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【紫陽花と太陽・中】第八話 伝書鳩[2]

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 遼介に連絡を取ろうとしたが、そういえばあいつとの連絡手段すらないことにうんざりした。スマホがあればメールのひとつでも送れるのだが、あずさも遼介もスマホを持っていないと来たもんだ。
 仕方がないので店に寄った。

「いらっしゃいま……あ、剛」
 ふわりと微笑んで遼介が俺を見た。また若干背が伸びたのか? それとも少し痩せたのか? 黒いワイシャツと深緑色の腰から下だけのエプロンを付け、遼介が忙しそうに働いていた。
 店はわりと混んでいた。今日は短縮授業だったので、今は昼をちょっと過ぎたくらいか。ピークははずしたつもりだし前来た時はもっと閑散としていたので、この混み具合に一瞬怯んだ。ここじゃ話せねぇ。
「ありがとうございます。……席、今片付けるからちょっと待ってね!」
「いや、いい! ……今はいいや。珈琲でも、と思ったが」
 くるりと店内を見回して、遼介に向き直った。
「今日の夜、少し話でもしねぇか? と誘いに来た」
 遼介が目を瞠った。
「連絡手段がなかったから店に来た。スマホのメールはできねぇし、手紙じゃいつ着くのか分かりゃしねぇ」
「確かにね」
「じゃ、夜に」
「ピンポンすればいい?」
「おぅ」
「分かった。じゃあ後で」
 ものすごく久しぶりだと言うのに、会えばごく短い言葉のやり取りで事は済む。
 俺はさっきの遼介の微笑みに違和感を覚えながら、重い足取りで帰宅した。

 ◇

 夜、僕は仕事を終えてから急いでシャワーを浴び(ものすごく汗臭かったので一応礼儀として)、剛の家のチャイムを押した。
「遅くなってごめん」
「いや、いい。……ちょっと外出るか」
「外?」
「ま、ぶらぶら歩こう」
 連れ立って夜の散歩に出た。仕事が終わっても、いつもまっすぐ帰宅しているので空なんか見上げてなかった。今日は星が瞬くのが見えた。僕は星空を見上げてゆっくりと歩く。

 剛が店に来た時は驚いた。最近、昼も夜もお客さんがたくさん来ることが多くなって、縁田さんも一人で作っているし、ホールスタッフも僕一人しかいないので、注文が重なってしまうと正直キツい。全てに時間がかかるので、だんだんと待たせてしまう時間も増えてしまう。
 剛の方から話そうと言った時、もっと驚いた。
 最近、全然剛と会えていなかったから、剛も何か悩みを抱えているのかもしれない。そっと横目で剛を見ると、ただ前をしっかりと見つめていて、何を考えているのか全然分からなかった。
 歩いてすぐのところに近所の公園があったので、自然と僕たちは公園の中に入っていった。
「懐かしい公園だね」
「そうだな。昔、毎日のように遊んだよな」
 公園の真ん中に大きな木がどーんとそびえ立っている。僕と剛は『木の公園』と呼んでいた。安直で、ひねりのかけらもない。
 木の近くにいくつかベンチがあったので近くに二人座った。四月の中旬、まだ寒い日もあるけれど今日はまだ暖かいほうだ。剛は黒いパーカーを着て、白い線が縦に入った黒のジャージズボンをはいていた。全身真っ黒なので一歩間違えば不審者っぽい。僕は湯冷めしたくなかったのでベージュ色のジャケットを羽織ってきた。
 いつも単刀直入に本題から入る剛が、今日はまだ押し黙ったままだ。
 不思議に思って、僕の方から聞いてみることにした。

「剛、何かあった?」
 尋ねると、剛がこちらを振り向いた。ものすごく仏頂面だ。
「何か、じゃねぇよ」
「どうしたの?」
 キョトンとして剛を見た。
「お前だよ。何があった?」
 一瞬の、間。
「何も?」
「隠すなよ」
「だから、何を?」
「やっぱ、抱え込んじまうのかよ……」
 剛はそういうと、大きなため息をついた。
「あずさが」
 あずささんの名前が出て、僕の心臓は跳ね上がった。
「春休みに自分がされたことを俺に教えてくれた」
「!!!!!!」
 思わず立ち上がり、剛を凝視した後、一歩後ずさって再度座った。
 剛はそんな僕を寂しそうに見て、続けた。
「お前は、なんで俺に話さなかった」
「なんでって……」
「お前、前に俺に言ったよな。あずさのこと、見守れって」
「う、うん……」
「言わねぇで、黙ってて、それで俺はどうやって見守ればいいんだよ」
「……」
 剛が僕を見た。睨んでいるような目だったので、怒っているのかなと思った。
 僕があずささんに起こった出来事をきちんと話さなかったことに。
「……ごめん」
 それで小さく謝ると、剛はものすごくびっくりした顔になって、狼狽えた。
「いや、そうじゃねぇ。そういうことをしてほしいんじゃ……ねぇんだよ……」
「じゃあ、何?」
「うまく言えねぇ……」
 剛が頭を抱え込んだ。僕は困惑する。
 いつも、他愛のないことをポンポンと話してきた剛と僕が、今日はなんだかギクシャクしている気がする。僕がぼーっと生きて、剛がツッコミを入れて、僕が分からないこととかを、剛が口悪く教えてくれる。そんな風に剛と一緒に話すことが楽しかった。気楽で、何でも話せた。
「今日、学校で、あずささんは笑ってたかな……?」
 話題づくりにと、僕が絶対に知ることができない学校の話を振ってみた。
「いや、笑ってねぇよ。あ、二年生になって、俺とあずさは同じクラスになったぞ」
「そうなんだ……それは、すごく、安心だよ」
「……」
「……」
「……なぁ、お前、どうしてだよ。どうして何も言わねぇんだよ」
「何も話すことがないからだよ」
「話すこと、あるだろ。しばらく会ってなかったんだしさ。あずさが被害に遭った時のこととか、話さねぇのかよ」
「話してどうなるのさ。だって、あずささんがもう教えてくれたんでしょ」
「概要はな。相手は誰なんだよ、なんであずさがレイプされなきゃいけねぇんだよ、どこでされたんだよ、どうやってだ」
「……知らないよ!!!!!!!」
 僕は叫んだ。

 また沈黙が降りた。
 しばらく経ってから、ゆっくりと口を開いた。
「……知らない。僕は何も聞いてないんだ。相手のことも、場所も。何がきっかけだったのかも。あずささんは話さない。僕だって聞けない。もう終わってしまったんだ。変えられないんだよ。今更なんだ。聞いたところで思い出させてしまうだけだから」
「知りたいとは思わねぇのか」
「あずささんが話したい時に、聞くよ」
「……お前の顔、今、すげぇひどいぞ」
 そんなこと、言われても。たぶん今は僕は笑えていない。鏡なんて、見たくもない。
「……分かってる」
「俺はな、あずさに頼まれた。お前の話を聞いてやってくれって。……お前、この話を誰にも相談してないだろうって」
 頼まれた? 僕は狼狽えた。
「……相談なんて、しないよ普通。僕自身のことじゃなくてあずささんのことなんだから」
「悪く思われるって考えてんのか」
「それは、そうだよ」
「俺は思わねぇよ」
「分からない。人が内心でどう思っているのかなんて、僕には分からない」
「どうして信用してくれねぇんだよ」
「信じていないわけじゃない。ただ、もし、万が一、僕が話したことであずささんが悪く思われるようなことがあったら、それこそ僕は嫌なんだ。僕のせいだって思って、立ち直れなくなる。自分を一生呪う。……それに、相談したところで事態が好転するわけもないんだ」
 そうだ、何も変わらないのだ。過去をなかったことにはできない。どんなに辛いことがあっても前を向くしかないのだ。前を向いて、上を向いて、進むしかないんだ。
「剛……、今日、学校で、あずささんはどこを向いてた?」
「どこって?」
「前かな。下かな」
 しばらく剛が考えて、そして答えた。
「最初は前を。そして俯いたから下だな。それで、また前を向いて、最後は見上げた」
「……見上げた?」
「俺が立ち上がって、向かい合って、視線が合ったからだ。俺の方が身長が大きいから、あずさは、見上げていたはずだ」
「……」
 剛が体ごと僕の方に向いて、視線を逸らすことなく力強く言った。
「なぁ、遼介。あずさがお前の伝書鳩なら、俺はあずさの伝書鳩になる。近況報告をしてやる。あずさは言ってたよ。過去は変えられないんだって。お前と同じことを言ってたよ。今日あずさはレイプのことを話したかったわけじゃねぇ。前を向いて、これからのことを考えていた。
 お前が、遼介が、一人で抱え込まないようにしてほしくて俺に話した。お前が誰か別の奴に少しでも頼れるように布石を敷いた」
 僕は喉の奥がヒュウと鳴ったような気がした。
「布石を敷くって、難しいか。先のことを見越して、備えておくってことだ。あずさはもう後ろを向いてねぇ。だからずっとお前を心配していた。あずさはお前が泣かないようにしていることも、無理に笑おうとしていることも、全部分かっているんだよ。それでも何も言わないのは前にお前があずさに言ったことと同じだって。泣いてもいいし、泣かなくてもいい、笑ってもいい、笑わなくてもいい。お前の心の向くままに……」
「もういい‼︎」
 ついまた叫んでしまった。剛が黙った。
 泣きたいのに、涙は出なかった。ただ、喉がカラカラだった。
 どうしようもなく苦しかった。あずささんの考えが、優しい気持ちが分かってしまう自分が辛かった。その優しさに甘えてしまいたい自分が嫌だった。

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