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出会う

何のために来たのか、何のためになったのか、何ひとつわからない。私にはこれまで消し去りたい過去しかない。大学を卒業することが、またひとつ、消し去りたい過去を増やしただけのような気もしている。

今、やりたいことがない。何をやりたいのかを考えている人に研究は無理だと言われた。研究者は、やりたいことをやる人ではない。やらなければならない、やらずにはいられないことにとりつかれている人たちが、研究者になる。出会ってしまった、そのような感覚だという。確かに私にはそれほどまでの熱量がない。

「4年もあったのにやりたいこともないなんて、大学で何をしていたの?」そう聞いてくる人たちより、私はいろいろなものに手を出した。たくさん考えた。なんとなく4年間を過ごして、偶然、やりたい、やりたいと信じることができるものに出会えた人が、そんなに偉いのだろうか。手を出したから、考えたから、それでやりたいものは見つかるのだろうか。何をしようとしまいと、出会うかどうか、それだけの違い。ちょっと運がいいだけで、それだけ。

何の目的もなく、何のこだわりもなく、行ったこともない地でやりたくもない職に就こうとしている。やりたいことがないとか言ってもしょうがないじゃん、何かを決めないと。そう言われても、じゃあ何に決めるの?だから、やりたいことがないんだって。こじつけるものすらない。私がやりたいこと、それは、出会ってしまうような、とりつかれてしまうような、何か。やらずにはいられない何かで、あふれ出たい。そう願う限り、やりたいことを見つけることはできない。見つけたという事実こそが、私はまだあふれ出ていない、その証明になってしまうから。

とにかくやってみる。自分をだます。やってるうちに生活の一部になる。そんな言葉じゃだまされないほど、私は今まで「ちゃんと」のめりこんだ。まだ足りないと言われるのなら、もうそれで、いいや。

出会う。それが本当なのだとしたら、出会うまでの期間が必ずある。今はまだその期間にいる、それじゃ、だめですか。

生きるしかないのだ。今日も、明日も、出会うまでずっと。だから私は、行ったこともない地で、やりたくもない職に就く。まずは、生きる。それだけ。

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