がない」といえます。犬は「なぜ自分は犬なのか?」を問うことはできないでしょう。だから「犬は意識がない」といえます。人間は「なぜ自分は人間なのか?」を問うことができます。だから「人間は意識がある」といえます。

ようやくすっきりする「意識」の定義ができました。定義ができたところで改めて「意識」の目的を考えていきましょう。

なぜ、「意識」が必要だったのか?

なぜ人間は意識を持つようになったのでしょうか? 人間以外の動物は「意識」は持っていません。「自分はなぜ〇〇なのか?」を自分自身で問えないからです。AIといったテクノロジーも進化していますが、AI自身が「意識」を持って動作しているわけではありません。あくまでもプログラミングされた処理に従って動作しているだけです。今のAIは「自分はなぜAIなのか?」を思考する能力はありません。

「意識」がなくても動物は本能で生きていけます。なぜ人間は「意識」を持たなければならなかったのでしょうか? 何のために必要だったのでしょうか?

「人工意識」という研究も進んでいます。機械、コンピュータ上で人間の意識を再現させようという研究です。ただ、現時点では「意識」の本質まではつかめていないように思えます。

「AIの開発を進めていけば自然と「意識」が解明できる」、「脳科学の分野の発展により「意識」が明らかになる」・・・

もしかしたらその通りかもしれません。ただ、そもそも「意識」のことを深堀りしないで研究しても解明に時間がかかりそうな感じはします。まずは「なぜ意識は存在するのか?」、「意識の正体は何か?」とじっくり深堀りするのが実は案外近道になるのではと考えています。

意識があれば遠い未来をみることができます。

「なぜこの世界があるのだろう」、「自分は誰なんだろう」、「なぜ今ここにいるのだろう」、「なぜ自分は人間なんだろう」、「100年後はどんな世界になっているんだろう」、「世界の終わりはどうなるのだろう」、「なぜ時間が存在するのだろう」・・・と「なぜ?」を自分自身に問いかけることができます。「なぜ?」(疑問)を持つことによって遠い未来を見ることができます。そして未来を見た者は未来を作る衝動に駆られるのです。

動物でも少し先の未来であれば、もしかしたら見ているかもしれません。「ここに行けばエサとなる草原が広がっている」とか「ここは敵の動物がいる可能性があるから移動しよう」とか目先の未来をみることはできるかもしれません。ただ人間のように何十年、何百年、何千年、何万年も未来のことは考えられないでしょう。人間と動物では「意識」の完成度が違うのです。

人間は遠い未来を先読みする事によって未来を作っているのです。

意識の目的は「未来を作るため」です。

「仮想イメージ空間」とは?

みなさん「仮想イメージ空間」はお持ちでしょうか?

「もちろん持ってるよ」という人と「仮想イメージ空間って何?」という人に分かれると思いますが、「もちろん持っているよ」という人には説明は不要ですね。「仮想イメージ空間って何?」という人向けに少し説明します。

みなさんには目で見た世界が見えていると思いますが、頭で認識している世界は目で見たものと同じものを頭で認識していますか?

「もちろん目で見たものを認識しているけど?」

と思われるかもしれません。では考え事をしているときはどうでしょうか? 目の前の見えているものを認識しながら考え事をしているでしょうか?

考え事をしているときに目の前のものは意識の中から消えていると思います。目は開いたまま目の前を見ていますが、意識の中には入ってきていません。要するにボーっとしているときは目を開いてますが、頭で別のことをイメージしていますよね。「目」は目の前のものを見ていますが、「意識」は「目」で見たものを認識していません。代わりに想像している「イメージ」のほうを「意識」は認識していると思います。この「意識」が認識している「イメージ」を「仮想イメージ空間」と呼ぶこととします。(「仮想イメージ空間」というのは勝手に名づけましたが、いわゆる頭の中の「イメージ」です)

単純に「イメージ」といったほうがわかりやすいかもしれませんが、わかりやすく区別するために、あえて「仮想イメージ空間」と呼びます。

この「仮想イメージ空間」ですが、スポーツ選手がよく使う「イメージトレーニング」でも利用されます。体を動かさなくてもイメージするだけでトレーニングになる手法ですが、スポーツ以外でも何か本番前にイメージして想像することはよくありますよね。あれは「仮想イメージ空間」に実際の物理空間と同じような世界をイメージで作り出して、「意識」をトレーニングしています。

少しややこしいですが、「目」で見ているものはいったん「仮想イメージ空間」に取り込まれ、そのイメージを「意識」は認識しています。

「目」→「視覚情報(現実世界)」→「仮想イメージ空間」→「意識」

もう1つ「仮想イメージ空間」の例として、みなさんもよく見ることがあるものを考えるとわかりやすいかもしれません。

そうです。「夢」です。あまり最近見ない人やよく見る人それぞれだと思いますが、みなさん一度は見たことがあると思います。あれは寝ている間に見るものなので、もちろん目は閉じていて視覚情報は脳に入ってきていません。なのに視覚情報を見ているかのような世界が広がっていますよね?

あれも「仮想イメージ空間」が利用されています。目で見た視覚情報ではなく、脳が作り上げた「仮想イメージ空間」が広がっていて、そのイメージを「意識」が認識して夢となるのです。ちなみに夢を見るのはレム睡眠中で眼球運動が発生しています。脳波上も覚醒しているときと似たような脳波が現れるそうです。「意識」が「仮想イメージ空間」を認識して活動している証拠ですね。なお、夢を見ているときは、運動活動が停止しています。これは夢を見ているときに体が動いてしまうと危ないから、運動機能が停止しているといわれています。

「意識」の存在には「仮想イメージ空間」というものが重要なポイントになります。(AIにとっても「仮想イメージ空間」が重要となります)

言語と仮想イメージ空間

人間は言語を使います。コミュニケーション手段として人類が獲得した素晴らしい機能の1つです。言語によって人は考えていることを別の人に伝えることができます。

言語によって「あるもの」を共有することができるようになりました。「共有」というのは種が進化、繁栄するために重要なことです。ネアンデルタール人よりも今の人間であるホモ・サピエンスが繁栄したのもこの「共有」の能力に長けていたからだと考えられています。

さて言語によって何が共有できるようになったのか? それは「仮想イメージ空間」です。人はコミュニケーションにより「仮想イメージ空間」を情報として共有できるようになりました。よく「あの人とは価値観が合う」というのもお互いの「仮想イメージ空間」が似ているという状態を表しています。

「ツーカーの仲」と言いますが、あれも「仮想イメージ空間」がかなり共有できた状態だといえます。いきなり初対面で「あれってどうだったっけ?」といっても「はぁ?」になりますが、ツーカーの仲同士の人が「あれってどうだったっけ?」、「(あぁ、あれのことか) あれはこうなったよ」と会話が成り立つことが多いと思います。仮に1回では違っていても「それじゃないよ。あっちのことだよ」と2回目で伝わることもあると思います。初対面同士では考えられないですね。

初対面の人と会話するときは、無意識のうちに説明が冗長になって、「時間も忘れて話し合ってしまった」とか「しゃべり終わった後すごいエネルギーを使った感じがして疲れた」と感じることが多いと思いますが、ツーカーの仲だとけっこう言葉を省略しながら会話するため、疲労感は少ないと思います。

会話することで「仮想イメージ空間」が共有されます。生活のための知恵や知識が親や親せき、近所の人から伝えられ「仮想イメージ空間」がどんどん共有されていきます。「川で泳ぐと危ない」とか「山は遭難しやすい」とか危険な場所には近づかないように。という言い伝えもそうですが、昔話のように「悪いことをすると鬼に食べられる」とか、「いうことをきかないと雷様がカミナリを落とす」とか、「川に行くと河童が出て川に引きずり込まれる」とか、これらも「仮想イメージ空間」を共有していることになります。(この場合、「共有」というより「イメージを植え付けている」というほうが正しいかもしれません)

「恐怖」というのも「仮想イメージ空間」に存在します。夜暗いところで1人で歩いていると、背筋が寒くなって怖い思いをします。目の前にはただ暗い景色が広がっているだけのただの視覚情報ですが、「恐怖」を生み出しているのは「仮想イメージ空間」です。「仮想イメージ空間」が勝手に「恐怖」イメージを作り出しています。例えば急にお化けが飛び出してくるイメージとかですね。「目」に見えるものだけを認識していれば、夜だからといって別に「恐怖」は生まれませんが、「意識」は「仮想イメージ空間」が作り出したものを認識するので「恐怖」が生まれるのです。

「意識」が感じる恐怖は目に見えるものだけでなく、想像上のイメージでも恐怖を感じてしまいます。動物では目に見えた物理的な敵か、もしくは仲間が発した危険を知らせる鳴き声で「恐怖」を感じることはありますが、未来を想像したり、存在しないものを想像して「恐怖」を感じることはありません。動物はまだ「仮想イメージ空間」が発達してないからです。「不安」、「心配」は人間が「仮想イメージ空間」という機能を進化の過程で獲得したがゆえに現れた人間特有のものです。動物でも繰り返し刺激を与えて「こうなったらこうなる」という「恐怖」を学習することはできますが、未来を自分で勝手に想像して不安になったり、心配することは無いでしょう。

小説を読んでいるとき、小説の世界に入り込んで「仮想イメージ空間」が広がっていき、実際に目で見ているのは文字だけなのに、その小説に書いてある世界がイメージできると思います。これは視覚情報ではなく言語情報が「仮想イメージ空間」に到達して、それを「意識」が認識しています。

「目」→「言語情報」→「仮想イメージ空間」→「意識」

同じようにラジオや朗読など、耳で聞いた情報も同じく、実際見ているわけではないのに、耳で聞いた情報の世界がイメージとして広がっていく感覚があると思います。これも視覚と聴覚との違い、つまり光の情報なのか音の情報なのかの違いはありますが、どちらも「言語情報」として「仮想イメージ空間」に到達しています。それを「意識」が認識しているのです。

「耳」→「言語情報」→「仮想イメージ空間」→「意識」

逆に「仮想イメージ空間」はアウトプットすることもできます。どうやってアウトプットするのか? そうですね、「言語情報」としてアウトプットするのです。人と話をしたり、文字を書くことによって自分の「仮想イメージ空間」をアウトプットします。

ちなみに、「自分の思いがなかなか人に伝わらない」と思っている人は、この「仮想イメージ空間」のアウトプットがうまくいってないケースが多いです。

情報共有と進化

言語は情報共有のための重要な手段というのは明らかですが、「情報共有」は何のために必要なのでしょうか?

情報共有は進化を加速させるために必要なのです。

情報共有の手段はどんなことが思い浮かぶでしょうか?

「電話」、「メール」、「チャット」、「書籍」、「講義」、「テレビ」、「ラジオ」、「インターネット」、「SNS」、「政治」、「学校の教育」、「宗教」、「言い伝え」、「地域の習慣」、「村の掟」、「家族」・・・など

特に何の制約もなければ、次々に情報共有の手段は思いつくことでしょう。「情報共有」の手段も進化の一途をたどっており、今ではSNSで簡単に素早く情報共有ができるようになりました。テレビの情報よりSNSとかのほうが、的確で速かったりします。

なぜ「情報共有」は進化に必要なのでしょうか?それは「情報共有」に優れた種のほうが繁栄するからです。

もともと生命はDNAによる情報共有しかできませんでした。言語を持たないので情報共有の手段がDNAでしかなかったからです。ある世代の生物が学習した情報がDNAに保存され、その情報は次の世代へDNAを介して情報共有するしか手段がなかったのです。世代交代が前提となるDNAによる情報共有と比較すると、現世代同士で情報共有できるのとでは圧倒的に情報共有のスピード、量が異なりますよね。「言語」の獲得は「進化」のスピードに圧倒的な恩恵をもたらしたのです。

「ミーム」という言葉があります。脳の中に保存され、他の脳にコピーが可能な情報のことをミームといいます。情報共有というのもミームのやりとりのことです。会話するだけでも脳内情報は他人の脳へコピーが可能です。本でも脳内情報をコピーすることができます。今ではSNS等によって、すさまじいスピード、かつ広範囲に一気に脳内情報がコピーされます。とくに「バズる」っている状態は、それが顕著に現れた例でしょう。昔は会話や本で脳内情報のやりとりが行われていましたが、今では脳内情報のコピー範囲、スピードが桁違いになりました。これだけのミームのやりとりが発生すると、自然と加速度的に進化していくことでしょう。

「情報共有」というのは「進化」を考えるうえで重要なポイントです。

「意識」の先は何なのか?

人間の意識は「仮想イメージ空間」の発達によるところが大きいとして、「意識」の先には何があるのでしょうか?

「意識」と似たような言葉として、人の「意思」はどうやって生まれるのでしょうか?「ああしたい」「こうしたい」というのが「意思」です。「意識」の次に来るのが意思です。同じような言葉で「意志」もありますが、どちらかというと「意志」のほうがしっかりと本人の強い気持ちがあるニュアンスがあるので、最初は緩いニュアンスである「意思」のほうで考えてみましょう。

われわれは行動するときに「意思」を持って行動することがあります。

「おなかがすいたからご飯を食べよう」

「食事の時間になったからご飯を食べよう」

「眠くなってきたから寝よう」

「寝る時間になったから寝よう」

・・・

少しニュアンスが違う文章を2つずつ並べてみました。 「意思」を持った行動と、それほど「意思」を持たない行動に分かれると思います。

「食事の時間になったからご飯を食べよう」は「意思」でしょう。それほどおなかがすいたわけではなくても、毎日12時くらいになったらお昼ご飯を食べるのは「意思」のちからが働いています。一方「おなかがすいたからご飯を食べよう」は、あまり「意思」は無く、「意識」だけで行動している印象があります。お菓子とかあまり時間関係なく、ついつい食べてしまいますよね。

同じように「眠くなってきたから寝る」というのは「意識」で、「寝る時間になったから寝る」というのは「意思」と区別できますね。

さらに似たような言葉で強めのニュアンスがある「意志」が入ってくるとどうなるでしょうか?

「今ここでご飯を食べないと、今から2日間何も食べられないので、今ここで必ずご飯を食べる」

「ダイエット中なので、今日の夜はご飯を絶対食べない」

・・・

というのが「意志」となります。「意思」より強い思いが感じられます。

整理すると以下の順序になります。

「意識」→「意思」→「意志」

ところで、心理学者、哲学者である「ウィリアム・ジェームズ」の有名な言葉に以下の言葉があります。

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

「心」が変わることによって最終的に「運命」も変わります。これはなかなか頭で理解していても実践するのは難しいですよね。過去の偉人たちはこれを実践した結果なのかなと思っています。

哲学者や心理学者では、「仮想イメージ空間」の存在までは想像つかなかったかもしれませんが、人間の「意識」はその人が持っている「仮想イメージ空間」に左右されます。

「仮想イメージ空間」理論に言い換えると以下のようになるでしょうか。

「意志」が変われば「意思」が変わる
「意思」が変われば「意識」が変わる
「意識」が変われば「仮想イメージ空間」が変わる

なんとなく「意志」、「意思」、「意識」、「仮想イメージ空間」の関連性が整理できてきました。最初は「意志」の強い思いが必要ですが、ひとたび「仮想イメージ空間」に定着して土台ができると、あとは習慣化されて自然と行動が変わるという原理ですね。

人間に強い「意志」を持つことができるのも、人間が「仮想イメージ空間」という機能を手に入れ、意識を持つようになったから獲得できたのです。

「意識」でも未来を見ることができますが、未来を作るには「意志」が重要となるでしょう。強い「意志」が未来を動かします。

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意識は人工的に作れるのか?

ここまでくれば話は簡単だと思います。

「ロボットは意識を持てるのか?」

ふつうに機械を組み立てたロボットが意識を持つことは永遠にないでしょう。

目の代わりに画像を認識できるカメラ。

耳の代わりにマイク。

口の代わりにスピーカー。

手足の代わりに触感センサー。

いろいろ人間に似せて作ったとしても、これだけでは「意識」はできません。「意識」ができるには何かが足りないですよね?

はい、「仮想イメージ空間」が無ければ「意識」はできません。「仮想イメージ空間」が無ければ映像に写し出された映像をもと(あるいは匂いをもと)に行動する原始生物と同じです。そこに「意識」はありません。

では「仮想イメージ空間」を作るにはどうすればいいでしょうか? これには「なぜ仮想イメージ空間が必要だったのか?」を考えなければいけないでしょう。

「仮想イメージ空間」がなければ未来を考えることはできません。要するに未来の想像ができないのです。想像をするためには「仮想イメージ空間」が必要となります。

頭の中で何か想像しているときは「仮想イメージ空間」が使われています。

動物も「明日は雨が降りそうだから、川の近くから離れよう」とか、「この季節はあそこに水飲み場ができるので移動しよう」とか、未来を予測する力が必要だったのでしょう。生物は生存するために少しずつ機能を進化していきましたので、脳が少しずつ「仮想イメージ空間」を作り上げる機能を身につけました。未来を想像して先読みするためには「仮想イメージ空間」が必要となります。「仮想イメージ空間」が強化されるに伴い人間は「意識」を持つようになりました。

もし人間の脳と完全に同じ機能を再現できれば、自然と「仮想イメージ空間」は生まれるはずです。「仮想イメージ空間」ができれば同時に「意識」も生まれることでしょう。未来を予測する「仮想イメージ空間」ができると「意識」を持つことができるのです。

ただ、簡単に人間の脳と同じことを再現といっても、脳科学が発展して脳の動きが解明されていく必要があるでしょう。まだまだ未解明なことが多いので、それと並行して進めていくことになると考えています。

AIは意識を持てるのか?

これも意識を人工的に作る話と同様に「仮想イメージ空間」をAIで再現できない限り「意識」はできません。

「AIの進化によりAI(人口知能)が意識を持つようになる」

よく聞く話ですが、「意識」の本質を定義せずに語られている場合がほとんどでしょう。「意識とは何か?」を定義していないのに、「意識を持つようになる」と言われても、よくわからないですよね。

「意識を持ったようにふるまうAI」は現在でも実現できています。しかし、「本物の意識」は実現できておらず、目途すらたっていません。「意識」の本質を理解しようとしない限り「本物の意識」を作ることはできないでしょう。

意識は持続可能なのか?

死後の世界があるかどうかは別にして、意識は肉体が死んだと同時になくなると考えられます。仮に肉体が永遠であれば意識も永遠なのでしょうか?
不老不死はなかなか難しいですが、もし生命の冷凍保存が実現したとして1000年間眠り続けた後の「あなた」は、「あなたの意識」を持っているのでしょうか? この場合、期間が長いだけで眠っていたあとに目覚めただけなので、きっと「あなた」は「あなたの意識」を持っているでしょう。もし1000年後も自分の意識を持っている場合はタイムマシンにのった気分になりますね。1000年後の未来に行けるわけですから。ただ、言葉が通じなくてちょっと苦労するかもしれません。
もし肉体がなくなってしまっても、脳の動きを機械上で完全に再現した脳であれば、意識が移植可能となるでしょう。「仮想イメージ空間」が再現できれば「意識」は動くことができます。あとは「意識」をどうやってコピーするかです。もし機械上で自分の意識が動けば、もう健康や寿命に悩まされることはないかもしれませんね。でも、機械の場合はご飯を食べてもおいしいと感じられないのは残念です。

この世界と同じ仮想空間は実現可能か?

テクノロジーの進化にともない、仮想空間もリアリティーが増してきました。「リアル」=「現実空間」、「バーチャル」=「仮想空間」です。
単純な仮想空間であれば今でも実現できています。ただし、残念ながら今は映像だけです。VRも映像、音声を用意して疑似的な仮想空間を用意しているだけです。つまり現時点では「疑似仮想空間」でしかありません。今実現できている仮想空間はあくまでも「疑似仮想空間」です。「疑似仮想空間」の場合、ガラスを叩くと割れてしまうのも事前にガラスが割れた映像を用意しなければいけません。

もっと仮想空間が進化すると物質の原子レベルまでプログラミングすることで「完全仮想空間」ができあがります。ガラスを叩くと割れるのも原子、分子レベルから計算してこれくらいの強さ、硬さの物体で叩くと割れるという点までプログラミングで再現できた場合に完全な仮想空間としてできあがります。でも本当に「完全」というのであれば、もしかしたら超弦理論まで再現させる必要があるかもしれませんね。

「メタバース」という言葉が話題になっていますが、あれは「疑似仮想空間」の1つです。仮想空間の中のアバターを通じて、仮想空間で行動ができるようになります。これも1つの世界と言えなくはないですが、現在の「疑似仮想空間」と「現実世界」を比べると圧倒的な差がまだまだあります。

AIはシミュレーション環境があれば、自分自身で学習することができます。どういう動作をすれば「報酬」が最大限に得られるかを学習して行動することができます。「仮想空間」が現実世界に近いほど「仮想空間」での学習結果を現実世界へフィードバックすることができます。例えば将棋や囲碁はルール上はコンピュータ上の仮想空間と現実世界では全く同じですよね。なのでAIがコンピュータ上(仮想空間)で学習したものをそのまま現実世界で利用することができ、現実世界でも人間を上回るパフォーマンスを発揮できるのです。
「汎用型AI」がまだ実現できないのは、現実世界に近い「仮想空間」が実現できていないのも1つの要因でしょう。現実世界は情報量が多すぎて今のAIには何が正解なのかわかりません。学習を加速させるためにはシミュレーション環境が必要となります。しかし、現実世界と同等な「完全仮想空間」は実現できておらず、AIを汎用化するのに最適なシミュレーション環境が無いため学習できないのです。

新たな世界にむけて

この宇宙でビッグバンを疑似的に再現させて、別の宇宙を作るという研究も行われているようです。未来のある話ですが、少し現実からは遠い感じがしています。それよりは脳波をコントロールして疑似的に夢を見ることのほうが近い将来現実的になってくるでしょう。さらに複数人の人が共通の夢を見ることもSFの世界の話ではなくなります。わざわざビッグバンを再現させて別の宇宙を作らなくても、夢の世界も立派な1つの世界です。夢も「仮想イメージ空間」の1つです。「意識」は夢という「仮想イメージ空間」が作り出した世界を認識できます。コンピュータ上で再現した「仮想イメージ空間」の世界も「意識」は認識できます。「仮想イメージ空間」として頭でイメージできれば、「意識」が作動します。つまり新しい世界でも人間は考えることができます。

というように、アプローチは様々な方法がありますが、いよいよ「意識の情報化」への未来が近づいてきます。もしマルチバースが現実だったとしても物理的な肉体を別の宇宙へ移動させることはハードルが高いでしょう。別の宇宙が何次元なのかもわからないのに、3次元の物質が移動できるのは考えにくいからです。「情報化された意識」をどうやれば別に宇宙に移動できるかを考えるほうが現実的でしょう。もし事前に別の宇宙に「仮想イメージ空間」を作ることができれば「意識」は動きます。

夢の中でも「意識」が作動しています。つまり「仮想イメージ空間」があれば、物理的な視覚情報や聴覚情報などは不要です。物理的な視覚情報や聴覚情報が不要ということは、必ずしも現実世界が必要ではなくなります。実際、目を閉じても耳を塞いでも人間は考えることができます。「意識」は現実世界から離れることが可能なのです。

「意識」があれば未来を見ることができます。未来を作るためには、未来を先読みする機能が必要だったのです。

まとめ

振り返ると勢いで文章が長くなってしまいましたが、「未来を考える」という面白さが伝わればという思いで文章にしました。

「意識」の話題も取り上げましたが、現在でも自動応答のAI等、あたかもAIが意識を持っているかのように振る舞うAIの製品、サービスはありますが、残念ながら「本物の意識」は持っていません。

「本物の意識」を持つAIの登場はいつごろになるでしょうか。そのときはきっと「仮想イメージ空間」の概念が取り入れられていることと思います。

人間は未来を考えるために進化しました。未来を考えるために意識を獲得しました。現時点では人間だけが持っている権利です。人間以外でも今を生きることは可能です。ただ、持続可能な未来を想像し、未来を創ることができるのは人間しかいないのです。

この記事が持続可能な未来のために少しでも役に立てば幸いです。

【今後のマイルストン】
 1.火星移住
 2.太陽系以外の惑星へ移住
 3.惑星間の移動
 4.意識の情報化
 5.この宇宙以外への旅

最後に

思いのほか記事が長くなりましたので、電子書籍を作りました。

内容はnoteの記事と同じですが、Kindleでゆっくり見たい方はこちらでお願いします。(内容は変わりませんのでnoteで十分な方は、このままnoteの記事をご覧ください)


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