幸せな曲を聴いたとき

基本的に私は、幸せな曲は聴きたくない。

自分が不幸だと言いたいわけではなくて、不幸だとも思っていないけど、現状自身の手元にない幸せの形に触れると、どうしても欲しくなってしまう。

人もこの世界も、不公平だし不条理なものだ。

幸せなものを持っている人だって、大なり小なり苦しみを乗り越えているし、幸せなものを持っているからこそ必然に現れる、失う怖さだって同時にあると思う。

それでもその幸せを「幸せ」だと見つめることができている人たちは、とても素敵。

私はきっと、見ることができていないし、実感していないような気がする。

今自身の手元にあるもの、ある人たち。
私は「手元にある」という実感がない。

3年以上やっている校正の仕事も、資格が取れても仕事が入ってきても、全くできている気がしない。自分の技術として身についているような気がしない。自分のやっていることが、報酬に値するのかさえ疑ってしまう。

いつも居てくれる人たちだって、いつだっていなくなる気がしてる。「ほら、やっぱり私いらんじゃん」とすぐ離れようとしてしまう。それがどれほど不誠実か、自分でも理解はしているものの、感覚としてついていかない。

他人から「そんなふうに歌えたら楽しいだろうな」と言われたことがある。同じ言葉を好きな歌手に対して思うことはあれど、自分に降ってくるなんて思いもしていなかった。歌が自分にあるものだなんてことも、思えていないのかもしれない。

「いいな」と言われるたびに、どこか他人事で、実感が伴わなくて、なんだか「何もない」自分にしがみついているような。

自分から手放す癖はいつ治るのだろうか。

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