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あなたは誰かに劣っているのかという話


こんにちは。書く人です。

今日は、優劣についての話。

屁理屈をこねにこねくりまわしていきます。


幼い頃、よくかけっこで競争させられましたよね。

幼稚園でも小学校でも中学校でもその先も

いつでも私たちは、何かにつけて競争させられています。

かけっこをすると足のはやさの優劣がつきます。

私は幼い頃、これがどうしようもなく嫌でした。

私の足が遅いことはわかりきっているのに、

わざわざ競争させられて、誰かに劣っていることを晒されるのです。


幼いながらに私は、これを役割分担と思うようにしていました。

ドベの私がいなければ、1位の彼もいないのだと。

彼がかけっこで一等賞でいられるのは、私がいるからなのだと。

私はドベの役割を担って生きていくのだと。

とんでも屁理屈ですね。

幼い頃のこの私の考えが正しいかどうかは置いておいて。

優劣ではなく役割分担で考えるというのは、面白いなぁと思ったわけです。



社会に出ると、人は人を年収や職業、役職、経歴で

無意識に優劣をつけていると思うんです。

そんなことないよっていう人も、目の前にいる人が

「私は年収1000万です。」

と言ったら、すごい!って思いますよね。

その「すごい!」っていうのは何かと比較して「すごい」わけでして

優劣を無意識につけているといえます。

職業に貴賎なし。

という言葉がありますが、

何事にも優劣をつけて人の優劣が見易くなった世界に

そんな風に考えている人なんて

本当にいるんですかね。



ここで、優劣ではなく、役割分担だという考えを取り入れると、

「私は年収1000万です。」

「年収1000万という役割を持った人なんだ。年収1000万の人には年収1000万の人にしかできないことがある。」

となりますね。

この考えで見ると、職業に貴賎なし。も頷けます。

年収も職種も役職も優劣ではなく役割分担であり、

他人との優劣を気にして競い合うのではなく

自分の役割のプロフェッショナルになるために

自分にできることをする。

同じ分野で一見、優劣に見えるものも

優っているように見える人は、

劣っているように見える人の目標になる役割を持っている。

劣っているように見える人は、

優っているように見える人のサポートをする役割を持っている。

あなたは誰かに劣っていますか?

いいえ。役割が違うだけ。




優劣の考えと役割分担の考え

どちらが好きですか?

読んで下さった画面の向こうのあなた。

よかったら教えてください。






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