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40年探した小説

40年以上探していた小説に、ようやく巡り合った。



それは、中学の時の国語のテストで出会った、小説の一場面。

ー2人の女の子が鼓を打っている。
多分、競技会のようなもの。
ひとりの子が、何かの想いに囚われて、はたと打つのを止めてしまう。
彼女はもうひとりの少女の顔を見る。
緊張し、引き攣った醜い表情で鼓を打つライバル(だろう、多分)
主人公の少女は鼓を置いて眼を閉じる。
彼女はその時、ある人を思い出して、広々とした野原に解放されたような
幸福に身を包むー

ほんの数行の抜粋だったのに、
ぴんと張り詰めた空気。翻る袖。
そして切り裂くように響く鼓の音が聞こえるようで、心が躍った。

これがどんな小説なのか知りたい。
前後の話が読みたい。
この後、少女はどうなったのか。
確か出典が書いてあったはずだが、覚えていない。

インターネットの検索なんてない時代、
家にあった日本文学全集をひっくり返し
それらしいタイトルの本を図書館や本屋で探してみても
見つからず、何の手がかりも無くて
それでも、数行の場面だけが長く心に残った。


夜中に目が覚めて寝付けなくなると
枕元のスマホに手を伸ばしてしまうのは、悪癖である。
徒然に“青空文庫”なんて開いたらもう、アウトだ。
退屈な評論の一つも読んで眠ろうと思いつつ
新着/おすすめを見てしまう。


ちょっと短いものでも、と読み始めて、ドキドキした。
もしかして、あの小説かも。。もしかして、もしかして。。。
深夜3時過ぎに1人煩悶しつつ読み進めて、
そしてついに、あの場面。

『ーー音楽はもっと美しいものでございます、またと優劣を争うことなど
おやめなさいまし、音楽は人の世で最も美しいものでございます』

ああ、そうだ、この言葉だ。
40年以上前に一度読んだだけのこの言葉を、私はおぼえていた。


探していたのは、山本周五郎の「鼓くらべ」という小説だった。

お城での御前鼓くらべに参加する主人公、お留伊は
勝つために、城主前田侯から賞をもらうために鼓打ちに励む。
そんな彼女に、旅の絵師を名乗る老人が
「芸術とは人の心を楽しませ、清くし、高めるために
役立つべきものだ」と諭す。
人を押し退けて自分だけの欲を満足させる道具にすべきではない、と。
その後の鼓くらべの緊迫した場面で、卒然と老人の言葉に思い当たるお留伊。
老人こそが“友割りの鼓”で名高い観世市之丞だったのではないか。
彼女が亡き老人のために打つ「男舞」で鮮やかに物語が終わる。

ーーーーなるほど、そういう話だったのか。。。

この小説は昭和16年に「少女の友」という雑誌に発表されたのが
初出のようだ。
作者は少女読者を念頭においていたのだろう。
テストの出題者も恐らく、少年少女向けの小説として選んだに違いない。

だが、今の私が想うのは
小説の始めと終わりで大きく成長する主人公の姿よりも
自らの鼓の腕を折り、故郷を捨てた老人のこと。
彼がどんな生涯を送って芸術を語る言葉を得たのか。
死を前にしてどんな想いで故郷に戻り、鼓に心を残したのか。

命の終わりの時に、これだけは、と思うものが私にはあるだろうか。

40年以上探した小説は、つらつらと もの想わせるものだった。

長い間 探していた小説に会うことができた。

積年の思いをひとつ遂げる事ができた、とは大袈裟かもしれないが
本の虫には深刻な悩みだったのだ。
青空文庫の皆さん、本当にありがとうございました。

追記:今回「鼓くらべ」で検索したら
    小学校の教科書で読んだ、という記事がいくつもありました。
    皆さん、思い出の小説だったのですね。

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