円陣

上司と部下のパートナーシップ7:相手に「助けて」と言えますか?

 連投149日目。「上司と部下シリーズ」第7弾。

 先日、ある講師が参加者に次のようなことを投げかけました。

 「どうしても人の手助けがいる時に、あなたはご近所の方に、助けてと言えますか? 言えるという方はどれくらいいますか?」と投げかけたところ、参加者の1割も挙手がありませんでした。
 「では、逆に、ご近所の方から助けてと言われたら、助けますか?」と投げかけたところ、参加者の9割が挙手しました。

 これが、社内で起きているとしたら?と考えてみました。

 上司はいつでも助ける用意はあるけれど、部下が「助けて」と言えない。
 部下が困っている状態が続くということは、仕事のパフォーマンスが落ちたり、働くことへの満足度が下がったり、人生の幸福度が下がったりするのですから、上司としては避けたいところですが、「助けて」と言ってもらえなければ、状況が把握できないし、助けようがありません。

 「助けてほしかったら助けてほしいって自分から言えばいい。社会人として、それは言わない部下に問題がある」

 こういう考えもあると思います。
 それを伝えて、助けてといえるようになるなら、それはその時、その場にいた人には適したコミュニケーションだったと言えるでしょう。

 それでも、部下が助けてと言えなければ、どう捉えるのでしょうか?
 やっぱり部下に問題があって、部下に変わることを求めて、叱咤激励するのでしょうか。

 あ・・・この「部下に問題があるの?」って書くと、「じゃあ、上司が問題だっていうのか? 相手は変えられないから自分が変わらなきゃというお決まりの文句でも言われるのか?」と思う人もいるかもしれませんね。

 そういうことではありません。どっちが悪いか?というとらえ方は、いまはそっと横に置いて、続きを読んでくださいね。

 コミュニケーションの質は、【場】に左右されます。

 弱音をはくことが許されない【場】では、弱音があっても持ち出しません。むしろ、隠すでしょう。いくら上司が「弱音も言っていいんだぞ」と言っていても、上司が弱音をはくことを心の底から許していなければ、そういう【場】は出来上がりません。
 そして、もちろん、上司が心の底から許していても、部下が弱音をはくことを自分で許可していなければ、弱音をはいていい【場】は成熟しません。

・上司が弱音をはくと、「こういうことを言ってもいいんだ」という意識が芽生える
・部下の弱音をきいた上司が、それを否定したり、ごまかしたりするような反応をしなければ、「評価なしに聞いてもらえた」という体験をする
・そうした体験があると、自分が誰かの弱音を受け取る時に、モデルイメージとして浮かんで、実践しやすくなる 等

 こうした積み重ねで、弱音をもちだしやすい【場】に近づいていきますが、みんなが胸襟を開いて持ち出せるようになると、【場】はより成熟していきますからね。

 なんで、あいつは言ってこないんだ!と思うことがあるならば、その人が言えなくなってしまう【場】があるのかもしれません。

 上司が部下に「助けて」と言えない。
 部下が上司に「助けて」と言えない。

 そういう【場】をシフトする技術を、リーダーが持ち合わせていたら、どれほど気持ちが楽になることかと思いますよ。
 
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