円陣

「耳が痛いことを言われて、心がざわつく」のは変ですか?

 連投136日目。

 他人から耳が痛いことを言われた経験ってありますよね。

 あ・・・ちなみに、耳が痛いことを言われた経験じゃないけど、繋がってることを思い出しました。

 わたしが中学生の頃、まだメールもLINEもなかった時代に、好きな女の子にラブレターを書いて送ったことがありました。昔のマンガみたいに、下駄箱にラブレターを入れたんです。しかし、待てど暮らせど何の回答もなく、「あ〜脈がなかったんだな」と確認もせずに諦めていたところ、その女の子と同じクラスの男子がやってきて、わたしにこう告げました。

 「お前のラブレター、回し読みされてるで」

 オーマイガー! なんてひどいことをするんだ! ◯△※■☆・・・とじたばたせずに、「あっ、そう」とクールに決めた記憶だけが残っています。そして、代わる代わる、そのクラスの女子がわたしの顔を確認しに教室の外から覗き込んでいたことも、鮮明に覚えています。

 本当は、ショックで、傷ついて、めっちゃ腹が立っているはずなんですが、それを味わうことなく、自分としては傷ついていないフリをして通り抜けた出来事だったようです。(このことが後々の女子とのコミュニケーションに影響することになるんですが、今回は割愛します)

 で、なんでこの話を思い出したかというと、人がショックなことを受けたときは、そのショックを味わう時間が時には必要だということが、今日の本題だからです。

 耳が痛いことを言われたら、何かしらのショックがあっても不思議はないでしょう。受け取りがたいこと、図星なこと、ごまかしたいこと、見て見ぬフリを続けたいこと…耳が痛いことってどういう類いのことだったりするから、まぁ、ショックな反応が起きるでしょう。

 そういう時、あなたはその反応を素直に表に出していますか?
 自分がどんな表出のしかたをしているか、よく観察してみてください。

・怒りや反論のように、跳ね返すようなコミュニケーションをとる
・黙り込んでふさぎ込むようなコミュニケーションをとる
・気にしていないフリをしながら内心は傷ついている 等

 跳ね返すのも、ふさぎ込むのも、気にしていなふりをするのも、どれも本当は心の中がざわついていることを包み隠すように起きている反応とみることもできます。というのも、ざわついている時は、他の人からの助言も聞きたくなかったり、自分であれこれ考えているから言葉が耳に入ってこなかったりしていて、言わば「防御反応」のようなことが起きていると考えられます。

 この「防御反応」は、こちらが責める意図がなくても起きること。ついつい、そういう防御反応が起きると、対処したくなったり、その防御反応そのものを見たくない!という反応があなたに起きるかもしれませんが、「相手の防御反応は、あっていい」ととらえて、相手が自分のざわつく反応をしっかり感じられるように、あなたが何かしらの対処をしないことをおススメします。

 辛いことでも、恨むようなことでも、味わい尽くせると、人はそこから抜け出せるものです。

 その力を信頼してみましょう。

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