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能力社会のディストピア

日本企業の最大の問題点と言えば、給料と働き方が皆横並びであること。
仕事ができる人間もそうでない人間もさほど給料が変わらず、働くモチベーションが全く上がらない。
一方、働きたくない人も1日8時間×週5日の労働に煩わされ、いやいや労働するハメになる。
であるならば、バリバリ働いて結果を出す人には相応の報酬を、ゆるく働きたい人は労働時間を減らすとともに給料も減らすという「棲み分け」をしたほうがいいはず。

しかし、今の日本は社会全体で「能力主義」が絶対的正義になっています。
能力があることが正義。
能力を発揮し、仕事で結果を残し、しかるべき報酬を得る。
そういう働き方をすることが正しいという考えが支配的になりつつあります。
それはそれでいいのですが、厄介なのは全ての人間に「能力主義」が求められていること。

労働が好きな人も嫌いな人も能力が高い人も低い人も皆、仕事で結果を出さなければいけません。
もし、仕事のパフォーマンスが低かったら「無能、生きる価値なし」の烙印を押されてしまいます。
働くのが嫌になり無職になれば、「自己責任論」を押し付けられ、「無職になったのは自分の能力が低いせい」とされる。
無職になり、貧困に陥れば、「働かざる者食うべからず。能力のない、結果を出せない人間は救われなくていい」と切り捨てられるのが今の日本社会の風潮になっています。

全員が結果を出さなければいけない。
結果が出なければ自己責任。
原因は全て自分である。
これが能力社会のディストピア。

能力社会はビジネスで結果を出せる人間にとっては天国ですが、能力が低い人間は地獄と言えるでしょう。
本来は働きたい人と働きたくない人の「棲み分け」が重要なのだけれども、一方的に能力社会に浸食されてしまっている。

このまま能力社会が進めば、「無能は〇ぬべき」という考えが全肯定されてしまい、日本は「一億総優性思想社会」となるでしょう。
まあ、現実に今も優性思想はかなり強くなっていますが…。

本来、日本人は穏やかな気質であり、争うを好まないはずなのですがグローバル化で性格が様変わりしてしまったように思います。

このまま能力主義が過激化、国家がオワコン化していくのか、それとも歯止めがかかり再び穏やかな国になるのか、気になるところです。

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