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そんな猿の1匹に

2024.10.18
ぺぎんの日記#194
「そんな猿の1匹に」

無限の猿定理 (むげんのさるていり)
とは、十分長い時間をかけてランダムに文字列を作り続ければ、どんな文字列もほとんど確実にできあがるという定理である。比喩的に「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。できあがるという定理である。比喩的に「がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。

Wikipedia「無限の猿定理」より

私が初めてこの言葉を知ったときは、「タイプライターを打つことができる十分な数の猿がいれば、文学の名作をも生み出すことができる」として紹介されていた。

私はこの定理に、なぜだかすごく魅力を感じた。

今までは、なんでこんなにも多くの本が必要なのだろうとか、なんでこんなにアーティストが必要なのだろうとか、そういうことを考えることが多かった。

私には、それら全てが唯一性を持って存在しているように思えず、売れていないアーティストや小説家は、所詮先人の真似事をしているだけだと思っていたのだ。

でも、noteを書き始めてその考えが変わった。
量を、生み出さなければならない。

万人受けするような質のものを、選ばれた人のみが発信する。そんな状態になってしまえばいかに悲しいことか、それが身に染みて分かるようになってきたのだ。

かつて書いたnoteを見返したとき、書いたのは私であるはずなのに、その絶妙な文章のニュアンスに心が救われることがある。
公開されてからもう随分時間が経っているのにスキが10個も付いていないような記事の中で、運命を感じるような文章に出会うこともある。

でもそれは、言ってしまえば「そういうこともある」っていう話。
当然スキの数が少ない記事は当たり外れが激しいし、私がある程度毎日書いている日記だって、全ての日において全力で書いている訳でもないから、自分で読んでも面白くないなって思うものもある。

でもやっぱり、書かなきゃいけないなと、思うようになった。何気なく書く文章の中に、私を、誰かを、少しだけでも感動させられる何かが、偶然含まれるかもしれない。

いや、分からない。そんな大層な役割は、私には無いかもしれない。

けど、書く。私は、無数のタイプライターを打鍵する猿のうちの1匹なのだから。

そんな猿の1匹に、なりたいのだから。

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