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失敗をする人でありたい…わけではないが

2024.04.22
ペギンの日記#22
「失敗をする人でありたい…わけではないが」


朝、学校に登校する。
自転車小屋に自転車を止めて生徒玄関の方に歩いてきたとき、「あれ、玄関のドアってどっち開きだったっけ」と、いきなり思い出せなくなる。
押戸…?引き戸…!?
うちの玄関は外側からだと引き戸だ。でも学校の玄関は朝気持ちよく学校に入れるように押戸になってるんじゃない?
あわわわどうしよう。
迷っている間にもドアは私の前に迫ってくる。
こんなところで不意に立ち止まったら変な人だから、ドアに向かって歩き続けるしか無い。
もう一か八か押戸に賭けよう。
歩いてきた動きそのままにドアに手をかけ、

グッと押す。
ガンッと音がして、ドアは動かない。

私はそのまま身体を後ろにスッと引き、「元から後ろに引くつもりだったんですよー」という感じを装って引き戸のドアを開ける。
私の後ろには誰かいたかもしれないし、いなかったかもしれない。
もしいたとして、私の失態に気づいていたかもしれないし、気づいていなかったかもしれない。
怖くて後ろを、振り返れない…。

そうして今日が始まった。

教室の机で一人反省会を開く。まだ人のあまり居ない教室で、さっきの失態をなんとかポジティブに考えようと頭を回す。こういうときは例のメモ帳を見るとなんかいいことが書いてあったりするので、メモ帳を開く。
いくつかのメモが目に留まる。

「サトウ、学校にキョカ出さずにバイトやってるらしい。あいつマジメな奴だと思ってた」

「タナカちゃん、マスクの下で絶対アクビしてた。目はすましたままマスクが上下に伸びてるから面白い」

「スズキちゃん、ボウゴメガネをいっしゅんセーターのエリにサングラスみたいにしてかけて、すぐに外してた。意外性と、そのままでいいのにという思い。」

(名前は偽名。その他メモ通り)

なんか普段ちゃんとやってる人がたまに何か隙を見せたり、自分ひとりでちょっと面白いことをやってたりすると、この人も人間なんだなって思ったりする。
今日の私の朝の事件は、他人の目にどう写っていたのだろう。

もとより私は不真面目な生徒だから、ドアを反対に押してようとギャップに萌えるような人はいないと承知の上で。
例えば1年生が見ていて、「あ、先輩ってこんなもんなんだ」と肩の力を抜いてくれたり、「あ、またぺぎんがおっちょこちょいしてるよ」と少しハッピーになる知り合いが居たりしたら、私の失敗も少しは救われるというものだ。

うん、そうだ。朝ドアを完璧に開けられる人なんてつまらないじゃないか。ドアの前でゲシュタルト崩壊を起こして戸惑ってるくらいが、人間として丁度いい。そういうことにしておこう。

ひとり反省会が終わる頃、教室は段々と賑やかになっていく。
月曜の気だるさを全身に背負って入ってくる人、すごくにこやかに入ってくる人、澄ました顔で入ってくる人、慌てて入ってきてすぐまた慌てて出ていく人。
色んな人が入ってきて、そしてみんなきっと、今日の朝起きてから教室に来るまで、ちょっとしたミスは多分ひとつかふたつしていて。そのミスが今の彼ら彼女らをつくっていて。そう考えると、なんだかとても温かい気持ちになったりする。いいじゃないですか。人間は失敗できる生き物なんだから。

…でもやっぱり悔しいから、ドアの向きはこれからずっと忘れないようにしようと思う。


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