見出し画像

解けていくように

久しぶりに、大泣きした。

夜の1時半。ベッドに潜り込みぼーっと天井を眺めながら、スマホから流れてくる音を聞いていた。音楽でもなくポッドキャストのような楽しいトークでもなく、ただひたすら、友達と自分の会話を流していた。


私の基本仕様として、「人から好かれていない」という大前提がある。

「人が離れていく」ではなく、「端っから好かれていない」。特に何かされたわけでも、何か言われたわけでもないのに、自分が油断するとすぐに「好かれていないから、迷惑だから、この人から離れなくちゃ」と距離をとってしまう。

友達も恋人も、男女も関係ない。メッセージの返信が少し遅いだけでも不安になる。でも、それを人に伝えたことがなかった。

好かれている自信がなくて、嫌われている不安と恐怖でいっぱいで、でもそれを相手に聞くことも迷惑だろうから聞くことができない。恋人に対してだって、聞くことができない。どんなに長く過ごしている友達にだって。

いつも見ないようにしていて、頭をよぎっても「大丈夫、相手だって忙しい。だって相手は私に誠実にいてくれてるんだから。疑う私がよくない」と自分で自分のなかの不安を抑えてきた。

でもそれは抑えているだけで見ていないだけで、消えることがなかった。

それを初めて口にしたとき、涙が止まらなかった。いつも自分で抑えていたこの感覚を口に出すということは、自分で認めるということだから。

よく聞く「恋愛依存症」のように、本当は、「私のこと好き?」とちゃんと確認したがっていた。でもそうはなりたくなくて。凛としていたかった。私は一人でも大丈夫だと、しゃんと立っていたかった。

それももう難しいみたい。


冒頭で流していた会話。それは「私のことをちゃんと好いているという言葉をください」とお願いして、相手からもらった言葉たち。ゆっくりと、丁寧に、私がどう見えているかをたくさん伝えてくれた。

ただただ何も考えず、流れてくるのを耳に入れているだけだったのに、堰を切ったように大泣きした。話してくれたときも泣いたけど、そんなもの比じゃないくらい、わんわん泣いた。隣人からクレームがくるんじゃないかと思うほど。

この言葉たちを私は、ちゃんと受け取れる日がくるだろうか。前より確実に、入ってきている感覚はあれど、自分で否定してしまう心は消えていない。これほど時間を使い、言葉を伝えてくれている相手なのに、それでも。

この言葉たちをどれほど欲していたことか。


欲しくてたまらない言葉なのに、今の私はそのまま受け取ることができない。だから残す。会話を録音して、コメントをスクショして、何度も何度も、繰り返し聞き返し見返し、何度も泣いたり疑ったり、そうして時間をかけてようやく少しずつ入ってくる。

この恐怖も不安も、受け取ることができない苦しさも、世間一般には理解されにくいことを理解している。だからこそ、理解しようとしてくれる相手に伝えることが必要だし、自分も努力する必要がある。

今までの無理矢理立たせてきた自分は、限界を迎えているのだから。

私も人間になりたい。純粋に相手を思って、まっすぐに相手に向かっていきたい。だからどうか、手を貸してください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?