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113.親になるということ

ご無沙汰しておりましたが、報告がございます。

娘が誕生致しました!!!パチパチ

母子ともに健康でございます。
妻と娘は2カ月ほど前に退院しており、今はバタバタと育児に励んでいる次第でございます。
※残念ながら今は妻が実家に里帰りしており、僕は寂しい一人暮らし中でございます。
 
さてせっかくなので少し、娘の誕生についてのお話をさせて頂きます。
 

***

話は11月某日に遡ります。
得意先との打ち合わせに向かうため大江戸線に揺られていると、妻から電話がありました。
その頃はいつ産まれてもおかしくない状況だったので、電車の中でしたが、スマホに耳を傾けました。(本当は良くないことですが。。)

コロナ禍で換気のために窓が開いている大江戸線(地下鉄)の雑音は凄まじいもので、妻の不安の混じる声を聞き取るのがやっとでした。
※ある検証によると、大江戸線の車内の騒音レベルは100デシベルを超えることもあるそうです。パチンコ店内が90デシベルと言われております。お察しください…。

 
「破水したかもしれないから、病院行ってくるね、、!」

 
妻は簡潔に要件を伝えてくれました。
しかし電話が終わっても、僕はそれほど慌てませんでした。
「破水したかもしれない」と言われたのが今回で2回目だったからです。※前回は破水ではなかったため、入院はせずに帰宅となりました。

また産婦人科は家から歩いて5分ちょっとの場所にあり、既に入院用具一式を預けてある状況でもありました。妻は一人で家にいましたが、病院までは何とか安静な状態でたどり着けるだろう、という確信がありました。

そうしたことを考慮し、僕としては「破水かもしれないし、破水じゃないかもしれないけど、念のため病院に行ってみるね」というような認識として受け取り、何となく事態が急展開することはないだろうと高をくくっておりました。


 
***


 
すきを見て、スマホをチラチラ確認しながら行った打ち合わせも終盤を迎えました。
妻からラインが入ります。

 
「検査終わって、破水だったので入院しまああああす!」

 
文字を見ただけで、ドキッとしました。
楽しみとか不安とか、自分がどういう感情なのかよくわかりませんでしたが、とにかく緊張してしまいました。
ついにこの時がやってきたか、と。
お産がいつになるかわからないけれど、早く帰ろう、と。
僕にできることは打ち合わせを早く切り上げて、妻のもとになるべく早く帰ることしかありませんでした。

 
そんな思いとは裏腹に打ち合わせは続きます。
再び妻からラインが入ります。
 

「夫ちゃん!17:00までに受付をして抗体検査を受けないと、立ち会いできないって!!!」

 
スマホで時間を確認し、頭の中で、だいたいの電車の時間と付近の駅から産婦人科までにかかる時間を計算しました。
 
ま“し”か”!!!!!!

 
どう計算しても17:00には間に合いませんでした。
どれだけ上手く乗り換えようが、タクシーで向かおうが、打ち合わせを無理やり切り上げて帰ろうが、とにかく物理的に17:00までに産婦人科に行くことは不可能でした。


コロナ禍ならではの問題が立ちはだかったのです。
別の病院で抗体検査を受けることも考えましたが、あくまでお産を行う産婦人科の検査のみを有効とするとのこと。
新たな生命を扱うだけあって、健康管理が厳重です…。(とても良いことだとは思うのですが。)
 
 
打ち合わせが終わると、僕はすぐに病院に電話をしました。
抗体検査を受けたいが、受付の時間に間に合わないこと、出産の立ち合いを絶対にしたいことを、伝えました。

 
「確認して折り返しますね。」

 
電話越しで受付の女性の冷静な返事を受けても、僕の気持ちは焦るばかりです。
折り返しの電話を待っている間に、走って駅まで向かいました。(どれだけ早く駅についても、17:00には間に合わないのですが‥)

 
駅のホームで電話が鳴りました。
産婦人科からの折り返しの連絡です。
スマホからは先ほどと同じ女性の声がしました。
 

「受付の時間、延長しますので、抗体検査受けて下さい。」

 
先ほどより明るい声に聞こえたのは、僕の気持ちの問題かもしれません。
ホッと息をつく、というのはまさにこのことだと思いました。なんだか肩の荷がおりた気がしました。
そわそわしながら電車に乗ると、「とにかく乗り換えを間違えず、しっかりと最寄り駅に着こう!」
と、電車に初めて乗った人のような気持ちになりました。


最寄り駅に着く間、何をしていたかはよく覚えていないのですが、とにかく無事に駅に着き、17:40ごろには産婦人科で抗体検査をすることができました。
抗体検査では鼻孔に綿棒のようなものを入れられ、粘膜表皮を採取されました。
検査時間は数分で、30分ほど待つと、検査の結果が出ました。
結果は無事、「抗原あり(+)」でした。
 
結果が出ると、受付の方に言われました。

 
「どうしますか?奥さんにお会いしていきますか??」
 

(当たり前だろ!!!)と思いました。
が、焦ってはいけません。
務めて冷静に、「出来れば会いたいです」と返事をしました。何たって僕はもうすぐパパになるのです。
 

 
抗体検査の結果が良くても、面会時間は15分しかありませんでした。
階段を登り、妻がいるフロアに上がりました。
看護師さんに案内され、ついて行くと、カーテンだけで区切られた小さな一室がありました。
一声かけてからカーテンを開けると、ベッドの上に座った妻がいました。
妻は笑顔でこちらを見ていました。
一目見て、本当に肩の荷がおりました。何もしていないのに、安心し、自分の役目を全う出来た気さえしました。
と、同時にお産の際の自分の無力さも感じました。
 

さて、妻に状況を説明してもらったところ、お産は翌日の午前中に行われるとのこと。
今は痛みなどはなくて、体調も問題ないこと、お腹の中の赤ちゃんの状況も良いこと、などを丁寧に教えてくれました。
妻が一番不安であるはずなのに、僕が感じている不安要素を1つ1つ排除していってくれました。
早くも母親としての強さを感じたような気がしました。
 

面会時間の15分はあっという間に過ぎ、僕は家に帰らざるを得なくなりました。
病院で一晩を過ごすくらいの意気込みで来たのですが、そんなことをしてしまえば逆に迷惑になってしまいます。
張り切り過ぎず、等身大で妻と赤ちゃんを応援しながら、無事を祈ることが、唯一の夫の務めなのかもしれません。
 
家に帰ってからしばらくすると妻からLINEがありました。

 
「明日の朝4時くらいから促進剤を打つみたい!」

 
妻は無痛分娩を予定しており、計画的にお産を行う手はずになっています。

 
「じゃあ朝4時には病院行けるようにしておくね!」
 

と返すと、すぐに返事がありました。
 
「いや、普通に寝てて」

 
どうやら立ち合いに関しても、本当に産まれそうなタイミングのみしか立ち会えないそう。
このご時世です。致し方ありません。
何もできないかもしれないけれど、根性だけは見せてやろう!と思っていたのですが、
もはや精神論、根性論はお呼びではございませんでした。
とはいえ、翌日は4時に目を覚ましました。急にお産が早まる可能性もあります。
幸いにも土曜日だったため、仕事のことは一切気にせず、呼ばれたらすぐに病院に行く!という体勢を取ることが出来ました。
「土曜日に産まれてきてくれる」ということで我が娘が初めての親孝行をかましてくれました。
それだけで感動してしまいました。(親ばかでしょうか?)
 

朝5時くらいには陣痛が来た
、と報告を受け、
朝7時くらいには腰が砕けるほど痛い、と報告を受けました。

 
そこでしばらく音信不通になりました。
携帯をいじる余裕がなくなってしまったのか。
本当に腰が砕けてしまったのか。
笑えません。
 
3時間くらい連絡が途絶え、不覚にも「なんだか眠たくなってきたなあ~」なんて思っていたとき電話が鳴りました。

 
「もうすぐ産まれそうだから、病院きて~」
 

意外と普通に喋っていてびっくりしました。
麻酔が効いていたのでしょうか。
とにかく妻がママになり、僕がパパになるカウントダウンが始まりました!


 
***



前述したとおり、病院は歩いて5分ほどのところにあります。
いつでも出られるように準備をしていた僕は、すぐに家を出て病院に向かいました。
 

抗体検査の結果が書かれている紙を見せ、受付をスムーズに終えました。
階段を上がり、お医者さんが来ているような白い服を羽織り、分娩室に向かいました。
自分が緊張しているのかどうかさえ、よく分からなくなっていました。
ほとんど思考が停止した状態で、ただただ遅れをとらないように案内してくれる看護師さんの背中を追いました。

うまく機能していない頭で分娩室に入ると、既に妻が分娩台の上に寝ていました。そこには皆がイメージするであろう、お産の風景が広がっていました。妻は顔だけこちらに向けて、微笑んでくれました。
前の日に見た妻の笑顔より、苦しそうな微笑みでした。
 

「はい、パパが来ましたよ~」

 
分娩室にいた二人の女性(助産師)のうち、経験が豊富そうな女性の方が、ぶっきらぼうに言いました。
その後も女性は言葉を発し続けます。
 

「はい、いきんで~」

「はい、ちょっと休もうか~」

「○○先生まだこないの~?遅いんだけど~」

「はい、じゃあもう一回いきんで~」

「何やってんよ。○○先生。なんでいちいち先生の許可がいるんだよ~」

 
経験が豊富そうな女性は2回に1回くらいの頻度で、どなたか存じ上げない先生の悪口を言い、日常のなんてことないシーンにいるかのように分娩室で立ち振る舞っていました。
(そうか、毎日産科に勤務していると、出産は日常になってしまうのか!)と思い、少し緊張がほぐれました。
 
後に妻に話を聞いたところ、「あまりに悪口を言うもんだから、笑いそうになった」と言っていました。
それには僕も同感でした。口調から察するに心の底から悪口を言っていたのだと思うのですが、僕たちにとっては新鮮な風景で、結果気持ちが和らいでいったのです。
 

「パパ。ママの首をちょっと持ち上げてあげて。そうした方がいきみやすいから。」
 

女性が言います。
僕は言われた通り、妻の首を少し持ち上げて支えます。
30秒ほどすると

 
「違う。そうじゃない。」

 
と冷たい声で言われました。一瞬、鈴木雅之の歌が脳裏をよぎり、すぐに消えました。

 
「・・・。」

 
僕の体が強張ると、妻が手を僕の方に持ってきて、支え方を直してくれました。
妻の優しさに感動すると同時に、どうして僕が助けてもらっているんだろう、と情けない気持ちになりました。
 
と、言いつつも妻は何度も痛みに顔を歪め、逼迫した声を漏らします。
無痛分娩とはいえ、とても苦しそうでした。
 
ああ、どうか無事に産まれてきてくれ。
そして妻を開放してほしい。
 
そんな都合のいい願い事をしていると

 
「あ、もう出てきそう~!」

 
という声が耳に届きました。
僕が分娩室に入ってから15分も経っていない頃だと思います。
ほとんど同時に

 
「ふにゃ~!」
 
と何とも可愛い産声が聞こえました。
本当に頭の整理が追いつきませんでした。
どうしていいかわからず、妻の方に視線を移すと、今まで見た中で、一番嬉しそうで、何より安堵の表情をしていました。そこで初めて喜びの感情が湧いてきました。
 
本当に良かった。
 
心の底からそう思いました。
妻が妊娠をしてから頭の片隅にずっと、良くない未来がありました。
「母子ともに健康」当たり前のように聞くその言葉をずっと信じられていませんでした。
 
 
こんなに安心したことは今までに無かったと思います。
 
ああ、良かった。
 
さっきまで悪口を言い続けていた女性も、赤ちゃんを持ちながら、本当に嬉しそうな顔をしていました。
きっと何度経験しても、お産の瞬間は日常なんかではないのでしょう。きっと出産は奇跡の連続なのです。
 
2556g
47㎝

 
本当に小さな命です。
僕はこの子を愛し続けようと心に誓いました。
妻もきっと同じ気持ちだったでしょう。
 
これからも娘の成長をnoteで書いていこうと思います!
どうかお楽しみに!!

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