星新一とトーベ・ヤンソンはなんか似てる


今、短編の面白さ、構造みたいなのを調べている。
あの読んだあとの「シュッ」とした感覚はなんだろうと思って。

短編といえば、ショートショートの神様といわれる星新一。
あの人の物語は誰が読んでも面白いし、わかりやすい。
読んだ後、全ての人が同じ感情になるだろうと思う。

しかし、
星新一の短編も好きは好きだけど、
トーベの短編の方が私はなんか好きです。
(この「なんか好き」の「なんか」って大事だよな、と思う。無意識に個性が出てると思う)

どーゆうとこが好きかというと、
分かりやすいので、上記の短編集の一遍「自然の中の芸術」という話から抜粋。

「芸術作品にせよ文学作品にせよ、はっきりと理由はわからぬままに人の心を動かすのは、外からは窺いしれぬ秘密をかかえているからだ。 芸術作品を前にしたときの無言の敬虔、そして使信(メッセージ)を自分なりに理解したいという欲求、このふたつは矛盾しない。」

トーベの物語は、わかりやすく書かれていない。
読んだあとに尾を引っ張られるというか、なんだろう、と考察する余地を与えてくれる。この作品に出てくる老夫婦も一つの『わけのわからん抽象画』を巡って、それぞれの作品の鑑賞の仕方の流儀を押し付け合う。だったらいっそ、作品を包んで中身を見えなくして壁に飾ればいい。というオチなんです。

つまり、トーベは秘密主義者で、秘密を持つことにロマンを感じ、楽しんでいるといった感じです。とにかくトーベは現実主義者のロマンチストなんですよ。ロマンに浸りすぎて周りにロマンを押し付けようとするバカではなく、現実もちゃんと見て生きているっていう。(それは短編集の「軽い手荷物の旅」を読めば分かるはず!)

だからなんか好きなんですよね。

しかし、星新一とトーベってなんか似てる雰囲気を感じる。
なんだろう、って考えたら、二人とも皮肉屋で、淡々と熱のない文章を書くって所でした。


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