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ザワザワ

2024.04.21
ペぎんの日記#21
「ザワザワ」


風が強い日は、なんだか心も1日中ザワザワとしていて落ち着かない。

朝6:30。いつもの起床リズムと、窓をガタガタと鳴らす風のせいで目が覚める。今日は何も予定がないことを理解し、布団の中でもう一度目を閉じる。窓が一段と大きくガタン!と揺れる。ブオーンという低い風の唸り声も聞こえる。なんとなく不安になって、布団を顔のあたりまでたくし上げる。

起床8:00。二度目の目覚め。風はまだ吹いている。私が寝ている間も何事もなかったようで安心する。まぁ風ごときでそんな大したことにはならないと理性は分かっているのだけれど、私が起きてすぐは彼がまだ眠っているので、情報に感情だけが反応している。

朝ご飯8:30。トーストをかじりながら、リビングの窓の外を眺める。庭の草木が煽られて大きく傾いている。同居していたおばあちゃんが生前大事に手入れしていた庭。私が中1のときに膵臓癌で死んじゃってからは、面積が大き過ぎるが故に家族の誰も管理できていない。庭の先の道路を見る。西部劇みたいに塵の塊が転がっていったりはしないが、時折正体の判然としない何かしらが飛んでいく。軽そうなものしか動いていないので心配するほどの風でも無いなと、今更になって理性が目を覚ます。

教材の整理9:00。全ての教科のオリエンテーションが先週済んだので、リストを元に新しいファイルやノートを作る。もう使わない教材は部屋の端に追いやる。ただ、部屋の一角に小・中・高1の教材がただ積み重なっているのも厄介なので少し部屋の模様替えをしようと決める。全体の配置を少しずつ変えてスペースを作る。途中作業のお供にとBGMをかけたが、脳が音という情報を拾おうと集中すると否応なしに風の音が耳に入り、その不穏な唸りに胸をかきむしられるような感覚を覚えた。それが嫌だったのでBGMは止めた。

Youtube10:00。ダラダラと動画を見る。画面に集中していると風の音は気にならなくなるのだが、30分に一度くらいの頻度で来るガタンッという窓を強く叩かれたような風の音に毎回ビクッと反応してしまう。あいにくノイズキャンセリング機能が付いたイヤホンを持ち合わせていないので、音を遮ることができない。そもそも窓のガタンッという大きな揺れは音として私に伝わっているのではないんじゃないかと疑いさえする。脳や身体の臓腑に直接響き、内側から何かをえぐり取っていくこの風のいたずらの正体は、果たして音なのだろうか。

昼ご飯13:00。朝ご飯を遅くに食べたのでもっと遅くに食べてもよかったのだが、自分の部屋にいるのもなんだか窮屈。気を紛らわそうとキッチンでパスタを茹でる。ねじってパッと手を話して鍋に入れたパスタが、鍋の壁に綺麗に広がってちょっと嬉しい。パスタの麺をツンツンしてお湯の中に沈ませる。茹でられている間ずっとブクブクの中を漂う彼らも、小さな部屋の中で風の喧騒にさらされなければならない私と同じく、落ち着かない気分でいるんだろうか。身勝手ながら仲間ができたようで嬉しかった。

お勉強14:30。全然できない英語と向き合ってみる。ふと、windowとwindは綴が同じことに気づき、検索をかけてみる。「window 語源」。やっぱり出てきた。英語の「まど」windowは、古代北欧語vindaugaに由来し、「風の目」を意味するらしい。「目」とは外界との繋がりの象徴。外から空気を取り込むための装置であることから、windowとなったらしい。へぇと思いスマホを置く。今英語の勉強をやっていたことを思い出す。もう一度問題集とにらめっこをする。

夕食19:00。やっぱり自分の部屋よりリビングのほうが落ち着く。こっちの方が窓の遊びがない分、静かで心地よい。

身の回りの整理20:00。人間は風が強くなると、近辺の所有物を風から守るようにプログラムされているのだろうか。家の中だと理解しているつもりなのに、もし外に置いたら飛ばされそうな軽いものなどを物陰に置きたくなる衝動に駆られる。その衝動をごまかすように、部屋の軽い片付けをする。本棚の放置していた一角から「古代エジプト解剖図鑑」という本が出てきた。今夜はこれを読んで寝よう。

今22:00。noteを書く。だんだん風は弱くなってきている。寝るときまでブオーンブオーンと唸られたらたまったもんじゃないから、とりあえずよかった。なんで私はこんなに風が嫌いなんだろう。たまにしかない大風なんだから、どうせなら外にでも出て楽しめばいいのに。もったいない感性してるな。風が嫌いだなんて。

おやすみ22:30。もう眠いから、エジプトの本は明日読もう。窓の外ではまだ風が吹いている。

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