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65.絡まれたとき、絡まれることについて考えた話


何かに憑かれたかのように、人に絡まれていた時期があります。
一口に絡まれるといっても、「絡まれ方」は色々あるかとは思います。
ただ「絡まれる」という言葉を好意的な意味として使う人はいないはずです。
ご多分に漏れず、僕の「絡まれ方」も愉快とは言えないものでした。


社会人になり、上京したばかりの頃。

疲れた仕事の帰り道、つり革に掴まりながら大江戸線に揺られていると、隣に大きな男がやってきました。(僕はかなり小柄な男なので、大げさに大きく見えただけで実際には中肉中背くらいだったかもしれません。)

車内はそれほど混雑した様子もなかったので、(なんでわざわざ隣にきたんだろう)と不思議に思ったのを覚えています。
そして「不思議に思ったこと」はきちんと「不思議な出来事」を連れてきてくれたのです。

大きな男はつり革に掴まるように、腕を上にあげたかと思うと、実際にはつり革には捕まらず、握ったこぶしをそのまま僕の肩に振り下ろしたのです。

鈍い音が耳に届いても、すぐには状況をつかむことができませんでした。

やがて停止した頭が動き出し、肩にひりひりとした痛みを感じた頃、ようやく「殴られたっ!」と状況を飲み込むことができました。

(なんなんだよ!)と思い、隣を見上げると、男は何事もなかったかのようにつり革に掴まり、スマホをいじっていました。

(なんなんだよ!)ともう一度思いながらも、あまりに平然と隣にい続ける男を見て(これが東京の日常かあ)となぜか納得してしまい、僕の心の恐怖や不安は静まっていきました。

(早く都会のスタンダートに慣れないといけないな)そんなトンチンカンな焦りが心に広がっていきました。


結局僕は、乗り換え予定の駅に着くまで20分ほど、男と隣り合わせで電車に揺られ続けました。
あまりに男が自然だったせいか最後には妙な親近感を覚え、僕が電車を降りる際、「じゃあ、お先に!また明日よろしく~」なんて挨拶をしそうにさえなったほどです。


後日同僚にこの話をすると「俺、東京の生活長いけど、電車で殴られてことなんて一度もないよ」と笑っていました。
(じゃあ、アレは、なんだったんだよ!)僕は心の中で、強く思いました。


この「電車でシンプルに殴られる事件」の後、だいたい1年くらいでしょうか。
定期的に「変な絡まれ方」をするようになってしまいました。


長くなるのですべての「絡まれ方」はご紹介しませんが、あと1つだけ紹介させてもらいます。



すっかり雨が上がった仕事終わりの帰り道のことです。

最寄り駅の改札を抜け、トボトボと歩いていると、足に違和感を覚えました。
1歩、歩みを進めるたびに、靴の踵が何かにひっかかり脱げそうになるのです。

(なんなんだろう)と思いながらも無視して歩いていると、次に、アキレス腱のあたりをツンツンとつつかれているのを感じました。
さすがに、イライラとしてきて振り返ると、そこには僕の歩みに合わせてビニール傘の先をツンツンと当ててくる男の姿があったのです。
突然のことで驚き、反射的に男の顔を見ると、全く知らない中年のサラリーマン風の男が立っていました。
中年の男は僕と目が合うなり、ニタァと気持ちの悪い笑みを浮かべました。
僕は恐怖のあまり、その場からすぐに走り去りました。

その後も何か月か毎に、手を変え品を変え、「変な絡まれ方」を経験するのですが、妻と一緒に暮らすようになってからでしょうか。

ぱったりと絡まれなくなりました。

きっと悪い憑き物が取れたのだと思います。

今では「変な絡まれ方」をされていた思い出も、遠い過去の記憶になっていました。
しかし、すっかり過去の記憶になっていた絡まれ事件を思い出すような出来事が、先日ありました。


ある休日の夕方、スーパーへのお買い物帰りのことです。

妻と手を繋ぎ、ルンルンで歩いていると、誰かの視線を感じました。

不穏な空気を感じたものの、反射的に視線のする方向を見てみると、ある男がじーっとこちらを見ていました。
夕方の早い時間からやっている居酒屋の前にできた長蛇の列の中に、男は並んでいました。

40代くらいでしょうか。

銀縁のスタイリッシュなメガネをかけていて、髪の毛も短く清潔に切りそろえられていました。
ぱっと見て嫌な印象は無く、むしろ「出来るサラリーマン」のような印象を抱きました。
(なんで僕のことをみてるんだろう?)そんなことをぼんやりと思いながら、僕は男の1mくらい横を通り過ぎようとしました。

その時です。

「ちッッッ」という嫌な音が僕の耳に届きました。
思わず、びくっと体を震わせると、「なに、見てんだよっ。」と小さくネチネチした声がすれ違いざまに聞こえてきたのです。
僕は決して振り向くまい、と強く思い、妻と一緒に足早にその場を後にしました。

どうやら妻にネチネチとした「なに、見てんだよっ。」は聞こえていなかったようで、しばらくしてからこの話をすると、とても驚いていました。
幸い、大きめな舌打ちと「なに、見てんだよっ。」で不快な思いをしただけで、際立った害なく事なきを終えました。

振り返ってみると、随分と古典的な「絡み方」でした。
昭和の不良漫画や不良ドラマでありそうな、典型的なイチャモンです。
伝統的と言っても過言ではないかもしれません。
さて、この「なに、見てんだよ。」ですが、改めて考えてみると、「絡まれ界」の中では無敵の存在ではないか、と僕は思うのです。
一人の人間に視線を送り続けれると十中八九、その人は視線に気づくだろうし、自分に向かって進んでくる相手であれば、なおその確率は上がります。
すれ違いざまに肩でもぶつけようもんなら、もうこっちのテリトリーです。

僕は、改めて思うのです。


「やっぱり、古くから使い続けれられた手法は凄いな」


と。

野球でクリーンナップに好打者を置くことで得点確率が上がるように、ボクシングで顎をしっかりガードしていればKOされる確率が下がるように、昔からの常識であり、今では「そんなの当たり前だろ」と思われている戦法や手法にはきちんとした理由があるのです。

もちろん「なに、見てんだよ。」にもそれなりの実績や成果があるわけでしょう。

技術は日々進化していきますが、基になっている土台は、昔から変わらなかったりするのかもしれませんね。

とはいえ、視線を送る送らないの駆け引きは、恋だけにして欲しいですね。

知らない人に、不愉快な絡み方をするのは、やめましょう!


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