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5/22 【お礼を舐めてる人が多すぎる。】


昔から母親にこっぴどく言われてきたことがある。

「ありがとうございましたという気持ちは、なるべく礼儀正しく、素早く相手に伝えなさい。」

これだ。

小さい頃から、ありがとうを伝えることの英才教育(?)を受けてきたと自負している僕は、誰かに何かをしていただいた、例えばご馳走してもらったとか、そういったことへの感謝の気持ちをなるべくすぐに相手へ伝えるということを心掛けているつもりだ。
そして今、このちゃんとありがとうという感謝を、礼儀ただしく、素早く伝えることがまさに自分を活かしてくれている気がして、親の言う事なんか聞きたくねー!という反骨精神時代を乗り越えて、身についたこの感覚を与えてくれた母親には、頭が上がらない気持ちだ。

そんなことは当然ですと思われる人がいる中で、周りを見渡してみると、ありがとうを伝えることに抵抗がある人がもう本当にたくさんいるんだなあと思う。恥ずかしいってなんやねん。そしてただ口癖のようになってはダメで、気持ちのこもってないありがとうの5文字だけ伝えればいいとかでもなくて、人間が生きていく処世術として、僕はいかにありがとうを相手にしっかり素早く伝えられるかがキーになると思っている。


出来るなら、帰り道。運転してるなら、家に着いてすぐ。これ以降はもう遅いけれど、究極に疲れてしまっていたら翌日。タイムリミットはここ。感情というものは生物(なまもの)で、賞味期限は数時間。この数時間の間にちゃんとしたお礼を伝えられない人が、この複雑化した人間関係の中で印象に残るのかといったら、それはどうだろうと思ってしまう。ましてや、1-1での会でどんな関係性であろうと相手にお礼すら伝えられない人に限って、人間関係をどうしたらいいのかとか言い出す始末。根本的なとこに、根が晴れていない。

とんでもなくつまらなかった会だとか、この人はちょっと合わないんだよな〜とか、分かる。喉まで上がってきたありがとうございましたが、どうしても浮かび上がってこないとか、分かる。それでも、ちゃんと伝えられるかどうかが、大きくその後を左右するんじゃないの?と思ってる。最近のプロ奢さんも「まともに挨拶できないようなやつは、何してもダメ。」と言っているように、唯一動物の中で感情を乗せた言語を操れる僕ら人間に与えられたチャンスであり、落とし穴でもあると思う。

そもそもありがとうございましたと伝えられて、嫌になる人は究極に少ないはずだ。人間というものは、何に一番生きがいや幸福感を感じるかと言うと、誰かの役に立つことなんだとどっかの本に記載されていた。そういった仕組みに、遺伝的にもうなってるんだよな。自分はありがとうと言われても大して嬉しくなくて、、って人は、んー、自己のマインドが大バグを起こしてるほかないと思う。

ありがとう、ごちそうさま、助かります。言葉のチョイスは何だっていいが、お礼はマジで大事。心のこもってないものは、バレる。だから、ちゃんと相手がどう思うかまで考えよう。こういったことの繰り返しだと思う。基本中の基本。所詮僕らはちょっと賢い動物だ。だから難しいこと考えず、ちゃんとありがとうを言おう。周りを見渡して、最近この人に感謝伝えてないなあ〜ってのは、相手も気づいてるよ。

適当じゃダメだよ、気持ちを込めてだよ。

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