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【紫陽花と太陽・中】第八話 伝書鳩[3]

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「それ以上、言わなくて、いいよ……。あずささんがどうして剛に話したのか、分かったから……」
 目を伏せ、頭を整理する。
 思っているだけでは伝わらないのだ。
 言葉にして伝えないと。そのために言葉はあるのだから。
 伝え逃して伝えられなかった時があるじゃないか。父さんに言えなかった数々の言葉。あれは、縁田さんの言った、してはいけない失敗だったのではないか。

「まず、剛。ありがとう。……本当に、剛はあずささんをよく見てくれてるよ……」
「……一応頼まれたからな」
「僕が安心して任せられるのは、剛だけだ。それは、信じてほしい」
「信じてるよ。……こんなセリフ、人生で言うとは思わなかったけどな」
 フッと剛が微笑んだ。不敵な笑みといった方が合っているかもしれない。
「今回のあずささんの出来事は、今は本当に何も話すことが思いつかないんだ。時間が経ってから、そういえばあの時僕はこう思っていたんだ、って話すことがあるかもしれない。その時に昔話の一つとして聞いてくれたら……助かるよ」
「分かった」
「剛と連絡が疎遠になっていたのは、確かに僕の身の回りで、この一年くらいいろんなことがあって余裕がなかったせいもあると思う。家がこんなに近いんだし、僕の方から連絡もできたのにしなかった。ごめんね」
「お前が謝ることじゃねぇよ」
「そうかな」
「そうだよ」
「……そっか」

 夜の公園はものすごく静かだ。秋の夜と違って虫たちのさえずりも聞こえない。
 夜空の星がさらにくっきりと見えてきた。
「剛。今、なんだか少しスッキリして、頭が冴えてきた」
「すげぇな。冴えてきたお前は一体どんなふうになってんだ?」
「そうだなぁ」
「……」
「喉が乾いた」
「は?」
「ものすごく喉が乾いてる。何か飲みたい」
「…………」
「久しぶりに、カルピスでも飲みたい気分だ。最近は水か珈琲かお茶、ばっかりだったけど、どこかで大人になろうって無理をしていたのかもしれない。背伸びしてたのかも。だから、甘ったるいカルピスを今無性に飲みたくなってきた」
「あ、そう」
「……で、何の話だっけ?」
「冴えてきたお前を見せてみろっていう下りでカルピスだ」
「ん?」
「はぁ……。いや、俺も喉がカラカラだ。家に帰ろうか」
「そうだね。家、この公園から近くて良かったよね」

 僕と剛がまた来た道を戻って行く。
 空にはたくさんの星たち。

 僕は冴えてきた頭で再びあずささんのことを考えた。
 いつだって、あずささんは人のために何かをする。自分のことは二の次で。今日もその優しさの矛先が自分だと知って、嬉しいと思う反面、自分だけでありたいと思ってしまう傲慢な気持ちがあると気付く。


 剛と話をするから先に寝ていてほしいといった言葉を素直に受け取り、僕が帰宅した時、あずささんはきちんと眠っていた。
 隣り合ったベッドの一つにあずささん、もうひとつに僕が。今日もいつも通り、一緒に寝ることになる。
 僕はこっそりとあずささんの寝顔を見つめた。もう一体何度見つめてきたことか。
 あの事件があってから僕は一切あずささんに触れていない。昔はよくあんなに手やら背中やら触っていたもんだと、過去の自分を羨む。

 少しずつ痩せていたあずささんの身体つきが戻ってきたように見える。
 この一ヶ月、あずささんの食欲がほとんどなくなってしまい、水と果物だけの日が続いた時は肝が冷えた。少しずつ量が増えてくるとあずささんの好きな食べ物ばかり作るようになった。和食がほとんどだ。
 仕事を始めた頃は晩ごはんの支度を毎回あずささんに任せてしまっていたが、この一ヶ月は作り置きのごはんを椿に温め直して、食べてもらっていた。

 安らかに眠るあずささんを十分見て満足したら、僕はあえて背を向けて眠りにつく。
 明日も仕事だ。
 あずささんは僕の伝書鳩、剛はあずささんの伝書鳩。
 いつの間にかずっと関係が続いている、僕と剛とあずささんの間で、鳩だけが時々飛び交う。僕からあずささんへ、あずささんから剛へ、それからまた僕のところまで戻ってくるのだと想像すると、ちょっと面白い。
 僕は布団にくるまって、静かな夜にひっそりと微笑んだ。

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(つづく)

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