Webライティングには向いていない

Webライティングとやらが、私は大の苦手らしい。

校正の仕事を増やせないかと検索をして、「これなら時間的にできるかも」と思い連絡をした企業から校正用テストが送られてきた。

それを読み進めるも、どうにも頭に入ってこない。というか、興味が持てない。なんなら読んでいてイライラする。

この感覚、何度か経験してるなぁと思った。


むかーし、ほんの一瞬だけ、ライターとして勤務しかけた時期があった。きれいな高層ビルに入っていた会社で、フロアには80、、、100人くらいのスタッフがいたかな。

その日に執筆するテーマが数十本挙げられていて、それぞれができるものから選んでいくスタイル。入れなければならない語句と記事の小見出し、参考サイトのURLがいくつか用意されていて、あとは自身で調べて記事を書いていく。

はじめのうちは研修のビデオやらなんやらを見ていたから、担当した記事の本数としては数える程だと思う。

でも、耐えられなかった。その一連の作業がとても気持ち悪くて。

書いた記事には、私の感情は一切乗っていない。時間も決まっているから、さらっと表面だけ調べていろんなサイトから言葉をツギハギして、さも熟知しているかのように「~ですよね」「~しましょう」などと語る。

とてもとても気持ちが悪い。

私は何もわかってないし、この記事を世に出してそれを鵜呑みにして誰かが傷ついたり損をしたりした場合には、何一つ責任がとれない。

上の人に尋ねたこともある。

「この短時間でファクトチェックもろくにできていないのに、責任がとれないと思うんですけど…」という私の質問に対し、「君は調べものをするときに、例えば論文なんかを見に行ったりする?しないでしょ?簡単にネットで調べて終わりでしょ?」と返ってきた。

…いや、うん、申し訳ないんだけど、私気になることは論文だって見に行くタイプなんですよね。

返事に対してはこう思ったけど、言葉を尽くしたところで通じないだろうと判断して、「私には合いそうもないので辞めます」とその場で辞めてきた。

そのときの感覚。違和感。

文章のなかに感情が見えない恐怖。

感情が見えないことは、私にとって恐怖でしかない。

そもそもの気質が関係していると思うのだけれど、相手の感情ありきで自分のふるまいが決まる私。感情が見えないものに対峙すると、自分がどうあるべきか、自身で決められなくなってしまう。


送られてきたテスト用の文章も似たようなものだった。

テーマに対していろんなサイトから引っ張ってきたであろう文言が、ただ並べられているように感じる。どこかで見たような内容に、「ですよね」「しましょう」と謎に投げかけられる語尾。「まとめ記事」であって、何も感情がない。

私は、感情がないと興味を持てないんだと思う。

人との会話もそう。相手のことがわからないうちはただただ怖くて、所謂「雑談」も苦手。でも、相手のなかで何か言いたいことがあるのが垣間見えたときには、ぐっとひきつけられる。たとえそれがバラバラな状態であっても。

わからないものに興味がある。

整然と並べられたものには興味がない。

書く側であっても、校正する側であっても、話を聴く側であっても。


仕事を選べる立場かと言われればそうではないのだけれど、私は「我慢」や「割り切る」のがとことん苦手。どんなにお金がもらえたとしても、私にとってはひどく苦痛が伴う作業で、続けられるはずもない。

反対に、快適に作業を進められる人もいるんだと思う。適材適所。できる人ができることをやったらいいのだ。うん。

せっかく送ってもらったテストだけれど、受けずに辞退することにします。

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