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学校教育は何を目指し何を教えるか(EdTechも踏まえて)

最近始まった話でもないですが、現在色々なところで日本の教育の問題点が叫ばれています。「ITで社会は変わっているのに教育は変わっていない」「日本の子供たちの学力は低下している」「日本はOECD諸国の中で教育にかける費用のGDP比率が最低レベル」など色々ありますが、改善のためにはまず「どういう教育にしたいのか」という理想がある程度合意される必要があると考えています。そんな思いで自分の中の課題意識をまとめてみたいと思います。

1.学校教育で与えたいものは3つ

私は、学校教育で子供に与えたいものは大きく分けて3つあると考えています。
1)教科学習での勉強能力
2)社会で生きていくためのスキル
 (コミュニケーション・プレゼンテーション能力など)
3)人としての成長

2.現在は教科学習に偏重している

その3つの中で、現在の学校教育では教科学習への比重が大きくなりすぎてしまっていると考えています。
生徒は膨大な量の内容を理解し、暗記し、問題を解けるようになることで精いっぱい。朝から夕方まで授業を受け、宿題をやり、塾にも通う。一方で教師の方も教材研究、保護者対応、部活動やその他業務で多忙の中、絶対に守らなければならない教科学習を進めることで精いっぱいな状況かと思います。

3.EdTechが現状を打開する?

そんな中、AIの力で学びを効率化し、より短時間かつ個人で勉強内容を習得できるようにするEdTech(Education×Technology)の企業が多く誕生しています。
彼らが創るプロダクトの力によって、生徒が習得にかかる時間が短縮化され、教師が割かなければいけない労力も減り、「教科学習の効率化」にかなり寄与するのではないかと思います。そこで空いた時間を活用し、社会で生きていくためのスキルや、人としての成長を与えるような教育を実現したい、そう考えている企業もいるのではないでしょうか。素敵。

4.EdTechが解決できない課題

一方で、EdTech企業が「教科学習の効率化」を進めても、社会で生きていくためのスキルや人としての成長を与える教育に繋がらない懸念を2点考えています。

1)「問題を解けるようになること」がゴールになる
AIを使用したプログラムにより自分で学習できるようになった生徒たちの中には、勉強が好きになりどんどん取り組むようになる生徒もいるかと思います。それはとても良いことなのですが、パズルのように「正解を出すこと」に夢中になってしまう危うさがあると考えています。「この教科のこの部分が面白くて気になる、もっと知りたい」という関心は人間的な成長に繋がり、それこそが勉強の良さではないでしょうか。いかにして勉強は「問題を解けるようになることが本当のゴールではない」ことを伝えるか。

2)教科学習に終わりがない?
先程、「学習の効率化により空いた時間を活用」と書きましたが、本当に「空いた時間」は生まれるのでしょうか。
教育のメリトクラシー、能力による選別機能はこれからも機能していくことでしょう。大学に行った方が良いし、その中でもより偏差値の高い大学に行った方が就職にも有利になる。昔ほどではないにしてもこの仕組みは続くであろうし、多くの人が「より上の学校へ」と考えている。
そうなると、教科学習の効率化の先にあるのは更なる教科学習であり、「社会で生きていくためのスキル」や「人としての成長」の機会の入る余地はなくなってしまう。

5.今後の検討事項

足元の「教科学習の効率化」には間違いなく価値があると思います。それと併せて、生徒たちにはどういう人になってほしいのか、小中高大をどう選び、どう学校教育を経験してほしいのか。入試改革などHOWの話が先行する中、何を教えるかというWHATの部分を引き続き考えていきたいし、ムーブメントを起こせたらいいなと考えています。

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