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コミュ力よりも基礎学力のほうが大事だ
コミュニケーション能力とは曖昧なもの。
何をもってコミュ力が高いか低いかというのは、所属している組織や人間関係で基準がかなり変わってくる。
それゆえ、客観的に「コミュ力が高い人・低い人」という判断は難しいのです。
だから、コミュ力なるものは価値基準の一つとして考えないほうがいい。
しかし、日本企業においてはそのコミュ力が徹底的に重視されます。
よく、ゴリゴリの体育会系や会社の老害などが「あいつは〇〇大学を出ているがコミュニケーション能力が低い。だから仕事ができない」という批判をするのを耳にします。
(「〇〇大学」には偏差値の高い大学が入ります)
で、偏差値の高い大学を出た人たちはコミュ力なるものに煩わされ、病んでいき、会社をやめるみたいなことがよく起きています。
会社をやめない場合でも、「コミュ力が低い」ことで「仕事ができない」というレッテルを貼られ、組織内で肩身の狭い思いをすることになります。
私は組織で重視すべきなのはコミュ力よりも基礎学力であると考えています。
なぜなら、基礎学力がなければ相手の言っていることやメールなどの文章を正しく理解できず、業務に支障が出てしまうから。
そうなると、無駄な時間とコストが発生し、無駄に労働をするハメになってしまいます。
コミュ力という曖昧なものよりも基礎学力があった人間を集めたほうが仕事の効率は圧倒的によくなるのです。
しかし、日本企業は「コミュ力信仰」があまりにも強く、基礎学力の重要性を蔑ろにしている傾向があります。
もちろん、大企業や外資系企業はその限りではないと思いますが、多くの企業では「社会で大事なのはなぁ、コミュニケーションなんだ!」と声高に社員に叫びまくる。
ひどいところでは「勉強よりも大事なものがある!」なんて言い出し、基礎学力を露骨に非難する。
かくして社員が働きまくっているのにもかかわらず、生産性が低いというクソみたいなことが起こるのです。
今、日本は圧倒的に「コミュ力大事社会」です。
確かに人との意思疎通をするうえで会話ができることは重要ではありますが、基礎学力がなければ相手の言っていることを正しく理解できません。
また、自分の考えを正しく説明することができません。
そして、仕事にも支障をきたしてしまう。
大事なのはコミュ力よりも基礎学力です。
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