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1/16 【いつだって、僕の人生は他力だった。】


地元に帰省して、甥っ子を愛でる日々を過ごした。もう立ち上がり、数歩なら支えなしでも歩けるくらいに成長している。感動ものだ。つい最近までは寝返りもできてなかったはずなのに、しっかりと成長しているんだなと彼を見ていると思う。

それでも、やはりまだ10ヶ月。1人で何かをやれることなんてほとんど無くて、周りが手取り足取り彼を支えて成長できる。ご飯も、オムツ替えも周りの人の手助けがあって日々大きくなっているなあと、当たり前のことを感じた。

そんな当たり前のことだが、現在28歳の僕も、あまり変わんないんじゃないかなーと思った。ご飯は自分で食べれるし、トイレだってもちろん自分の意思で出来る。もっと違う視点。


人生をここまで28年間やってきて、振り返ってみるとほとんどが他力(周りの協力、支え)で成り立っているなと感じている。自力だけで何かを成し遂げたかというと、ほぼ無いほど周りの人の手助けが常にあった。これは自分で頑張った!と思うものも、実は親や、友人、周りの人がいなかったら出来なかったよなーと思うことばかりである。

他力というと、なんか自分は頑張っていないように聞こえる。全て他力で人生をやっていくとか、選択することも全て他力とか、そういうんじゃない。

他力があってこそ、自力が発揮されるのではないか。

よく全て自力でやっていくのが男だ!みたいな今はあまり無いスポ根みたいなものを目にすることもたまにあるけれど、自分の周りの力、助けを取り込んで、たまには頭下げてお願いするくらいのある意味助けてもらう自力を発揮する。全て自分で解決、挑戦するよりも、圧倒的に周りの方々の協力を得る方が進み方のスピードが早い。質も高くなる。

農作物を考えるといい。自分の種に、まず他力の土壌が整地をしてくれる。土がなければ、育つものも育たない。エサとなる水をくれるのも、よく見ると他力だ。煌々と照らす太陽は親や、周りの近しい人のパワーか。そんな周りの方々の支えがあって、やっと芽が出てくる。芽が出てからは、あらゆる環境と自分が戦わないといけないが、土も水も太陽も自分の行いが相当悪く無い限り離れてはいかない。

ただ種を植えただけでは、頑張っても新芽で終わる。大きくなるということは、他力のおかげということ。

これはまた甘え上手とか、SOSを呼ぶことにプライドが無いとか類の話になるかもしれないが、総じて思うのは、1人で何かをすることは、ほぼ無理。そして面白くない。1人で得られる幸せなど、たかが知れている。

だから周りに感謝し、存分に他力のパワーをもらい進んでいく。そして出世払いでパワーを返すのか、自分が受けたように誰かの他力になるかは、その時選べばいい。

僕の周りにいる人たちへ、いつも本当にありがとうございます!

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