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外国で暮らすことは、自分の世界のルールを変えること

「小さなことで、いちいちありがとうって言わないで」

「あと何か迷惑かけた時に、ゴメンって言うのもやめて」


ベトナムに住んでいた頃、ベトナム人の友達にそう怒られた。

聞きまちがいではない。

彼女はきっぱりと、「ありがとうも、ごめんねも、もう金輪際言わないで」と言ったのだ。


彼女の理論はこうだ。

「私たちは友達だから、お互いに親切にするのも迷惑をかけあうのも当たり前。ベトナムでは、家族や友達ならそんなのいちいち気にしない」


しかし礼儀作法の国(?)日本からきた私は、「言わなきゃ気が済まないよ!」と食い下がった。

だって「ありがとう」と「ごめんなさい」は、ヨチヨチ歩きの頃から教わってきた社会のルールなのだ。

「親しき仲にも礼儀あり」。日本人として、これは譲れない。


しかし、彼女は認めなかった。

「あなたが事あるごとに「ありがとう」って言うから、私はそのたびに距離を感じて悲しい気持ちになってるんだよ」


そ、そうか・・・悲しいのか・・・。

私は日本人だ。・・・でもここはベトナムだ。・・・むむむ。


結局私は彼女の言い分を受け入れ、「ありがとう」と「ごめんね」を封印した。

それは、日本人としてのルールを破ることだったけれど、ベトナム人の友達とよい関係でいるためには、そのルールに違反せねばならなかった。



ルール違反の例は、他にもたくさんある。


例えば、ご飯を食べるとき。

ベトナム人は、口から吐き出した魚や肉の骨などを、テーブルの上に載せる(路上の店であれば、テーブルの下に捨てる)。

一方、私は口から出した食べカスを、テーブルの上(という、言わば公共の場)に晒すことにどうしても抵抗があった。

汚いものは、なるべく人の目につかないように。これも日本では当たり前のルールだろう。


しかし、魚の骨をこっそりと自分の皿の端によけていた私は、なんと友達から「汚い」と言われたのだ。(!)

つまり、日本では「食べカス=汚い→見えないように隠す」という発想だけれど、ベトナムでは「食べカス=汚い→皿から出す」という発想らしい。

私はこれ以上友達に不快な思いをさせないよう、ルールを破り、食べカスをテーブルの上に並べた。


海外に住むと、こういうことは枚挙にいとまがない。

郷に従おうとする限り、私たちは今まで信じてきたルールをどんどん破っていかなければならない。


とは言え、そのルール違反は、いつも戸惑いや苦悩を引き起こすものばかりでもない。


例えば私は今ミャンマーに住んでおり、満員のバスに乗って通勤しているのだが、そのバスに何とも心温まるルールがあるのだ。

それは「座っている人が、立っている人の荷物を持つ」というもの。

もちろん座っている人の善意に基づいたルールでしかないのだが、荷物が多い人が立っていると、かなりの確率で座っている人が荷物を預かり、膝に乗せているのを見かける。


私も以前、買い物袋を下げてバスに乗ったところ、クィッと荷物を引っ張られて驚いたことがある。

えっ、何?とびっくりして見ると、「ここに乗せなよ」という感じで青年が自分の膝を示していた。

とっさに「あ、大丈夫です」と断ってしまったけれど、青年は「それならいいけど」という感じで微笑んでくれた。


この「クィッ」を日本の満員電車でやったらどうなるだろう、と想像してみる。

まず、びっくりされるだろう。何か変な風に疑われるかもしれない。意図が通じたところで、荷物を見知らぬ人に預けることに抵抗がある可能性も高い。

そう考えると「クィッ」は、日本ではルール違反に当たるだろう。

「満員電車では、お互いに関わらない」とか「他人のものには触らない」とか、そんな感じのルールに対する、違反。


なぜこんなことを書いてきたかというと、今日ついに私はこのルールを破ったからだ。

つまり、初めて「クィッ」をやる側になったのだ。

膝に乗せた荷物は雨で少し濡れていたけれど、自分もミャンマー人と同じように「クィッ」ができたことが嬉しくて、じんわり温かい気持ちになった。



何はともあれ、海外で暮らすことの面白さというのは、案外こういう小さなところにあるんじゃないかと思う。

自分の世界に厳然として存在するルールを、1つずつ破って、別の世界に足を踏み入れてみる。

ありがとうと言いかけて飲み込んだり、口から出した魚の骨をテーブルに載せたり、見知らぬ人の荷物を引っ張ってみたりする。


もちろんそれ自体が、何か大きな経験値をもたらすものではない。

でも、自分が盲目的に信じていたルールが通用しない世界があること、そして一瞬でもその世界の住民になることは、たぶん、そういう経験をしていない人と比べると、少しだけ色彩豊かなんじゃないだろうか。


そんなわけで、乾季の暑さで死にかけたり、雨季の湿度に溺れかけたりしながら、私は今日も海外生活を楽しんでいる。

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