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腐臭

タイトルがすごいオシャレなのと、綾野剛が私のタイプすぎてちょっと前から気になってた作品。
たまたまUPLINK吉祥寺で阪本順治映画監督と荒井晴彦監督のトークショー付き上映回があったので、あえて映画館へ観に行きました。

ーネタバレありー

タイトルについて
「花腐し」は、綺麗な卯木の花をも腐らせてしまうという、じっとりと降る長雨のこと。タイトルのように、この映画における現代を描いたシーンは常に大雨が降っている。
雨に関して、同名原作小説の作者・松浦寿輝さんは映画パンフレットで、自身の著書「映画1+1」の「液体論」の章に触れ、『〈水〉や〈濡れる〉という物質感への執着』を濡れることで互いの輪郭が溶け合う性的体験に結びつけて述べている。
ということは、祥子は栩谷や伊関という雨に振られ、腐ってしまった卯木ということか。だとしたら最後心中相手に桑島を選んだのは、自分を腐らせる雨とは違い、自分を唯一女優として見てくれる存在だったからだろうか。祥子はせめて最後は、女優として死にたかったのかな、、。

台本を書き換えたことについて
栩谷は伊関のアパートで目が醒める。しかし伊関もリンリンもおらず、いた形跡すらないくらい部屋が綺麗に整っている。栩谷は伊関が書き残した脚本であり、本映画の脚本でもある『花腐し』を読む。そしてかつて祥子に浮気を打ち明けられた際の自分の言動を書き直す。
映画パンフレットでも名シーンとして何度も取り上げられていた。
栩谷は伊関と話す中で、自分が祥子のことをどれだけ好きだったのか、どれだけ重要な存在だったのかに、やっと気付けたのではないかと思った。それと同時に自分が祥子を腐らせてしまったことに対する後悔、自分は「捨てられた」と思っていたのに自分が大事にできなかったから離れていってしまったことに罪悪感を感じているように考えだ。
だからこそ、自分が祥子を大事にできていた世界線に想いを馳せ、台本を買い直したのだ。

濡れ場に関して
結構ガッツリ。ただカメラアングルなのかわからないが、一歩引いたところから見ているような、傍観者のような冷めた気持ちで見ていた。
濡れ場を入れたことで批判も受けたそうだが、荒井監督の「ピンク映画へのレクイエム」という側面を際立たせるためにも必要だったと考える。
今はコンプラの時代で、好きなものが好きに撮れなくなっている。この状況に関して荒井監督はパンフレットにおいて「ポリコレ、コンプライアンス、ちょっとやりすぎだろう、と思っています」「歴史修正主義と同じだよね。映画自体の評価より、社会的公正さが先に立ちすぎている気がする」と語っている。そのような状況に対する荒井監督なりの反論なのだろう。
人を不快にするからという理由で性的表現が制限されるのであれば、殺人シーンも制限されるべきである。殺人はエンタメとして昇華されているのに、性行為はそうではないのはなぜだろうか。私自身セックスのシーンはあまり楽しく見れた場面ではないが、同時に強い感情を引き出されたシーンでもある。二人の当時の関係性を緻密に表現できるツールとしてのセックスだったのだろう。

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トークショー後にサイン会があったため、人生で初めて映画のパンフレットを買ってサインをもらった。
3日後に東映の3次面接を控えていたこともあり、励ましの言葉ひとつやふたつもらおうと思って行ったのに、いざ荒井監督を前にすると緊張でほぼ全く何も言えなかった。すんごい悔しい。


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