天球の回転について。そしてそれから500年後の答え合わせについて。
2024.09.26
ぺぎんの日記#179
「天球の回転について。そしてそれから500年後の答え合わせについて。」
かっこいいタイトルにしようとしたら、今まで書いてきた記事の中で最長のタイトルになった。
さて、そんなことはさておき。
1543年。ニコラウス・コペルニクスの地動説を主張した著書「天球の回転について」が出版された。世界がまだ天動説を信じていた時代。その宇宙観を覆す科学のリレーは、ここから始まった。
そしてそれから500年。今は科学の裏付けによって、ほとんどの人が地動説を信じている。地球が回り、地球が太陽の周りを回り、太陽も天の川銀河の中を回っている。そのことを皆が知っている。そしてそれら天体の運動を観測し、計算することで、今後の天体の動きを予測する技術があることも知っている。
それでもなお、夜に空を見上げる私たちって、すごいなって思う。
日付も、時間も、方角も、空なんて見上げることなく分かるようになった。天体の運動が持つ「必ずこう動く。こう見える」といった信頼性は、もはや人間に何の情報も与えない。ただ単に、人間の予測したタイミングで予測した通りのことが起きる。ただ、それだけ。
奇跡でもなんでもない、ただただ予測されていた出来事を観測するという行為。
でもそんな、元から分かっていたものを見て感動できる心って、面白いなって思う。
中秋の名月、流星群の極大、火星の接近、日食。
中学卒業くらいまでは、こういうものが嫌いだった。父と母に、無理やり外に連れ出されて、もうテレビや図鑑で見たことのある景色を、わざわざ性能の低い、よく見えない望遠鏡で覗かされる。こんなことの何が楽しいのだろうと思っていた。
コペルニクスやレティクス、ガリレオのしたような、「天体の運動の解明」だったらまだ楽しかったかもしれない。しかし「天体の運動の答え合わせ」なんて、楽しいはずがない。
そんなことを、つい1,2年前までは考えていた。
しかし今は、分かっていることの答え合わせが楽しいと感じる。
「中秋の名月だってさ」
「オリオン座流星群、今日が見頃だって」
「天気予報通り雨降ったね」
「誕生日まであと1週間」
天体の運動に限らず、仲間と、くだらない答え合わせをするのが楽しい。
私も歳をとったのかな。
500年前の人は、どんな気持ちで夜空を見上げていたのだろう。昔の私は、どんな気持ちで空を見上げていたのだろう。
明日の私は、どんな気持ちで空を見上げるだろう。500年後の人類は、どんな気持ちで空を見上げるのだろう。
天体が動く。月日が流れる。歳をとる。どれも必然なのに、こんなにも愛おしくて。
人の気持ちだけは、
答え合わせができないみたいだ。
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